「怖れ」について

生きるとはどういうことかは30歳を過ぎる頃にはだいたい分かってしまうので倦怠を感じることはあっても怖れや不安はなくなるでしょう。

多少の不安を覚えるのはむしろ「死」のほうで、これは死ぬこと自体よりも「死んだあとどうなるのか?」が分からない、未知のことに対する不安が主だと思います。

人間だれしも苦しみながら死ぬのは嫌だ、できたら来世を夢見て安穏に死にたいと思います。

瞬間的に苦しむ余裕もなく死んでしまうのがいちばんでしょうが、どうなるかは本人の意志で決定できるものでもありません。

未知のこと、どうなるか分からない、ことを少しでも分かろうとしたのが青春時代に悩んだごとの多くでした。

魂や霊といったものがほんとうにあるのか? 精神や魂は脳や神経の働きで、究極的には物質なのだ。死とは物質の働きの終焉で、死んでしまえば魂も一緒に活動を止め消えてしまう。唯物論的な考えに一度は納得した時期もありましたが、それだけでは心が満たされない。


精神とか霊魂とかがあって肉体が死んだ後も生き残り天国へ行く。そう考えられればいちばん死を恐れず安心して死を迎えることができます。世界のほとんどの宗教はおそらくそうした理由から天国とか西方浄土とか極楽とかが考えられたのでしょう。

ラ・フォンテーヌの寓話「野兎と蛙」は巣穴をでれば常に危険が待ち構えているため野兎は不安を抱え鬱病に罹ったようなありさま。ところが池の端を通っただけで野兎に恐怖を感じて水に跳びこむ蛙を見て、おれよりも怖がりがいる、と野兎は臆病にもランキングがあると悟ります。


死を恐れない人もいるでしょう。死の原因になる災害や、戦争やテロや洪水や地震や津波に対する怖れ方も人により程度の違いがあるでしょう。めのおは思春期の頃、核戦争がどうしても怖かった。病気の一歩手前に居たと思います。


臆病にランキングがあるとか、戦争や自然災害に対する怖れ方に程度のさがあるだろう、と書いたのは、「恐れ」というものが理性的に論理の働きによって感得されるものではなかろう、と思うからです。「恐れ」は感覚的、直感的、感情的なものだ。

それは「非合理な」情動や潜在意識に根差している。なにかに怯えている人間に「怖くないんだよ」とか理屈で納得させようとしても効果は期待できません。それは潜在意識が感じ取っている非理性的な情動に基づく感情だからです。非理性的な不条理なものだからといって怖れている人を「間違っている」とは言えません。

地球温暖化により水没する島や地域や都市がある。集中豪雨や水害が近年世界中で頻繁に起こっている。近い将来、そうした災害が現実になる、と恐れを感じる人と、そんなことに怖がってられるか、仕事があり金を稼いで暮らして行くことの方が大切だ、という人もいます。

原発と核の問題も同じだとめのおは考えます。

原発賛成派の人は反対派のひとたちが「不合理な感情によって」反対するのはよくないと批判していました。

反対派の人々の「恐れ」が現実になったことは福島第一の惨劇で明らかになりました。


 (つづく)


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2017年4月 6日 (木)

1664 道徳的考察 6 と 7

6

 

La passion fait souvent un fou du plus habile homme, et rend

souvent les plus sots habiles.

 

情熱はしばしば最も老練な男を狂気にし、また最も間の抜けた者を

巧妙にする。

7

 

Ces grandes et éclatantes actions qui éblouissent les yeux

sont représentées par les politiques comme les effest des grands

desseins, au lieu que ce sont d'ordinaire les effets de l'humeur

et des passions. Ainsi la guerre d'Auguste et d'Antoine, qu'on

rapporte à l'ambition qu'ils avaient de se rendre maitre du monde,

n'était peut-etre qu’un effet de jalousie.

 

あの目くらめくような偉大で華々しい行為は、政治によってあたかも

偉大な構想の結果であるかのように示される。それらが平凡な気まぐれや

情熱の結果とされることはない。オーギュストとアントワンヌの戦いも、

同様に、彼らが世界の主人になろうとした野心の結果とされているが、

たぶん、単に嫉妬の結果にすぎなかったのだ。

(つづく)

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2013年4月14日 (日)

長編小説 飛龍幻想 35

以下の節は別の長編「イカルスの墜落」に使ったものですが、「飛龍幻想」に移転します。


 さながら天変地異に似たあかるみに時計台が浮かび上がっていた。おびただしい機動隊のヘルメットの列が正門の向こうの広場を埋め尽くしていた。機動隊のサーチライト、数えきれぬ新聞社の照明の放列がそれら青黒い隊員の列を照らし出していた。

 シューッという音を立てて吹き上げる白いアーク燈の棒の閃光が無機的な緊張をはらんで渉の眼を射た。きな臭い煙と降りしきる雨の向こうに、非情な力を湛えた海が、待機しているようだった。緊張が凝縮し、一瞬のあいだ時間が止ったかに見えた。隊長の行動開始の命令が低く通った。ガチャガチャと装具の触れ合う音が高まり、隊員達は学生の壁に向かって押し寄せてきた。

 「かえれ。かえれ」という声が潮のように起った。正面からの衝突を避け、渉のいる隊列は横の通用門に向かった。ドッドッという足音と共に、機動隊の分隊が渉たちの到着と同時に通用門前に走り寄り待機を始めた。「かえれ。かえれ」というシュプレヒコールが再び起こった。白兵戦を予想して渉は緊張した。指揮官が白い棒を振り下ろし、先頭の隊員が門に飛び乗り踊り込んで来た。門を乗り越え踊り込んで来る隊員はデモを躱して投石避けの網を抱えながら、建物の脇の狭い植え込みをかいくぐり、本部の方へ走り抜けていった。「つっこめ。つっこめ」という声がデモの後ろから聞こえた。何も起こらなかった。渉たちは石のように大海の外に取り残された。

 方向転換して、本部前広場へ走っていった。すでにふたつの潮がとぐろを巻きながらぶつかっていた。いつの間にか、渉のいるデモ隊は機動隊に両側から挟まれ、正門の方は運ばれていた。隊員の逞しい腕が渉の腰に伸びベルトを掴まえていた。座り込めという叫び声と一緒に渉は田辺と組んだ腕の力を強め抵抗した。

 正門付近で渉たちの抵抗は力を示したかに見えた。ほんの一瞬機動隊との間に力の均衡が生まれた。しゃがみこもうとする渉たちを機動隊員が引き立てた。うしろから来る圧力に渉はあやうく階段を転げ落ちそうになり、前に踏み出したとたん隊列が流れ、あっという間に正門を押し出されていた。もみあい、突き飛ばされながら、大きな潮の流れに乗ったように広い通りを運ばれていった。千メートルばかり走ったあとで機動隊は渉の腰に掛けた手を放した。

 何もない通りを手を繋いで駆けていった。夜明けの透明な光がアスファルトの道を青く照らしていた。雨に濡れながらひっそりと静まりかえっている両側の商店の家並みが疲れた眼に清々しく映った。道を駆け抜けて行く間に出会う、機動隊の青と灰色の車が死臭を放って見えた。

 大学の裏手の小さな神社の境内に逃げこんだ。赤土が雨に濡れ、どぎつい橙色に光って足にまといついた。樹木や草に降りかかる雨が池の上に、霧のようにけぶっていた。「ああ。さっきは死ぬおもいだったよ」みぞおちのあたりを押さえ寄り眼になった眼で田辺が言った。「ほんとにな」濡れて足にまとわりつくズボンの裾を引き剥がしながら疲労でかすれた声で渉は答えた。

  (つづく)

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2013年4月 7日 (日)

長編小説 飛龍幻想 34

渉がその夜泊まり込んだ大学本部の地下は、中世の西欧の教会の地下礼拝堂のように太い柱が所々で天井を支えていた。中世と違うのは学生たちが吸うタバコの煙が地下室の空気を青く曇らせ、いがらっぽい吸殻と煙の臭いが鼻を突くことだった。
地下室の隅の壁に沿って腰ぐらいの高さの分厚い補強壁があり、そこに腰かけているジーンズを穿いた青年が居た。渉が近づいてゆくとにやりと笑いかけてきた。それは、日向だった。

「やあ。キミが泊まり込みに参加するとはね。お疲れさま」
日向はそういうと渉にポケットから取り出した煙草を勧めた。

渉はイデオロギーを信じてはいない。党派に所属して行動するのも嫌だ。
渉はただ、正直に素直に誠実であろうと、ただそれだけを信条に自分の心に相談してみた。意外なことに、渉の心の底には古い儒教的精神が眠っておりそれが甦るのを感じた。
小学校の時から、学校に対して持ち続けた神聖な思い。先生の言うことに対していつも素直に従っていた。疑いが頭を擡げ、反抗するようになったのは高校に入ってからだった。それは受験制度というものに対する反抗だったろう。小中学校の地域の仲間。自然にできていた遊び仲間や地域の共同体意識を受験制度は競争ということ、試験の点数で順位付けし、振り分けバラバラにした。
渉は小学校からずっとこの地域で育ってきた。焼け野原の空き地を遊び場にし、陸軍幼年学校の跡地が校庭だったり、射的場へ空の薬きょうを拾いに行ったり遊び友達はみんな同じ地域で育った子供たちだった。夏休み、地域の子供たちを集めて緑陰学校を同じ町内に大きな庭を持つ家に人が開いてくれた。子供たちの前で、「ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた~」と歌を歌って遊んでくれたのはP大学の学生だった。そんな風に渉は、P大学があるこの地域で育ったのであり、大学はPと昔から決めていた。この大学に来るべくして入学したのである。いわば自分の家の庭同然の意識を大学に対しても抱いていた。
渉にとって学の独立とは、自分が生まれ育った土地で活動することの自由を守るという意味があった。
そして儒教の教えである。「仁義礼智信」という言葉。この五つの文字に込められた意味をこれまで深く考えたことはなかったが、こういう自分の身の周りに起こった大きな事件にあってわが身の立場を決めなければならなくなった時に、日本人が江戸時代から教え続け、渉が子供の頃から自然と心の底に染み込むように身に着けてしまっている規範というものに相談してみるのもいいのではなかろうか。子供のころから「義をみてせざるは勇なきなり」とか「師に対する礼節」をわきまえて育った。「義理がすたればこの世は闇だ」という演歌で歌われる義理は「義務」や村社会の掟のように否定的な意味を持っていたが、もともとの意味は、「人間として踏むべき道理」「正義」の意味なのだ。「自分の育った愛すべき土地、その中の学校という学び舎、俺にとって神聖な場所を、機動隊の編み上げ靴で踏みにじらせるな」という言葉で渉は自分の気持ちを整理した。
やがて文学部の執行委員長が立ち、逮捕された時の心構えとか、弁護士の連絡先とかをみんなに教えた。
それぞれが持ち込んだ寝袋や貸布団などに潜り込んで寝静まった頃、渉は近くでかさこそと言う物音を聞いた。それは、隣の男の立てる音らしかった。渉がなおも耳を澄ますと男は、どうやら自分の敏感な部分へ手を当てて往復運動をしているらしかった。機動隊導入という緊張に興奮したのか? こんな集団の中でマスターベーションするほど習慣づいてしまってるのか?渉はそのひそかな音を聴いて可笑しかったが、やがてすぐに可笑しさはいじましさ、みじめったらしい悲しさに変った。青年は「キュー」と小動物がたてるような小さなうめき声を挙げるとそのまま静かになった。
小一時間ほどたち、誰かが携帯ラジオのスイッチを入れた。ラジオの音は小さくて聞き取りにくかったが、しばらくするうち、前の方の学生たちのざわめきが聞こえ、立ち上がる気配がした。ラジオのボリュームが上がり、みんなが聞こえるようなアナウンサーの声がした。
「警視庁第五方面機動隊は、市ヶ谷署を出発し、いまP大学へ向かいました。本部封鎖を占拠している学生を排除に向かいました」
いよいよくるぞ! とだれかが叫んだ。みな一斉に寝袋から出て立ち上がった。
執行委員長は、学部ごとに守備位置を伝え、本部を出たら、まとまって行動するよう指示をした。
渉たちのグループは本部の東側にあるキャンパス入り口の広い階段の上に十列ほどのに重なってスクラムを組み横隊の壁を作った。
  (つづく)
 
   leo

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