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2008年5月に作成された投稿

2008年5月30日 (金)

工事完了

投稿者「叢林亭」:http://www.sorintei.com

ルルー氏がおよそ120年ほど前に、あつらえで据え付けた出窓の枠は、外してみると相当傷んでいることがわかりました。

「オレはピューリストだ・・・。」と自慢げに言う親方のお奨めは、同じスタイルのものをアトリエであつらえさせることでしたが、なにせすべて亜鉛板を手作りで形作ってゆくので一個につき数千ユーロかかる話でした。

2lucarnescopy 限られた予算で、それは到底ムリなので、傷んだ個所を鉛の板で補強し、防錆剤とペイントを塗り直し、元のものを据え直すことにしました。

リュシアンが理解を示してくれ、手間のかかる修理を面倒がらずやってくれたのが助かりました。

屋根と壁の境にはシェノーと呼ばれる内樋があって、ここに長年の間、家のすぐ横に生えている大きなアトラス杉の葉が落ちて溜まり亜鉛の板を腐らせていたのでしTrouzinc1_2 た。径が1cm以上もある穴が2箇所あいていて、そこから雨水が壁を伝わり部屋にまで侵入していたのでした。

亜鉛板の細工は長さが3mほどもあるカッターを使って切ったり折り曲げたりするのですが、主に親方の息子が来てやりました。

内樋を支える軒の石が一部欠け落ちていて、最初はこれは石工の仕事だと言ってToiture2copy いたリュシアンも方々手配しても来てくれるマッソンがいないとわかると、ロマンに命じ、欠けた部分を漆喰と石膏を使って上手に修復してくれました。

最後に頂上の風見のオオカミを載せ、7週間に渡るスレートの葺き替え工事は無事Lelou_2 終了しました。

おもしろかったのは親方に内緒で、といいながら余った200枚近いスレートを置いて行ってくれたことです。現場主任のリュシアンは自分の権限を最大限発揮して客に 心尽しをしてくれたのでした。

この記事はゲストハウス「叢林亭」に関するものです。http://www.sorintei.com をご覧ください。

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2008年5月20日 (火)

10年保証

投稿者:ゲストハウス「叢林亭」http://www.sorintei.com

フランスには10 年保証という法律があり建設業者は施工後10年間、工事の保証をしなければなりません。

リュシアンは若い二人、時に三人を上手に使いながら黙々と仕事を続けてゆきました。

Sommet4 瓦屋根の工事が5日で済んだのを見て、スレート部分は面積が約2.5倍だし、技術的に少し難しそうだから、工事期間は瓦屋根の3倍と見ていました。ところが実際は7倍かかりました。予算はこれだけと親方に頼み、見積も瓦屋根の3倍弱でしたから、7倍の時間を掛けたスレート工事の利益は相当薄くなるだろうと余計な心配までしました。

リュシアンは決して急ごうとはせず、若い衆を叱ったりもせず、自分が手本を示しながら丁寧な仕事を続けました。

瓦屋根の時は、欠けたり傷んだ瓦を取り換えましたが、3分の2は元の古い瓦をそのまま使ったので材料費は僅かで済みました。その冬で一番寒かった週だったので現場主任のマルセルは親方に通勤手当を要求すると言いましたが、最終日に親方が現場の確認と請求書を手渡しに来た時の、現場の三人の様子から親方は要求を容れなかったと判断できました。

Detailtuile マルセルは親方に内緒でと言いながら余った材料と引換に何がしかの飲み代を請求しました。きっちり三等分するのだとも言いました。50キロほどもある鉛の板のロールや5mの垂木など乗用車では運びにくくて欲しかった材料が手に入るので、もともと多少の志をあげる積りだったので喜んで取引に応じました。

親方の見積もりはかなりどんぶり勘定で余った材料の処分は現場主任に任されている。現場の三人は自分らのサラリーと比べて親方は相当に儲けていると知ってるので特別手当を要求したり、要求が容れられなかった仕返しに余った材料で僅かばかりの小遣い稼ぎをしたのだろうと推察しました。

2pic1copy マルセルと違ってリュシアンは自分に厳しい職人気質に見えました。リヨン地方の訛りのある話し方で時に息子には親父の権威をみせる言い方をして息子が反抗するようでした。親父の跡を継ぐのかと訊くとメカが好きらしく建機の運転手になるのだと答えました。

手間が掛っても丁寧な仕事をする。リュシアンはそれを職人の誇りとしているようでした。工事の進捗状況からの納期管理も現場主任の判断に任せているようでした。親方は本来、コストと品質の管理の他に納期も管理しなければいけない筈ですが、この親方は町の名士と狩猟に行くなどして仕事を取ってくる。もっぱら営業活動を親方の職分と定め、納期に関しては、いい加減。だから、1年以上客を待たせて現場は計画通り行かないとか、平然と言うわけです。

2000年の突風で沢山の屋根がやられ職人が引っ張りだこ。完全な売り手市場でした。1年以上待ったのだから、こちらも時間をかけて丁寧な仕事をしてくれた方がありがたい。施工後10年間は保証を義務付けられているのだから手抜きはできない。週35時間労働という社会党政権時代に北の工業地帯の中心リールの市長も務めるオブリー女史が作った法律も遵守しなければならない。フランスはやはり顧客主体よりも働く者中心の社会なのだと納得させられました。

Tetelou 1889年にこの家をルペルチェ侯爵未亡人から購入したヴィクトール・フレデリック・ルルー(狼)氏は屋根に風見の雄鶏の代わりにオオカミの頭を載せました。錆や汚れを落とし、塗装しなおして葺き替えが終わった屋根の頂上に据えつけました。最後に出窓の修理をして工事は完了しました。

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2008年5月17日 (土)

屋根職人の道具

投稿者:フランス、ヨンヌ県のゲストハウス「叢林亭」 http://www.sorintei.com

リュシアンたちが仕事を始めてからというものは、空が毎日晴れわたり、雨漏りの水をバケツに3杯も4杯も降ろしたことなど嘘のようでした。4月下旬の週末に1回雨が降ったきりで、5月16日に工事を終えて帰るまでの7週間は奇跡のように晴天が続きました。

ロマンは雨降りの翌日に近所の川で大きな川カマス(ブロッシェ)を4匹も釣り上げたとリュシアンの息子と話していたので、僕も会話に加わりました。その頃になると朝と昼に出すコーヒーのたびに少しずつ会話が交わせるようになっていました。

屋根の上での作業は日差しがもろに当たって暑いのでロマンは上半身裸で働いていました。降りてきたロマンに「スモウ」というと「寄り」のジェスチュアが返ってきました。テレビ・コマーシャルで「スモウ」はすっかり有名になってしまったのです。

ちょうど、フランスは大統領選の真っ最中で、社会党出身の女性候補、セゴレン・ロワイヤルとリベラルながら大衆路線を標榜するニコラ・サルコジとどちらに共感を寄せるのだろうと水を向けたところ、若いふたりは「どっちが勝っても、おれたちの暮らしに、たいした変わりはないさ・・・。」と政治には無関心のようすでした。

足場は三段に組まれ梯子を伝って最上階へ登ると、町外れの牧場や家並の向こうの城の塔がよく見えました。作業に疲れると時々ロマンは屋根の木組に腰を下し、遠くの丘を眺めたり、向かいの公園のマロニエの樹に棲むミミズクの鳴きまねをしたりしていました。

この際とばかり僕も足場を登り写真を撮りました。

最初の写真は屋根の稜線の部分です。

Cote1_2継ぎ目に隙間があるのに
雨は漏りません。

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2008年5月16日 (金)

工事開始

投稿者「叢林亭」:http://www.sorintei.com

親方が現場主任のリュシアンを連れて挨拶に来たのは、長い冬が明け、雪割草が白い顔をのぞかせた3月も中旬のことでした。「来週から始めるから・・・。」そう言い残して二人は帰ってゆきました。

しかし、リュシアンが実際に二人の若い衆を連れて現われたのは、それから2週間後のことでした。「田舎に用事ができて行かねばならなかったので・・・。」リュシアンは一応言い訳をしました。この際、1・2週間の遅れなど取るに足りない。1年と3か月待ったのだから。

いよいよ、スレート屋根の葺き替え工事です。どうやって葺くのか?シャトーの広大な屋根やノルマンデイー地方の民家で垂直の壁をスレートで葺いてあるのを見るたびに興味をかきたてられました。

Cutter1 最初の2週間は、足場を組み、古いスレートを剝して降ろし、傷んだ垂木を取り換え、小舞を打ち付けて行く準備作業に費やされました。

リュシアンが連れてきた二人の若い衆は、ひとりはずんぐりとお相撲さんのように肥ったロマン、もうひとりはリュシアンの息子でした。後に亜鉛板の加工になると親方の息子が来ましたが、大抵は、初めの三人が朝9時頃やってきて、昼休みを1時間取り、夕方4時には片付けて帰ってゆきました。週35時間の法律を順守しているのです。親方の事務所は同じヨンヌ県でも北の端にあり、60km離れています。「実作業の時間が短くてね・・・。」リュシアンが複雑な笑いを浮かべながら言いました。

スレート(フランス語でアルドワーズ)は天然の粘板岩で、泥土が川底に堆積し圧力を受けて出来た変成岩の一種です。薄板状に割れやすく、昔は子供が筆記用の石盤として学校へ持って通いました。最近では、ちょっと田舎風のレストランが趣を出すのに、その日のメニューをアルドワーズに書いて客に見せます。

リュシアンたちが持ってきたスレートは長方形の規格のサイズに切られたスペイン産の黒味が勝ったものでした。フランスではロワール河の河口近くのアンジェ周辺で採れるアルドワーズが最高級とされ、晴れた夏の日には青灰色の美しい輝きで屋根を際立たせます。しかし、最近は採り尽くしたといわれ、値段が高い。予算に限りがあったけれども、天然産がいいという家内の要求を容れ、親方はスペイン産を購入していたのでした。

「小舞と小舞の間隔は11センチだよ。」最後の日にリュシアンは余った200枚近くのスレートを親方に内緒で譲ってくれ秘法を伝授してくれました。長方形のサイズは32cmX22cmですから縦方向の約3分の1です。

スレートの止め方は2種類あって、上辺近くに穴を開け頭の平たく大きな釘で止めるのと、小舞に打ち込んだピンに下端を引っ掛けて止める方法があります。屋根の稜線部は別ですが長方形のスレートの縦3分の2を重ね、ちょうど魚の鱗のように葺いてゆく。露出して雨を受ける部分は全体の3分の1でしかないのです。接合部から侵入する雨は重ねた下のスレートが受けて流します。

Trapezoidal ようやく3週目に入ってスレート葺が始まりました。まず屋根の稜線部から葺いてゆきます。面と面の接合部で、ここがいちばん難しく、職人の経験と技が求められる作業です。「面と面の接合部が直線である」と単純に言っても現実は曲がったりでこぼこがあり、それを見分けながらカンと経験で雨が浸入しないよう葺かねばなりません。稜線部のスレートは写真のカッターで台形に切り揃えます。これはすべてリュシアンがやりました。

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2008年5月15日 (木)

試練の始まり

請求書は見積書とビタ一文違わない金額でした。これが、良心的で信頼のおける親方の評判を得ている所以だろうと了解しました。

家内が言うには、この親方はコンパニオンなのだと。門外漢の外国人には解りにくいですが、フランス人には、この一言ですべてを表わすような意味深い言葉のように聞こえました。昔勤めていた会社が建設業だったこともあって、この言葉を耳にしたこともあり、関係機関を訪れたこともありました。

コンパニオン・デ・ドウヴォワールという組織がフランスにあります。主に建設分野の教育・研修機関で、全国の企業から徴収する研修税を財源に、若者に技術と職業倫理の教育を施しています。その基本精神は、中世の石工の同業組合、フラン・マッソン、つまりフリーメイソンに起源を発しているといわれています。最初にできた本部はロンドンで、正規派と呼ばれ、パリの本部(グラン・ロッジュ)は非正規派と呼ばれ別名フランス大東社(Grand Orient de France )とも呼ばれますが、今日でも隠然たる影響力を政界に及ぼしている。フランス大革命に主導的な働きをなし(処刑された会員も多いらしいですが)、1789年の人権宣言の表紙にはシンボルマークの眼が見開いている。アメリカの1ドル紙幣にある「万物を見通す目」です。NYの自由の女神像はフランス系フリーメイソンの贈り物だという。モーツアルトが会員だったというし、アメリカの歴代大統領の14人が会員です。

すこし飛躍しました。フランスの建設業界では今日なお、この伝統的な教育システムで腕を磨き職を身に付けた人が多い。飛躍ついでにいうと、建設業はフランスの外貨の稼ぎ頭です。昔からの名門ゼネコンに加えて、ブイグやヴィンチなどが中東や中国で活躍しています。

中世からの徒弟制度の色合いを多分に残した教育制度。親方を中心に弟子が寝食を共にして修行する。現代工業化社会にこうした人間的な一人一人の個性を重んじる教育制度が残っている。魅力的で大いに興味を惹かれました。最近の若い人は嫌がって大企業の現代的な組織を好む。しかし、現代工業化社会とはT型フォードの流れ作業生産方式に始まって、すべてを規格化し、どの部品も置き換え可能なシステムを意味します。

ちょうど、フランスでは、今年がパリ五月革命の40周年にあたり、テレビで特集をやっていますが、僕が日本で学生だった頃は、学校が規格品人間を大量生産する工場に成り果てたことへの抗議と反抗が爆発し、バリケードやゲバルトが荒れ狂った時代でした。

コンパニオンでは全国の優秀な親方を訪ねて地方巡業をする。卒業制作を発表し、一人前の腕を認められると職人として全国に通用する。パリ市庁舎の裏にコンパニオンの本部があり、南西郊外のヴァレ・ド・シュヴルイユには緑に囲まれた広大な敷地にクーベルタン財団のアトリエがあります。ここでロダンや、パリのオペラ座を飾るブロンズ像を鋳造したとのことでした。とにかく、その教育・研修の施設と組織はすばらしいと感じました。

コンパニオンとフラン・マッソンについて、見聞きしていたのはその程度のことですが、屋根職人の親方がコンパニオンと聞いて、おおいに興味が沸きました。瓦屋根で待たされたにかかわらず、も少し技術を要するスレート屋根の葺き替え工事も同じ親方に頼んでみようと決めた次第でした。

Chantier

工事の見積りが届いたのは、瓦屋根の工事が終わって間もなくのことでしたから2006年の1月の中旬でした。「予算がこれしかないので、この金額に収まるよう見積ってください。」すこし恥ずかしくもあり、小声でいうのを親方は無言で聴いていました。その依頼通りの金額で見積りが届きました。しかも、アンジェ産でないとはいえ、スペイン産の天然スレートを使っての値段です。文句なしにOKのサインをして送り返しました。

しかし、それは試練の始まりでした。パパーンパーン。モーツアルトの魔笛の序曲で3度音が鳴り響きます。フリーメイソンの入所式の試練の合図だという説があります。発注から1年と2か月が経過しても、いっこうに連絡がありません。雨が降るたびに、試練が降りかかりました。雷が三つ鳴る。さあ、たいへん。雨漏りがはじまる。屋根裏に空き缶、バケツ、ポリ容器と、ありとあらゆるウツワを並べ、風向きによる漏水箇所の微妙な変化に合わせ容器を移動しなければならない。大雨の日には容器に溜まった水を集めると、3杯も4杯ものバケツの水を降ろさねばなりませんでした。ついには家の部屋の壁に雨水が浸入し、まっ白くきれいな壁が茶色に変色し、シャンピニオンが生えだす始末です。

「なんで、こんな辛い思いをしなけりゃならないのか?」コンパニオンに信頼を寄せたばかりに、こんな試練を享けねばならない。「信頼をいいことに、どこまでつけあがるつもりなのか?」怒りが込み上げ、なんども家内と言い争いをしました。うちひしがれ、しまいには、なるようになれと投げやりになりながら、それでもいつかは来てくれる筈だと、難破船の甲板で塩水に打たれながら救助を待つ難民のように、一縷の望みに希望を掛け待ち続けたのでした。

ここで取り上げているのはフランスはヨンヌ県の叢林亭の工事です。詳しくはサイト:

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2008年5月13日 (火)

瓦屋根

瓦屋根の葺き替え工事をしたのは2006年の1月のことでした。その夏、発注した時に「いつ来てくれる?」と訊くと「10月」という返事でした。その頃はまだパリ近郊のアパートに住んでいたので、工事の間はどこへも行かず田舎の家に住まないといけないねと家内とも話し合いました。

しかし、10月が来てもいっこうに知らせがありません。事務所に電話すると、秘書の女性しかおらず、スケジュールについては親方しか知らないとまるで子供のような返事です。やっと親方を捉まえ、「10月と言ったじゃないか」と詰め寄ります。「それは、予定の話で、工事いうもんは予定通りゆくためしがないんですよ。」まるで現場を知らない客を非難するような言い草です。「いま抱えてる大きな現場で問題が生じて、現場主任の手が離せないので、もうしばらく待ってほしい。」

それからも何度催促の電話を掛けたことでしょう。そもそも、この親方を選んだのは家内が昔住んだ町の古い家をこの親方が買い、顔見知りだったということと、市役所から信頼を得て仕事を貰い、この地方のあちこちで屋根を修復している良心的な職人だという評判からでした。
Tuilesetardoises 「旅行にも行かずに待ってるんだよ。工事の間は家に泊まらないといけないから、いつごろになるか教えてほしい。」「留守でもかまわないですよ。工事はやれますから。」

瓦屋根は路地に接し、市役所に申請して路地に足場を組む許可を取ってありました。「冗談じゃない。足場を組み、屋根をぽっかり開け、まるで、泥棒さん、入ってくださいと招くようなもんじゃないか。」あちこちで空き巣や強盗のニュースが絶えないきょう日です。「ああ、そうか。」親方の答えはまるで他人事でした。

「現場主任をひとり雇わなくちゃいけないな。近いうち見つけるから、しばらく辛抱してください。」個人住宅の工事の伝統的発注の仕方は見積書にOKとサインし送り返すだけです。納期に関し、なにも条項がなく、業者の都合に全面的に任せる形です。見積金額の有効期限だけは3か月と記され、業者の都合で工事が遅れる場合は、物価上昇に因る損失は業者が負うと但し書きがついているので、いくら遅れても、完工後の請求書は見積金額どおりなんだなと了解していました。

「明日、行くから。」正月の気温が零下7℃の寒い日に電話が掛ってきました。待ちわびていたことなので四の五の言わず、その日のうちに家を移りました。翌朝小型トラックで現場主任のマルセルと若い見習いが二人ちゃんと姿を現わしました。その週は毎日が、氷点下の日で、鼻水が氷り、雪がちらつくなどし、一日は田舎の道の路面が凍結し、三人は来ませんでした。その一日を除いては毎日、朝と午後、熱いコーヒーを出して元気づけ、職人さんたちは陽気に冗談を飛ばしあいながら働いて、正味5日で瓦屋根の葺き替え工事は無事完了しました。

ここでいう田舎の家とはフランスはヨンヌ県の叢林亭のことです。詳しくはhttp://www.sorintei.comをご覧ください。

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2008年5月12日 (月)

時間について

前回は長さの単位について書きました。重量の単位のキログラムはいまだに現物を原器としています。キログラム原器もフランスにあり、日本の筑波にある複製はほんの少しだけ重さが違うらしい。指紋の重さに相当するコンマNミリグラムの誤差があるとのことです。

Peche1
パイプの径やネジ山の他にフランスでポンドを使うのが魚釣りで使う魚の重量です。

釣りの雑誌によく、怪物みたいに大きな鯉だのブロッシェ(川カマス)だのを両腕に抱え満足げな顔のオジサンや少年の写真が載っていますが、釣り上げた魚の重量の表示がリーヴルなのです。ポンドのフランス訳でしょうか。それとも昔の単位を使っているのか?


「マチュー君は奮闘1時間の末、20リーヴルの鯉を釣り上げ、ロワレ県の新記録を達成した。」つまり10キロの鯉なわけです。鱒釣りのフライなど技巧を尊ぶ英国から入ってきたフィッシングの分野ならわかりますが、太いミミズや小魚を餌に釣りあげたブロッシェやペルシュまでもリーヴルで表示するのがおもしろい。

科学研究と違い日常生活での度量衡はおおよその距離や重量がわかれば事足りるので、多少の誤差で騒ぎ立てる必要もないわけですが、話の糸口として、単位を持ち出したので、これから数回に渡り、家の工事とフランスの工場での体験を、お話したいと思います。多分に飛躍に満ちた論法となりますがご容赦願います。

時間について少し。不勉強の僕は世界中で使われ僕らの日常を支配している時間がどうやって定められたのか知識がありません。ここで言う時間は、物理的時間よりむしろ、主観的な時間。内的時間と言ったら良いのか、下世話に言う腹時計のことです。

長年フランスで暮らしてみて、最近はもう、慣れてしまいましたが、初めのころは、いったい、フランス人なるものは、時間の観念を持ってるのだろうか?とよく疑わされました。人を待たせることが平気。約束に遅れても屁とも思わない。例外的な人が居ないことはないが大半のフランス人は他人のために決して急ごうとしない。

いったい、この人たちは、他の国の人々と同じ時間の単位を使ってるのだろうか?だいいち腕時計を身につけて出歩く人が圧倒的に少ない。社会が押し付ける物理的時間にいやいや従ってることが明白です。彼らが本当に従う時間は、自らの内的な時間なのだな、と感じさせられました。幸福とか生甲斐についての表現に、生の流れの赴くままにとか、内的時間の主体的な動きに従う生き方への憧れを見てとることができます。

これから少しビジネスに関わる話をしてゆきます。品質、価格、納期と競争力の三大要素のうち、フランス人には特に納期の観念が欠けていると言わざるを得ないからです。ただ、かくいう僕は、郷に入れば郷に従え。この国で自分一人急いだって仕方がない。今までさんざんひどい目に会った末に、彼らのような生き方ができれば、確かに幸福だろうなと思うようになっています。


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2008年5月 1日 (木)

メートル法

フランスでゴルフをする時ついてまわる問題に距離の表示があります。
「1番ホールはパー4で435メートルですよ。」
「メートル?弱ったな。狂っちゃうな感覚が。ゴルフはどこでもヤードなんじゃないの?」
「中野さん。フランスはメートル法の発祥地ですからね。」
「そうだったかね。えーと。ヤードに換算すると幾らかね?」
フランスでゴルフを始めた僕の方が特殊なのかもしれませんが、日本だって道路標識はすべてメートルなのに、なぜゴルフだけヤードなの?と逆に訊き返したくなります。この練習法ならドライバーの飛距離が「300ヤードは軽く飛ぶ」ようになると。日本でゴルフを語る時はヤードを使わねば始まらない。
フランスの田舎の畑の中の一直線の高速道路をドライヴします。速度制限の標識に110/130とあります。「マイルですかキロですか?」と中野さんがまた質問を発します。「やだなー。いまどき、全世界どこいったってメートルじゃないんですか?」「アメリカもカナダもマイルだよ。フランスだけ特殊なんじゃねーの。」
そうかな。そんなはずないと調べてみました。やっぱり中野さんが間違ってました。パリへ着いたばかりの頃、もう30年も昔の若かりし頃ですが、好奇心も旺盛だったので、メートル原器なるものを見に行きました。ブローニュの森を抜け、セーヌ川の橋を渡り、セーヴル焼の工場の近くの建物の中にそれはあった。白金90 % イリジウム 10%の合金で出来ている原器はガラスの箱に厳重に保管され、金の延べ棒なんかよりよっぽど貴重に見えた。ふうむ。これが世界中の定規の元になった原器かと感慨に打たれたのを覚えています。
フランスでメートル法が提唱されたのは200年以上も昔、大革命の翌年の国民議会でタレーランによります。何をもって1メートルとするか、それがすごい。「地球の北極点と赤道までの経線の距離の1000万分の1」が定義です。そんな昔、どうやって測ったんだろう?という疑問が当然沸きます。「ダンケルクとバルセロナの距離を三角測量し、計算で出した・・・。」とあります。
そうして決めたメートルも中々普及せず、1837年に1840年以降はメートル法以外の使用を禁じ、違反した者には罰金を課すと法で定め、ようやく普及し始めたそうです。フランス国内でさえこの体たらくですから、ましてや外国では・・・。
日本でも僕が子どもの頃はまだ尺貫法が残っていました。敷地や建物はもちろん、お酒は一升だし、お米は五合、距離も尺と里が日常使われていました。学校ではメートル法を習っていた僕らでも、特にお相撲さんの体重は貫目でないとピンときませんでした。栃錦は34貫、鏡里、吉葉山40貫。これが120キロと言われるともう日本の国技たる相撲ではなくなってしまう気がしました。そこへゆくと、ボクシング、プロレスは「白のコーナー、xxx。○○パウンドー」とコミッショナーの威勢のいいマイクの声が場内に轟いてこそ、さあ、いよいよ始まるぞ・・・と心臓がドキドキした。
1875年パリでメートル条約が17カ国の代表の署名を得て締結されます。
日本は1884年のメートル原器製作を機に加盟し、1889年に22番目の複製を貰います。日本にこの原器が到着したのは翌年のことでした。
それから今日まで普及に大変な時間が掛っています。
尺貫法が廃止されたのは1921年。そして1959年になって、土地、建物の表記を除き、メートル法を完全実施する法律ができ、全国実施されたのはなんと、1966年4月1日からのことに過ぎません。原器到着から76年も経っています。
いかにプラチナで作ってあるといっても人工物では気象条件、経年変化が避けられない。そこで1960年の総会で物理現象に基準を置くように変えられます。
「クリプトン元素が発する橙色の光の真空中の波長のxxxx倍」なんという精度でしょう。さらに1983年には「1秒の光の伝わる距離のxxx分の1」と定められます。光の速さは1秒に30万キロメートル、地球を7回り半だよと子供の時教わりましたから、ほぼそれが基準になったわけです。
はじめに戻りましょう。ヤード・ポンドを使っているUSAと英国が本場で、フランスが特殊なのか。調べたら、とんでもない、とわかったのです。
1875年パリで締結されたメートル条約にはUSAはなんと最初から原加盟国として署名しています。法律上はUSAでさえ、メートルが正式単位なのです。頑固おやじがたくさんいて、フランスが決めやがったメートルなぞ使えるか。それが実情だから、慣習上の単位(Customery unit )としてマイルとかフィートとかヤードの使用を認めているだけなのです。
ヤード・ポンド法というのは日本だけの呼称のようです。英国人はさすがにImperial unitと呼ぶそうです。その英国でさえ、1995年に国際単位、つまり、メートル法に移行し、2000年にはヤード・ポンドの使用を禁止さえしているのです。ただし、一部を除いて、とある。これがくせものなのです。ゴルフはヤードのままだろうし、航空宇宙分野では、ヤード・ポンドなしで仕事はできないそうです。USAでもアメリカンフットでメートルは使わないでしょう。しかし、いまや世界中でヤード・ポンドの使用を禁じていないのはUSAとミャンマーとリベリアだけだそうです。
それじゃあ、フランスが提唱したメートル法が全世界に普及し、めでたしか。フランス国内ではメートル法さえ知っていれば問題ないかというと、そうはゆかないのが、この度量衡の複雑なところです。
フランスの、それも日常市民が触れる分野で、今もって、歴然とヤード・ポンドが使用されています。配管のパイプの径、ボルト・ナットのサイズ。それを締めるスパナの口の幅、これらが公然とプッス(親指のこと、つまりインチ)で表示されているのです。日曜大工で水洗トイレのバルブを取り換えようと定規でサイズを測る。家にはミリ・センチ単位の定規しかありません。店に行くとフランス製でもみんなプッス表示です。伝統なのでしょうかね?昔ぼくらが横綱の体重をキロで言ったら相撲じゃなくなると感じたように。ネジ山の切り方にはインチとミリとが混在していて、ややこしいこと極まりない。これが実情です。
慣習だ。と言ってしまえば、それまで。僕らでさえ、朝市で野菜を買うとき、シャンピニオン(きのこ)を指して「ユヌ・リーヴル・シルヴプレ」と言ったりします。その方が 「ツウ」じみてかっこいいから。そういう心理が働いていると思います。500グラムくださいじゃ、化学の実験くささがある。いまだ「法律違反だぞ。」と言われたためしがありません。ポンドのフランス語訳がリーヴルですが、昔からの単位でパリでは489.5グラムだったそうです。粋がるにも、10グラムばかり損をする覚悟がいるわけです。

フランスの田舎に住むと昔の単位を使わされます。暖炉で燃やす薪を注文するときはステール(stere=1m3)、体積の単位です。ゲストハウスのホームページ:http://www.sorintei.com をご覧ください。

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