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2008年8月に作成された投稿

2008年8月12日 (火)

門柱を作る

投稿者:ゲストハウス・叢林亭:http://www.sorintei.com

人はものを作るにあたり設計をする。家などの建造物、車などの工業製品はもちろん簡単な小物でも、ちょっと手の込んだものや精度を要するものは設計図を起こし、細部まで検討してから制作にとりかかる。

設計図を描くときはあらかじめ完成時の姿が出来ている。あるべき全体の姿のイメージが描く人の意識にあって、そこから細部に降りてゆく。

車が楽に出入りできる巾約3m の門を作りたい。すこしは見栄えのする門扉を取り付け開閉をリモコンで自動化する。門扉は夏の樹の葉の深緑。門柱はピュイゼの環境に合わせたレンガ色がいいな。門の開け閉めを自動化するには門柱がぐらついてはダメなので鉄筋入りのコンクリートにしなければならない。レンガを積んだ門柱では片側150kgの重量を支えきれない。ちょうど、それに適した材料を近所のプロ向け建築資材を売る店で見つけた。40cm角の底のない枡の形のブロックを積み、中に鉄筋を入れコンクリートを流し込み、外をレンガ色の素焼の化粧タイルを貼れば外見はレンガを積んだ門柱に仕上がるのだ。

鉄筋とブロックと砂利と砂、セメントを先に買い設計にとりかかった。
基礎のコンクリートまではあらあらの寸法で足りるが門柱の位置、中に入れる鉄筋の位置からは5mm単位の精度が要る。実際垂直に立てるべき鉄筋をすこし傾いたまま固めてしまい後でブロックの縁の内側を少し削らねばならなかった。ほかにも設計の段階で細部を見落としたため、門扉を支える肘金物 (フランス語でゴンgondという )の位置を上下とも 5mmほど修正しなければならなかった。タイルを貼る糊の厚みを忘れていたからである。

ぼくはやはり神様とはかけ離れた存在だ。ただの人でも忘れ物をする、どっちかというとダメな方に近いひとだとそのときも悟った。前回、ジェームズが設計という人間の行為が神の創造に通じると書いていることに触れたが、ここでも神様の完璧とは遥かにかけ離れたヌケサクぶりを実感しながらタガネを振って穴の位置を移動したものだ。

神が宇宙を創り、太陽と地球を作り、ありとあらゆる生物と人間を造った、という神話はそれなりに壮大でこころを宇宙の始原にまで向けてくれるが、ここでまたちょっと、ぼくの悪い癖をだして屁理屈をこねさせてもらう。設計をしてみると解るが、どんなに簡単なものでも、設計者は、あらかじめ完成時のあるべき姿をイメージとして持っている筈である。神様が宇宙と生物を造りはじめる時点で、すでに出来上がりの姿がお心にあったというのがぼくの説。

ところで、完成時のあるべき姿というものは何もない無の状態から生まれうるものだろうか?

すでに在るもの。過去にあったもの。なにがしかの見本、モデルがなければ完成時のイメージは持ち得ないのではないかというのが、ただの人が抱く素朴な疑問です。

神様が、この宇宙をお造りになる前にすでに見本となる宇宙があった。人間を造る前に人間のモデルとなる生物があった・・・。モデルの前に別のモデルが・・・。無限に遡っていった先は?

もちろん創造の過程で、ぼくらただの人間のように、忘れてたことを修正し、変更を加え、改善を重ねてゆくことができる。ただ、できれば神様としては最初から細部に至るまで完璧な完成品の姿を持っていてほしい。

Pilier1 汗をまき散らしながらツルハシとスコップを振るい、やっと深さ70cm、巾30cm、長さ6mの溝が掘れた。

捨てコンを打ち、鉄筋を置き、計算した位置に鉄筋を立てる。

設計は完成図からの逆戻りというのを繰り返すと、縦の鉄筋の位置は、門柱ブロックの厚み、化粧タイルの厚み、門扉の縁と化粧タイルの間に空ける隙、左右の門扉の間に空ける隙、これらをすべて計算に入れて決める。左右の門扉の縁と縁に空ける隙は広すぎてはピタリと閉じないし、狭すぎてはモーターで自動開閉ができない。

基礎のコンクリートを打ち、二三日置いて養生した後、固まった基礎の上にやっと門柱のブロック第一段を置くことができた。一段積んでは生コンを流し込み棒で突き固め一日置いて次の段を積んでゆく。こうして左右のブロックを6段積んだ段階で古い鉄柵を撤去した。

この錆びた鉄柵は頑丈なT字鋼の支柱に留めてあり、支柱はさらに地中深くコンクリートの基礎に埋まっていた。ぼくに工場の現場の経験がなければ、これを見ただけで手に負えないと業者に頼んだだろう。自動車工場のプレスショップの型保全という現場で働いたお陰で、鉄というものが布と同じように柔かくて伸びたり切れたりし、サンダーという道具を使えば楽に削ったり切ったりできるのを見ていた。夜勤の人気のない時間に、こっそり持ち込んだゴルフクラブのヘッドを削ってみたりもした。

電球を換えることもできない哲学者なら、むろん、サンダーを使うことなど思いもよらないだろう。業者に依頼し金を払って済ませてよしとするだろう。それでは物を作る喜びと痛みを感じないまま生を終えることになる。硬い物質の抵抗と、手を通じ腕や肩、腰に跳ね返ってくる力を感じることで、人間は意識の外にある物質の世界の認識を深めることができるのだ。

錆びた扉と支柱はサンダーでカットしリヤカーに積んで近所の廃棄物集積所へ
運んで捨てた。Middle

プロ向けの材料を販売する店が近所にあると書いたが、そこで砂利、砂、セメント、ブロックを買いリヤカーに積んで運ぶ作業を何回か繰り返した。肩と腰が痛くなる作業だった。

この店は個人にも小売してくれるが消費税(TVA)が業者へは5.5%なのに個人は19%と高い。化粧タイル購入にあたってこれが原因で、ハプニングが起こり今も痕を引いている。それについては次回にゆずる。

この記事はゲストハウス「叢林亭」に関するものです。詳しくはホームページをご覧ください。http://www.sorintei.com

やさし砂 鎌いらず

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2008年8月10日 (日)

ゼロからでなおす

投稿者・ゲストハウス「叢林亭」: http://www.sorintei.com

やはりパリに着いたばかりの頃、屋根裏部屋に落ち着くよりもっと前のことだ。居候させてもらっていた7区のブルジョワの家の夫人が朝あわただしく部屋のドアを叩いた。数日前に紹介してもらったばかりのエリザベットから緊急の電話だという。

いそいで電話にでると叔母さんが運転手をしているサルトルに会わせてやるから大至急モンパルナスまで来いという。急いで着替えをして約束の場所へ行く。墓地の横のカフェに叔母さんが連れてくるという。ただし老いた哲学者は疲れていて休みにくるのだから握手するだけはいいが言葉は交わしてはいけないという。

Sartre5 せめて学生時代あなたのことをレポートに書きましたとだけ言わせてほしいというと、じゃそのひとことだけと許してもらった。カフェへ行ってみるとテラスの陽だまりに叔母さんと並んでふたりだけ座っていた。不精ひげボウボウ。太目の毛編みの薄汚れたカーデガンにサンダル履きと町の哲学者の風貌そのものだった。

エリザベットが紹介してくれ、彼女の許可を得た言葉を早口で言うと、老哲学者は破顔して手を差し出し握手をくれた。二つほどテーブルを置いた席に30分ほどの間、この著名な哲学者の傍に居る幸福を得た。

その数年後にサルトルは他界した。疲れているから話してはいけないというエリザベ ットの警告は言われた時は侮辱的に感じたが、老いた哲学者への敬意として妥当だったのだ。

Maisou モンパルナス墓地へ運ばれる棺に別れを惜しむ数千人のひとたちが葬列を作って進んだ。ぼくも若者たちの列に加わったが、ひとりひとり手をつなぎあい、彼らを繋ぎ合わせてくれた思想の師( Maitre Penseur )に心からの惜別を送った。ひとつの時代が去ってゆく思いがした。Hakasartre

ぼくらの青春時代は世界はまだ二極体制のまっただなかにあり、ヴェトナム戦争と文化大革命の嵐が吹き荒れていた時代 だった。サルトルの「存在と無」は読もうとして買いはしたが結局はじめの数ページで投げ出してしまった。現象学というのが親しく感じられなかったし、唯物論か唯心論かという哲学の永遠のテーマをめぐる認識論なのだろうとしか理解できなかった。

ただ、哲学者自らが「実存主義とはなにか」という題で思想を通俗化して紹介した講演を本にしたものだけは原文で読んだ。それをもとにレポートを書いた。「実存主義はヒューマニズムである」と解りやすく通Sartre4俗化して要約した講演の中で、サルトルは「人間の生きる意味は各人が未来へむけて行う投企( Projet )にある」と言っている。

もちろん、ここでサルトルが言う Projet とは、ナチ占領下でレジスタンスに加わるとか、カタロニア支援の義勇軍に加わるとかの、政治的アンガージュマンに重点が置かれ、現在ビジネス世界の至る所で使われているプロジェクトよりは、よほど広い意味の全人的存在を賭けた社会的行為というほどの意味。

サルトルに会う幸運を得て数ヵ月後の夏、ソルボンヌの文明講座で現代文学の教授が、「電球のタマひとつ換えられない哲学者」と、サルトルを戯画的なインテリの代表みたいに揶揄して言った言葉が記憶に残っている。

サルトルは本を山のように書き、何千万という言葉を費やしてハイデッガーやマルクSartre2 スを論じた。そして68年のパリ革命の時には、ブローニュのルノーの工場に出向いて労働者を相手に演説をぶったりもしている。

ルノーの労働者がどれだけサルトルの言葉に耳を傾けたか疑問が残るように、電球を換えるという極めてプラグマチックな行為ひとつできない、と揶揄した教授の言葉はサルトルの哲学の日常生活を営む上での諸問題の解決にはまったく役に立たない観念性を突いている。

専門分野で前人未踏の仕事をすれば、べつに電球なんか換えられなくったっていいわけで、「すがめの哲学者」をこきおろした教授になんとなく名声への嫉妬が感じられもする。ノーベル賞を拒否したくても、候補にさえあげられない物書きの方が圧倒的に多いのだから。

その後、世界は急速に変わり、東欧で革命がつぎつぎに起こり、ベルリンの壁が壊され、ソ連が崩壊した。中国も共産主義という政治体制を護持しながら経済的には「同じネコならネズミをたくさん捕るネコのほうがいい」とかの一言を皮切りに自由経済に走り出し、いまやその奔流は世界第3位の経済大国。日本を凌ぐのは時間の問題といった有様。10数億の国民が衣食住を満足して暮らすにはネズミをたくさん捕るしかないという、極めてプラグマチックな方針転換だった。

その頃、アメリカの哲学者ジェームズの本を読んでみた。彼が書いた本の中に、人間が行う「設計」という意識の働きが神の創造に通う行為だという一節があり、感銘とともに何か目が覚める気がしたのを覚えている。

つまり「プラグマチズム」の哲学者が言うところの設計(フランス語でProjetということもある)とサルトルが唱えたProjetの基本には共通のものがある。そこには西洋の神、キリスト教文明に根付いた人間と自然、精神と物質に関する考察に共通の基盤があるという思いだった。東洋人の自然環境との融和、なりなりになってできてしまった世界という世界観とは違うものがあるということを再認識させられたのだった。

 

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パリのロビンソン

投稿者 ゲストハウス「叢林亭」: http://www.sorintei.com

ツルハシをうちおろす。ズシッと土に喰い込む手ごたえがあった。
つぎの一打ガチッと固い物に当たる。
ここの土には、陶器や瓦の破片、黒い鉄鉱石とコークスの焼結した固まりがやたらと埋ってるのだ。
むかし、鋳物工場でもあったのか? なにしろ、シャトーの近くだからな。
ローマ人の侵略よりずっと前、鉄器時代には、オークセールの周辺で製鉄が盛んだったことが、発掘で明らかにされている。
この辺の天然石は鉄分を多く含んで黒褐色だ。

Photo とにかく、原野や畑など開墾地じゃなく遠い昔から住宅地だったってことだろう。ポチがワンワン吠え、掘ったら大判小判がざっくざっく出てきたのは正直爺さん。

ガレキばかりが出てきたのは意地悪爺さんだ。
するとオレは意地悪爺さんてわけだ。
クソいまいましい。
汗を撒き散らしながらツルハシを振い続ける。

60過ぎたオレがなぜフランスくんだりまで来て土方仕事してるのか?

やさし砂 鎌いらず

パリへ着いたばかりの頃だった。狭い屋根裏部屋で、やっと独りになれた安堵と引替えに、これからはすべて独りでやってゆかねばならない不安に身を引き締めた。

滞在費が残り少ないのを気にしながら、すべてを「ゼロからやりなおす」と心にきめた。あの緊張感を思い出せ。

おれはバリのロビンソン・クルーソーだ。

雨露をしのぐ小屋。水と食料の確保。生きて日が経ってゆくことの証しの日記。連れ合いの犬とオオムとフライデー。

これからは、ひとに頼らずなんでもまず自分でやる。
消費社会のサイクルから抜け出し、生きて行くのに最低限必要なものかをひとつひとつ確認してゆく。どうしても必要か確認しないまま、金さえ払えば手に入るものに手をだしてはいけない。

そうやって、30 年間、確認したものだけを所有して辿り着いた結果がこうだ。
これ以外は捨ててきた
。むかし否定していたことも、偶然も手伝ったが、納得した結果、肯定にかわり所有した。精一杯検証したあと、受け入れるのが正直だと信じて選んだので後悔はない。疾しさを感じることがあるにはある。ただ、いまは考えないでいる。

この記事は「叢林亭」の工事に関するものです。http://www.sorintei.com

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2008年8月 5日 (火)

門の工事

投稿者: ゲストハウス・叢林亭 http://www.sorintei.com

屋根工事のあいだ出来なかった門の工事に6月に入るとすぐにとりかかりました。

前の家主が残して行った錆だらけの鉄柵をT字型鋼の鉄柱に取り付けただけの出入り口を、すこしは見栄えのする門にしたい。そして開け閉めを自動にしたいとの意図のもとに計画を1年ほど前から練り、市役所経由で建築許可も取ってありました。

道路と敷地の境界線の確認に来た建設局の役人は、門を敷地内に3m引っ込めて造るといいと推奨して帰りましたが、隣人の工業専門高校の先生が前の年にやはり門を造ったので訊いてみると、境界線以内はあんたの自由だから、役人の言うことなど聴く必要はないよと教えてくれました。彼は境界線ぎりぎりに門扉を据え、自動開閉にしました。

役人が3m引っ込めなさいと言ったのには訳があります。敷地と向かいの公園の間を走っている県道はオーセールとオルレアンを結ぶ幹線道路でトラックがよく通ります。
夏の農繁期になると耕運機や大型の容器などを積んだ特別輸送車が通ります。道に車を置いて門の開け閉めをしていると時に迷惑を掛けるので、それは避けたい。

妥協策として門を敷地内に1mだけ引っ込めて造り、左右の通行を確認してから道に出る。開け閉めを自動にしておけば故障の時を除きリモコンで走りながらでも開閉できるから交通障害にはなりません。

門扉と留め具、自動開閉のアームとモーターは建具の大手チェーン店でフランスを代表するガラス会社サンゴバンの子会社で購入してありました。ここは見積り金額も納期もはっきりしていて入荷すると電話で連絡をくれました。リヤカーに約300kgの門扉大小を積んで50キロの道のりを家まで走りました。

右下の写真は半ば完成した門を向かいの公園から撮ったものです。

Porteface2_2

やさし砂 鎌いらず

下の写真は工事前の出入り口の状態です。

Avant2_2

業者に頼めば楽だけれど、いつ来てくれるかわからない。ほぼ一方的に業者の意思に振り回される。予算もないし、いっそのこと自分でやろうと意思を固めたのは、いつまで待っても一向に来てくれない屋根職人に業を煮やし始めた頃でした。屋根だけは一歩踏み外せば命にかかわるとあってじっと我慢するほかありませんでしたが、門ならば土方工事が多少キツク、コンクリート練りが大変でも転んで命を落とすことはないし、安全具を着け用心してやれば怪我くらいで済む。次に買ったのはツルハシとコンクリートミキサーでした。

そうして五月中に設計に入り、材料の購買と基礎工事の穴掘りを始めました。

工事現場の写真です。

やさし砂 鎌いらず

Chantier1

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