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2009年5月14日 (木)

カタリ派について-その1

投稿者:叢林亭:http://www.sorintei.com

12世紀から13世紀初頭に、北イタリアから南フランスにかけて、カタリ派と呼ばれるキリスト教の一宗派が急速に広まり、ローマ法王を震撼させた事件がある。ローマ・カトリックはこの宗派を異端として過酷な弾圧を加え撲滅した。「アルビ十字軍」として歴史に記録される事件である。

異端が広まった背景には、社会的、政治的に様々な理由があったが、根源的にはローマ・カトリックの腐敗と堕落が齎したものといえよう。高位聖職者たちの蓄財、贅沢、吝嗇、聖職・聖物売買など、道徳的腐敗が目立ったにもかかわらず、それを認めようとせず仲間内で保護し合って、ついにはそれを批判する聖職者たちを追い出し、弾圧する過程をたどった。

たとえば、ドーフィンヌ県の聖職者、ピエール・ド・ブリュイは福音書の精神に動かされて汚職や腐敗のはびこるカトリック教会を非難する説教を始めるが、20年後には、サン・ジルで火あぶりにされてしまう。カタリではなかったにもかかわらず。

ローマ教会の高位聖職者たちを批判する修道僧たちが出てくると、危機意識から、かれらを異端あつかいした。悪性腫瘍みたいな異端が教会の領地を侵しているとか、異端はペスト菌のようだとか、爬虫類みたいに陰険だとか、まむしやサソリみたいに毒をもってて危険だとか、異端の毒に犯された信徒たちは高利貸しで儲け、窃盗、殺人を平気で犯し、乱交や近親相姦など肉林の喜びを犯しているなどと吹聴し、悪霊つきや魔女扱いをした。

カタリの信者はラングドックの職人や商人や貴族たちが多かったが、こういう新興階級が古い教会を離れ、教会の収入が減り、既存の特権階級が利益奪還のために十字軍という聖なる名を借りて戦争を仕掛け、逆らった人たちを皆殺しにした。アルビ十字軍の弾圧がなければカタリは確実にラングドックの主要宗派になっていたろうといわれている。

筆者がカタリに興味を持ったのは、彼らが ①輪廻転生を信じ菜食主義者であり仏教の思想と似た考えをも持っていたということ。さらに ②カタリの起源が、前回触れたアウグスチヌスが若いころその信者であったマニ教にあり、これはペルシャのゾロアスター教、さらには中国の道教の陰と陽の考え、善悪二元説をとっており東洋に淵源がみとめられること、などからである。

カタリは善悪二元説を唱え、さらにカトリックの十字架崇拝と秘蹟を拒否し、ドセテイスム(キリスト仮現説)を採ったがために異端とされ弾圧されたのだが、これについては後ほど触れる。

まず歴史的事実から、「アルビ十字軍」とローマカトリックとフランス国軍によるカタリ弾圧を時系列的にみてゆこう。

1208年、教皇特使のピエール・ド・カステルノーが暗殺され、カタリはこの事件とまったく関係がなかったにもかかわらず、ローマはいい機会とばかりカタリ弾圧の指令を発した。

Monfort1 シモン・ド・モンフォールはアルビ十字軍の指揮官に仕立てられた軍人で、法王やフランス王の期待以上に弾圧を繰り広げて、殺すこと自体に快楽を味わっていたとしか思えないくらい虐殺に血道をあげた。

1209年7月、リヨンに集結した3万の大軍は、シトー派の僧侶に先導され、シモン・ド・モンフォールの指揮のもとに南下を開始した。時の法王インノチェント3世の命令は「皆殺しにせよ」だった。

ヨーロッパで最初のジェノサイドが法王の命令で実行された。トウールーズ、アルCapitol ビ、ベジエ、カルカソンなどラングドックの主要都市がつぎつぎと攻撃され、異教徒の烙印を押された人々が火あぶりで焼き殺さCarcassonne3 れていった。

弾圧は四分の一世紀に渡って続き、犠牲者のなかには、カタリ派の信徒だけでなく、ラングドックに定住していた沢山のユダヤ人がいた。

1243年までに、南フランスの重要拠点はほとんどすべて膝を屈し、カタリ派は根絶やしになった。その中で、ただ一か所、誇り高く、勇気と信念を燃やして、天高くそそり立つ岩の上の砦に立てこもって抵抗を続けた信徒がいた。その岩山をモンセギュールという。弾圧側の人々はこの城砦を魔の砦と呼んだ。

1243年の春、約一万の騎馬兵、フランス軍が砦を包囲した。数か月に渡る包囲にも拘わらず砦は落ちなかった。付近の住民と城砦内部に立てこもっていた信者たちの間で通じあい、水と食料を補遺網を縫って運ぶ込むことができたらしい。

Montsegur11 砦の攻囲は約一年に及んだ。

1244年3月にモンセギュールは陥落し、カタリの異教徒はフランスから公式には姿を消した。

公式には・・・。

あちこちにゲリラが隠れ、秘かに信仰は続けられた。さらに民間伝承を生み、トルバドールなど吟遊詩人を通じて詩の中に巧みにコード(暗号)を盛り込んでメッセージを伝えあった。さらに、伝説では、降服の前夜、城からある宝物が運び出された。その宝物とは、なにを隠そう、かのキリストが最後の晩餐に使い、磔刑の血を受けた「聖杯」だった。

トルバドールは北方の文人に影響を与え、トロワの詩人クレチャン・ド・トロワが騎士道伝説「ランスロット」を書く下地を作った。ランスロットはやがてブルターニュの英雄伝説と合体し、プランタジネット王朝の正統神話である「アーサー王伝説」へと発展してゆく。

1244年3月にモンセギュールは落城した。五百人の餓えた人々のうち、百五十から二百人が完徳者で残りは城の領主、騎士、馬屋番、兵士とその家族だった。

ここで完徳者の説明をしておく。カタリには、結婚し肉食も許される普通の信者と、意識も行いも高く、男はパルフェ(完徳者)、女はパルフェットと呼ばれて、コンソラメントムという按手によるエスプリのバプテスマを受けた人だけがなれる聖職者と、二つの階層があった。按手とは右手を広げ対面者の頭の上にかざす仕草のこと。

完徳者の三割はラングドックの貴族階級出身だった。カタリは山に閉じ籠った密教集団のように批判されるが、それはカトリックの火あぶりと血に飢えた狼のような弾圧から逃れるためで、アルビ十字軍が始まるまでは、ふたり一組になった完全者たちが村や町や城などどこへでも出かけて布教していた。

弾圧側は降伏条件はわりと寛大なものだったと言っている。
モンセギュールに立てこもっていた普通の信者たちは過去をすべて改悛すれば許しを与える。兵士たちは武器と荷物をもったまま撤退を許可する。完全者については、異端裁判所に出頭し、罪を告白し、これまでの信仰を宣誓とともに捨てれば、軽い罰だけで自由放免する。それを拒否する者は火あぶりの刑に処すというものだった。

砦のカタリ派から、ピエール・ロジェ・ミルボワ、包囲側から奉行ユーグ・ダルシスが代表として出て交渉がもたれ、カタリ側は15日間の休戦を申し出て、人質と交換に受諾された。人質は逃走の気配を見せ次第ただちに処刑すると脅したが、誰一人逃げようとはしなかった。この15日間は、モンセギュールの信者たちが死ぬ準備をするためだった。

ひとりの棄教者も出ず、完徳者の全員が改宗より殉教を選んだ。さらに、普通の信者から死が待っている完徳者になる人が20人も出て、コンソラメントムを受けた。

3月15日、ひとりも信念を曲げず、二百人の完徳者は全員が火あぶりになることをMontseguillust 選んだ。標高1200メートルの山の三月の冷気のなかを女や年寄りは裸にされ、岩がごろごろした山道を裸足のまま乱暴なあつかいで降ろされていった。その時の苦痛は、あとの火あぶりの苦痛より激しかったかもしれない。

丘の麓に杭を立て、柵をめぐらせ、堆く柴木が積まれて燃え盛っている火刑台に身を躍らせて全員が火あぶりになって死んだ。死体が灰になるまで焼き尽くすよう積み上げられた薪の山から昇る煙で火刑台に上がればすぐに窒息してしまったかもしれない。人間の身体が焦げる臭いがあたりに立ちこめ、夕闇が迫るころには、熾きがくすぶるだけですべてが灰に帰した。

注目すべきは、何か月にも渡る籠城のあいだにひとりも自殺者がでなかったこと。食糧や水が尽きて生きるのが苦しくなった包囲の最終段階では特に。100メートルも切り立った崖の上の城壁から身を投げれば自殺は簡単だったろうが、そういう人はひとりもいなかった。

モンセギュールが二百人と言われているが、他の町、トウルーズやアルビやカルカッソンでの虐殺を加えると二千人以上の死者が出た中で、棄教して転んだのは、たったの一人か二人という。思想信条や宗教弾圧の歴史の中でこれほど棄教者が出なかった集団は稀であり奇跡とまでいわれている。

カタリの信念がそこまで固かったのはなぜか?カタリは現実の物質的な世界よりも精神の高い世界、高みに昇ることこそを修行を通じて目指していたから、肉体が焼かれても彼らの純粋な精神は生き続けると信じたのだと思う。

カタリ派の信者たちは平和主義者で、ファナチックではなく、他人に危害を加えず、簡素な生活を好み、魂の救済に情熱を傾け、福音書の説く宇宙の秘密に霊感を受けたミステイック(神秘主義者)たちだった。旧約聖書のエホバの神は復讐の神で、ほんとうの神ではないと排除し、新約に価値を置いて、福音書のキリストが愛によって人々に与えた教え、神的な愛そのものを信仰の基本においた福音主義者たちだった。

カタリはプロテスタントの先駆けともいえるが、16世紀の宗教戦争の、いわば前哨戦がアルビの十字軍といえないこともない。魂の真の救済を求めて火刑台に上がったカタリの意識を探ることは、権力者とそれに抵抗する人間の自由への意志という問題と繋がり、現代人の意識にも関係する大切な主題だと思う。 (つづく)

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コメント

こんばんわ。

カタリ派にはとても興味ありますね。
この世は悪である。歯の浮くような正当カトリック教団のありがたいお言葉に真っ向から反対したんですからね。
ほんとに当時の教団の腐敗は目に余りますね。
ソ連邦の歴史に似たものを感じます。
当初は清新な理想に燃えた者が権力を握ると、腐敗を続け、やっぱ人間、度し難いもののようですね(^_^;)

記事期待しています(*^_^*)

投稿: KOZOU | 2009年5月14日 (木) 22時55分

おはようございます。
きょうも日本は寒いです。

興味が尽きなかったですね。
詳しいことは知らなかったので吸い込まれるように読みました。
すごいですね。
モンセギュールの城もすごいです。現在このような形で残っているのですね。

カタリ派の信念、すさまじいですね。
島原の乱をちょっと思いましたが、ずっとこちらが純粋ですね。
本当にカトリック教団の非道は虫酸が走ります。神の名においてどれほどの悪逆を働いたか。理屈などどうにでもつくものですね。
おもしろかったです。
次を期待いたします(*^_^*)

わたしのブログにコメントできないことですが、めのおさん、Macでしょうか。その関係かなーとも思いましたが、違うかもです。
一応ココログのヘルプからそれらしいのをコピーしました。


私もMacですが、エクスプローラーだと文字化け、もしくは送信後エラーになるので、SafariやFireFoxなど他のブラウザを使うといいですよ。問題なく使えます。

②(IEはちょっと古いのですが基本的にそう変わらないと思います)
Mac版IEのコメント欄の文字化け解消法

詞織さん経由、新井さんの記事でMac版IEでのコメント入力時の文字化けがIEの設定で直ることがわかりましたので、検証とそのまとめ。

★テスト環境
Mac OS X 10.2.8 IE 5.2.3
同上のClassic環境 IE 5.1.7
新井さんの記事のコメント欄で確認。
どちらの場合も、文字化けはしませんでした。
★IEの設定方法(わたしの設定値)
・IE 5.2.3ではExplorerメニューの環境設定を選択。IE 5.1.7では編集メニューの初期設定を選択。
・環境設定ウィンドウの左にある「言語/フォント」を選択。
・「フォントとサイズ」の枠内にある既定の文字セットの右のポップアップメニューで「ユニバーサル文字(UTF-8)」を選択。
・各々のフォント設定のポップアップメニューで日本語フォントを選択します。参考までにわたしの場合の設定フォントは以下の通り。

《IE 5.2.3》
 既定のフォント:ヒラギノ角ゴ Pro W3
 固定ピッチフォント:Osaka?等幅
 サン セリフ系:ヒラギノ角ゴ Pro W3
 セリフ系:ヒラギノ明朝 Pro W3
 手書きフォント:ヒラギノ丸ゴ Pro W4
 装飾フォント:Comic Sans MS(私はそのままだけどたぶん替えたほうがよい)

《IE 5.1.7》
 既定のフォント:Osaka
 固定ピッチフォント:Osaka?等幅
 サン セリフ系:Osaka
 セリフ系:平成明朝
 手書きフォント:Osaka
 装飾フォント:Comic Sans MS(私はそのままだけどたぶん替えたほうがよい)

追記
・「ユニバーサル文字(UTF-8)」のフォント設定が終わったら、もう一度既定の文字セットの右のポップアップメニューで「日本語(自動判別)」を選択。
※この記事を書いたときの手順で抜けてた部分がありましたので追記しておきます。akiraさんがこの追記部分の解説をしてくださってます。IEの設定したらココログ以外で文字化けするようになってしまったというかたは、この追記部分をやってみてください。
・OKボタンを押して完了。
※同様に、既定の文字セットのポップアップメニューで、日本語(自動判別)、日本語(JIS)、日本語(シフトJIS)、日本語(EUC)の各項目も上記と同じ設定にしておくといいかもしれません。
※今回はテスト的にClassic環境でIE5.1.7も設定して使ってみましたが、IE5.2.3とIE5.1.7の初期設定ファイルが同じものを使ってるらしくどちらかで変更すると最後に設定したほうが保存されるので注意が必要です。(わたしははまった。(^_^;)

投稿: KOZOU | 2009年5月15日 (金) 10時28分

帚木蓬生さんという作家をご存知ですか? フランスに留学したことのある精神科医でもありますが、私の大好きな作家の一人です。 彼の「聖灰の暗号」という小説はカタリ派を題材にしています。カタリ派についてはその本で初めて知りました。

N52様
コメント有難うございました。帚木蓬生さんは僕も好きな作家です。「カシスの舞い」いいですね。僕も最初にカタリ派という名前を見たのは帚木さんの小説でした。でも「聖灰の暗号」というタイトルではなかったと思います。この本はまだ読んでいません。ぜひ読みたいですね。教えてくださって有難うございました。
めのお拝

投稿: N52 | 2009年7月22日 (水) 20時11分

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