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2009年5月17日 (日)

カタリ派について-その3

投稿者:叢林亭:http://www.sorintei.com

さて前回ちらと触れた女性、フォワ公爵レイモン・ロジェの妹でジュルダン侯の未亡人 エスクラルモンドについて。彼女はカタリに入信し、カトリックならば不可能な女性でありながら高位の聖職者つまり完徳者として按手も授け、最後は火刑台に身を躍らせた。そのため悲劇のヒロインとして伝説的存在となる。

Escla2 19世紀のフランスの作曲家マスネーにはエロデイアード、マノン、ル・シッド、ウエルテル、サッフォーなどの文学・歴史的人物を扱ったオペラがある。中にあまり知られていない「エスクラルモンド」がある。バビロンの王女に同名の女性がいるので、マスネのこの作品がモンセギュールで火刑台に上った女性と同人物かは確認を要する。

カタリに入信したエスクラルモンドは、幾つかの誓いをたてる。魚と油は採っても肉、卵、チーズは食べない。むやみに主君へ忠誠を誓ったりしない。嘘はつかない。嘘は人間の犯す最も重大な罪のひとつだから、嘘をつくより沈黙を守った方が良いという戒があった。そして入信後はいっさい肉の交わを持たない。

エスクラルモンドは大勢の男の聖職者に混じって教義について発言したり男と同等に活躍した女性だった。しかし、彼女でさえ、男の司祭から黙って引っこんでなさいと言われている。女はカタリの聖職者の最高位にはつけなかった。だいいち、輪廻にしてから、転生の最後は男もしくは牡に生まれるとされていた。

最高位にはつけなくても、女も聖職者になれ、コンソラメントムを授けることができた点は、カトリックと比べれば、遥かに女性が認められていたといえる。

エスクラルモンドは入信に際して肉の交わりを一生断つという誓いを立てた。
まだうら若い身でありながら、セックスの喜びを断つなんて
もったいないと思う方も沢山おられよう。
禁欲はカタリに大切な行だったのだろうか?  

カタリの普通の信者は、結婚し、子供をもうけ、肉食し、敵と戦って斃すことを許されていた。完徳者たちは厳格な禁欲の戒律に従って、結婚を否定し、肉の交わりを断った。

完徳者にとって肉の愛は、悪魔的な誘惑だが、普通の信徒には自然の誘惑だった。エロス的誘惑は再生の第一原因だから、結婚や同棲で縛られた普通の信者の性的行為は寛大にあつかわれた。

しかし、一方で肉体はサタンが支配する物質だし、エロチズムに関係する想像力も悪しきものに他ならないから、その誘惑に負けることは悪魔に負けることだという性一般にたいする断罪がある。

Denis1 筆者が最初にカタリの名を見たのは、フランスの詩人ドニ・ド・ルージュモンが書いた「エロスとアガペー:西洋の愛について」を青春時代に読んだ時だった。

「アガペー」とは神あるいは至高のものに対する人間の敬虔な愛を指す。ルージュモンはこの著でフランスの中世から近世へかけての詩と文学の伝統の継承を担った吟遊詩人、トルバドールをとりあげている。

彼らはリュートなどの楽器を片手に、宮廷から宮廷へ、貴婦人の館の窓辺に立ち、多くは愛の詩を弾き語りしながら南から北へと旅して歩いた。彼らによって結婚に縛られ、子孫を残すことのみに重点がおかれていた夫婦関係の外、つまり夫以外の男性と愛を語らうところにのみ真の愛があるとする「宮廷風恋愛」の伝統が生まれRougemont2 た。

騎士たちが馬上試合をする際にも、命を捧げる貴婦人を選んだ。それはエロスとは違った愛の形だった。彼らは民間に伝わる伝承を歌に取り入れ、また彼らによって刺激された文人たちが英雄譚などを下敷きに物語を作った。「トリスタンとイゾルデ」の悲恋物語、クレチアン・ド・トロワの「ランスロット」。ブリタニアの英雄譚とブルターニュ半島の民話とが合体し、それにグラアル・聖杯伝説が加わって「アーサー王伝説」へと発展してゆく。それについては次回からに譲ることにし、もうしばらく「カタリ」とお付き合いしよう。

カタリの悲劇は民間伝承として吟遊詩人たちに語り継がれcoldsweats01モンセギュール絶滅の後も各地に残っていた「隠れカタリ」の間で、信仰を確認し合うために吟遊詩人の口ずさむ歌詞の中にカタリだけが解るコード(暗号)を盛り込んだ、とルージュモンは言う。余談だが、吟遊詩人は現代フランスのシャンソン歌手の原型である。

カタリの完徳者は肉体を悪魔の創造物だと主張して、肉体と生殖、そして結婚を呪ったわけであるが、逆説的に言うと、それによって教会の肉体擁護が生まれ、男女の合意による結婚に秘蹟を与えるようになる。また結婚は男女の肉体の結合がなければ無効とされた。

これまた、非常に逆説的な言い方だが、現代人は肉体謳歌の遠い淵源をカタリに負っていると言えなくもない。

聖霊によって照らされた完徳者は肉の行為を拒み、性的欲望を払いのけてしまうことができたひとたちで、ふつうは死後に解放されて魂が精神に従うところを、この地上で聖的状態を見出す。完徳者ほど信仰がすすんでなく、肉の歓びからも解放されていないふつうの信者が、自然の欲望に従って結婚と結婚外の性的行為にふけることは重要な罪ではなかったらしい。

自然の欲望に従うことは、精神の光明に悪い影響は与えない、罪を犯しても、その後精進に励めば、いずれは完徳者とおなじ光明がえられると考えられていたらしい。なぜなら、いちど結婚した人が、証人の前で厳粛に、婚姻関係を破棄する宣言をして完徳者に叙品されることがしばしばあったから。

完徳者たちは、物質、つまり肉体の原理に支配される女性は、より悪魔に近い存在だとみなしたのだろうか?

女性の聖職者も沢山いたことをみれば、そんなことはない。肉体は魂を閉じ込める牢屋だけど、それが魂に従属しているかぎり、魂の状態を忠実に映し出す鏡になるから、美徳を備えた人間の肉体は美しいとも見られていた。

キリスト教には、アウグスチヌスいらい肉体と精神は別のものという考えがある。カタリの二元論もどうやら、そういうことで、心身一如という言葉があるように、われわれ東洋人は肉体と精神は一体ではないかと考えるので、どうにもなじみにくい。Laozi2

易経に「太極別れて両義あり。」という言葉がある。宇宙の本質は物質でも精神でもない。その両方が渾然一体となった状態だというわけだろう。しかし、別れて陰と陽になるというのだから、相対的二元論ということになる。

人間のタマシイには陰と陽がある。易経は人間の陽の精気が魂で精神作用を司り、死後天に昇る。陰の精気が「魄」と書いて肉体を司り、死後も地上に留まるとする。

Taikyokunoirblanc東洋の 物心一体という考えは、より物質に近い女性が別視されるTaikyokuken1 とかいうことはなくて、肉体の享楽も自然の欲望や生命の歓喜につながるとして西洋とは逆に肯定的に捉えて生殖に励んだからインドや中国みたいに人口が天文学的数字で増えてしまった。東洋では性行為が罪の感覚なく受け入れられていると言おうとしたのだが、よけいなことかもしれない。易経も、死によって「魂魄」が分離すると教えているところは西洋の二元論と同じことになる。

カタリの時代に、生殖を拒否したり、隠者や異端者となって険しい山の上や人里離れた森の中で苦行した人たちがいたってことは、キリスト生誕からちょうど千年経って、世界の終末論がはやり、終末の予感に打震えていた人たちがいたということが言える。世界の終末の恐怖を子に味あわせたくないと、核戦争の恐怖に怯える現代人とどこか通じるところがあったのではないかと想像してしまう。

さて、やっと宝物の話ができる。

全員が火刑台の炎に身を躍らせたと書いたが、実は、秘密の地下室に隠れて生き残った四人の完徳者がいた。この四人は、砦の明け渡しの翌日、3月16日の夜、砦の西側の100メートルはある一番高い絶壁に垂らした綱を伝って命がけで、何かを砦から持ち出した。

火あぶりになった完徳者の全員から託された、ある使命を遂行するためだったにちがいない。領主の家族のひとりで生き残った、アルノー・ロジェ・ド・ミルポワが後に証言したところによると、砦に残されていたカタリの宝を運び出したという。

だが、宝物の大部分は、落城前に持ち出されている。金銀財宝を担いで百メートルもある断崖を縄一本頼りに降りられはしないから、この四人は物質として価値がある何かではなく、他教に渡してはならない聖なる秘宝を持ち出したと考えられる。

3月14日はキリスト教の復活祭にあたる日だった。なお、カタリはイエスの十字架を疑うので、復活祭は重要な意味をもたない。3月のこの日、休戦明けの前日、砦の中で祭りが行われたという。

残された食糧をみんなで分け合って食べた、いわば最後の晩餐だったという人もいる。この祭りの終りに6人の女性と14人の男性が新たな完徳者の序列に加わった。この神聖な祭りと持ち出された神秘な何かとが関係がある。人々は各人各様に推理を働かせ、カタリの秘宝の伝説がこうして生まれた。

モンセギュールにまつわる様々な伝説や民話がいまも民間に伝わっている。あれほど最後まで抵抗した上で、二百人がひとり残らず火あぶりになったというカタリの悲劇と、一人の棄教者も出さなかった彼らの信念の強さ、純粋さにひとは打たれるのだろう。

最後に持ち出された秘宝が何かをめぐっていろんな説が出回るのだが、主なのはGraal2 やはり、グラアル=聖杯なのだ。

山の中には城とつながる秘密の地下道があったとか、そこにカタリの宝物や聖典やキリストの生誕をつげたベツレヘムの隕石がかくされているとか、いう話を実際に検証しようとした人々が現われて、発掘をはじめた。

そのたびに、不思議な力が働いて発掘を中止せざるを得なくなったという話が伝わっている。ダイナマイトの導火線の火が何度やり直しても途中で消えてしまうとか、岩の空洞をさぐるため差し込んだ鉄棒が途中で抜き差しならなくなったとか。

カタリの生き残った信者は遠く追われて最後はチベットまで逃げ、ラマ僧になったとか。ベルベルに混じって北アフリカの山岳地帯に隠れたとか、とにかくオカルトの材料にこと欠かない。(カタリ派についてはこれで終わり、次からは多少の関係があるアーサー王伝説について書きたいと思います。)

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コメント

こんにちわ。
こちら曇っていますが気温はちょうどいいですね。
日本は神戸大阪で新型インフルエンザ感染者がかなり出て、今大騒動です。
各地のマスクが売り切れ、こういう時の雪崩現象は日本人得意ですからね(^_^;)

エスクラルモンドという名前は全く知りませんでした。
固い信念にはうたれますね。
カタリの女性英雄なのですね。
確かにカトリック女性軽視ですよね。まあ、仏教も同じところあったでしょうが。

次を待ってます(*^_^*)

kozouさん。
いつもコメントありがとうございます。コメントに返信するが相変わらず使えないので、頂いたコメントを編集するという変則的なお返事しかできないのが残念です。前回は、その問題を解決するため、大変詳細なアドバイスを頂き感謝感激しました。その時も、頂いたコメントを編集する形でお礼を書いたのですが、これでは、kozouさんが自分のコメントをもういちど見ない限り伝わりませんよね。
カタリ派に関しては、その3で一応終わりとして、次からは、多少は関係あるアーサー王伝説について書きたいと思います。神話、伝説というのは真偽にこだわると荒唐無稽でアホらしく感じますが、空想力、想像力に込められた人間の願い、モラル、意思など、汲めども尽きない面白さがあります。
ではまた、
めのお

投稿: KOZOU | 2009年5月20日 (水) 13時32分

その後の記事、お疲れ様でした。

日本では全くと言っていいほど知られていないカタリ派、ヨーロッパ、特にフランスでは未だに語り継がれているのですね。
それほど衝撃的な大事件だったのですね。
宗教的信念の強固さはわたしも打たれます。
客観的にはどのようなものであろうとその人が息絶えるまで信じ抜けば、それは客観的にも正しい、そのようにも思っています。
死後それを実証することはわたしの考えでは不可能ですから、信じたことは正しかったと永遠に思うことができる、考えたらとてもうらやましいですね。

西洋の同意するにせよ、反発するにせよ厚いキリスト教の伝統は日本人の想像を絶するのでしょうね。

投稿: KOZOU | 2009年5月21日 (木) 15時35分

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