アーサー王伝説-その1
アーサー王伝説中央アジア起源説に触れる前に、そもそも既存の伝説がいかなるものか概略を記しておきたい。むろん読者の中には筆者よりずっと詳しい方もおら
れるだろうが、おさらいの意味で、我慢を頂き、暫くお付き合い願いたい。
古典的な出版物として日本で最も古く出されたものに、ブルフィンチ(Thomas Bulfinch 1796-1867)著「中世騎士物語」野上弥生子訳(岩波文庫1942年)がある。さらに、夏目漱石が短編「薤露(かいろ)行」をテニスン 「シャロットの女」と「ランスロットとエレイン」を基にして書いている。
ワーグナー作曲の「トリスタンとイゾルデ」はフランス語の古典文学作品がもとにあるが、アーサー王伝説の中のエピソードとして取り込まれた悲恋物語。文献を遡ってゆけば、9世紀前半の僧ネンニウスが著した「ブリトン人史」をもって嚆矢とする。最初に「聖杯」が現れるのもこの書。
以来この伝説はヨーロッパ中どこへいっても知らない者はいないというくらい民衆に広まった。様々の異説、ヴァリアントがあり、細部になると多少の違いがあるものの全体の話の筋、テーマは一緒。現代に至るまで、映画、ミュージカル、アニメに格好の材料を与え続けている。
アーサーという賢王による理想の王国の建設。理想の王国が達成し、国土と領民に平和と豊饒が続くかと見えたのも束の間、アーサーの出生そのものが抱える宿命 と、敵の謀略からグイネヴィア王妃を救い出した騎士ランスロットと王妃の間の禁断の恋。
慕いあいながらも不倫だけは避けている二人の関係を、周囲の騎士たちが猜疑の
目で見始める。理想の王国はアーサーが望んだ円卓の騎士団の、王国への忠誠と騎士相互の団結、上下の位階を取り払った衆議による統治も、いちど蝕まれた猜疑心は悲劇を迎えなければ覚めることはない。王国は、崩壊への道を転落してゆく。国は戦によって荒廃し、不作と疫病の流行で民は塗炭の苦しみを味わう。
そこか
ら騎士たちの聖杯探求が始まる。荒廃した国土に、ふたたび平和を取り戻すには聖杯を見つけ出す必要がある。しかし、あてどもない探求に大方の騎士たちは途中で疲れ果て命を落とす。最後にもっとも貧しく敬虔な円卓の騎士パーシバルだけが聖杯のイメージを見る。
このように、結婚外の恋こそがほんとうの愛とする騎士道物語に共通の宮廷風恋愛。禁断の恋。不倫への猜疑心。自身の潔白を証すために貴婦人に名誉と命を捧
げる騎士同士の馬上槍試合。そして聖なる理想の永遠の探求といった重要なテーマが全体を貫いている。
フランスのブルターニュ半島を旅行すると、主要な観光地には必ずアーサー王伝説関連のグッズを売る店がある。アーサー王伝説はケルト人の英雄譚をベースに様々の民間伝承が付け加わって作られている。全体を包む雰囲気にブルターニュとブリテン島の深い霧がある。幻想的な霧の中から王や后や騎士たちや魔女や魔法使いが現れてくる。
ブルターニュには先史時代からドルメンやメンヒルといった巨石文化の遺跡が随所にあり、イングランド南部と共通の文化圏だったことを示している。巨大な石の柱が円を描いて立ち並ぶ場所は教会か神殿か、なにかの神聖な祭事が催された場所だったのだろう。ドルイドと呼ばれる聖職者は、医者、薬剤師、預言者であり、超能力の保持者として王のアドバイザーだった。また民族の「語り部」として重要な役割を担っていた。
アーサー王は、こうしたドルイド、Merlin (フランスではメルラン、英語ではマーリン)に育てられた。アーサー王の出自に入る前にブルターニュと聖杯(グラアル)について触れておこう。グラアルという言葉はもともとフランス語、というよりラテン語でcratalis(壺)を意味する言葉が起源だという。ラングドックには今もgragalというテリーヌが残っている。
9世紀後半にネンニウスが書くずっと前からブルターニュには伝説として、汲めども尽きない泉、いくら食べても中身がなくならない鍋とか、無限にイドロメル(ゴロワ人の典型アステリックスが主人公の漫画にも魔法の飲み物として出てくる)を出す甕だとかがあり、グラアルの原型だともいわれている。
現にブルターニュ半島の付け根、この地方の首府に当たるRenne の近くにはメルランの森と涸れない泉が現在もある。一見なんの変哲もない普通の森なのだが、知り合いのフランス人はここを訪れて道に迷ったと言う。彼の友達のほとんどが泉を見に行った帰り道に迷ったという。
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異教の伝説にあった魔法の食器がだんだんキリスト教化されてグラアルに変わっていった。キリストの最後の晩餐で使われた杯だとか、十字架にかけられたキリストの血を受けた器だとか。キリスト教の聖なる器としてイメージづけられてゆく。
十字軍が東方遠征から持ち帰った聖人の遺骨だとか、キリストの血だとか、十字架だとか、イエスを刺した槍だとか、中世に盛んにキリストと関係ある聖なる異物がヨーロッパに運ばれたことと関係があるだろう。
どの国の神話にもあることだけど、英国王アンリ二世がプランタジネット王朝の正当
性を強調しようという政治的な意図のもとにアーサー王伝説と聖杯伝説をキリスト教的に結び付けて、神秘的な土台を築くことで、大陸でのブリテン島王朝への忠誠心を高めようとしたということもできる。
アンリ二世は僧院と語らってアーサー王の墓まででっちあげた。
ブルトン人の伝説では、アーサー王は542年にカムランの戦いで傷つき、救われてアヴァロン島へ運ばれ、ウエールズのカエレオンで円卓の騎士団を創る。ブルトン人はいつかはアーサー王が帰ってくるはずと待っていたのだが、アンリ二世はこのブルトン人の期待を砕いてしまうことをやる。アーサー王から超自然と不死の伝説を消して、自分の先祖で実在の王だったことを証明するために、グラッドストンベリーの僧と結託し、1193年にアーサー王とグウイネヴィア妃の墓が発見されたなどと、まことしやかなウソを作り上げた。つまり伝説のアヴァロン島は実際はグラッドストンベリーだったとするわけだ。
伝説の面白いところは、まったくのフィクションじゃなくて、現実の裏づけがどっかにあるはずだとみんなが探し回ることだろう。アーサー王の墓が発見された。そらみ
ろ。実在の人物だった。聖杯伝説のグラアルも、それが隠されている城が実際どこかにあるはずだと探し始めた。聖杯をその目で見たとされているパーシバルやガラハットに続くグラアルの探求者がぞくぞくと出てくる。コーンウオール、グラッドストンベリー、ドイツのウイルデンベルグだとか、フランスのカステル・デ・モンテだとか、カトリックの聖地ルルドとか、レンス・ル・シャトーだとか。そして、ピレネーのモンレアル・ド・ソスとモンセギュールが主要な候補地となった。さらに中世のドイツの詩人ウオルフラム・フォン・エッシェンバッハがパーツイヴァルを書いたのがきっかけでグラアルの詩はドイツをはじめヨーロッパ中で流行する。その上に、シトー派の神秘主義がグラアルを聖餐の聖杯と恩寵と光明の探求に結び付けた。(つづく)
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コメント
こんにちわ。
こちら毎日似たような天気で曇っています。
フランスは今の時期、快適でしょうね。
紫陽花、催促したようですみません(^_^;)
ゆとりのあるときにいつでもどうぞです。
アーサー王伝説読ませていただきました。
わたしは名前と円卓の騎士、おおまかな筋くらいしか知らなかったのですが、西欧ではやはりとても親しまれているのですね。
西洋のいろんな伝承の集大成なのでしょうね。
キリスト教も相当伝承を取り入れているようですね。
王がアーサー王の墓まででっち上げた、どこも権力者のすることは似ているようですね。
子供の時、円卓の騎士の映画を見たのですがほとんど覚えていません。
「海の虹」ありがとうございました。
彼女の死に至る経過はすべて事実です。
不幸な人だったと思います。
今は彼女の詩は教科書にも載せられているそうです。
特に子供の時に彼女の詩にふれることはとてもいいことのように思います。
投稿: KOZOU | 2009年6月 6日 (土) 13時31分