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2009年7月に作成された投稿

2009年7月27日 (月)

コンタドール優勝:トウール・ド・フランス最終日

最終日の本番レースは残り60kmのシャンゼリゼに入ってからと、わかってるためモントローからパリまでの道は、みんなお祭り気分で、完全にリラックスして走っていた。途中恒例のシャンペンが振る舞われ、グラス片手に陽気に走ったりもした。

今日のステージ(区間)で優勝をねらう英国のカヴェンデッシュ
とスプリンターのトップ、グリーン・ジャッジのトール・ユソヴォも並び合い冗談を交わしながら走っている。

21日間、時には激しく競り合い、時には苦痛を分け合い、共にレースを闘った3週間が終わるのを惜しむように中には肩を組んで走ったりする選手もいる。

中でも老練のレンス・アームストロングは来年は自分のチームを作るとかで、「ボクのチームに加わらないか」と勧誘をしながらのレース風景とみかけられた。

個人総合の優勝候補コンタドールに沿道の応援団からスペイン国旗が差し出された。コンタドールは笑ってそれを受け取り、風に靡かせながら走った後、首に結んで走った。

Contavictoire ヘルメット、ジャージ、靴、自転車まですべて黄色の王者の色に身を飾ったこの青年は、内気な性格で、動物が大好きという。なかでもカナリアを沢山飼っていて、黄色はカナリアの色なので黄色ジャージが着られるのはカナリアのお陰かもと解説者は冗談を言った。

中継の途中、サルコジ大統領入院のニュースが流れた。今日はバカンスで大統領はヴェルサイユの森をジョギング中、急に気持ちが悪くなり倒れた。救急車でヴァル・ド・グラス病院に運ばれたが、症状は軽く健康に心配はないとのこと。

3日前のレースを大統領は車で観戦し、表彰式に立ち会った。サッカー、ジョギングとスポーツ好きで自転車も時々乗っているという。

レースの本番はパリへ入ってからの60km。表敬の意味で団体戦トップのASTANAチームの9人を先頭に立て、レーサーの集団はリヴォリ通りからコンコルド広場を抜けシャンゼリゼに入った。

緩い傾斜のシャンゼリゼ通りを凱旋門の付近まで昇り、エトワール広場には入らず、手前で折り返して、シャンゼリゼを反対方向に下る。コンコルド広場の南端からセーヌ河沿いの道をルーブルまで直進し、ルーブルの手前で左折してトンネルを潜り、ジャンヌダルクの騎馬像前を左折し、またリヴォリ通りをシャンゼリゼに向かう。

最後のレースはこのコースを周回して競われる。コンコルドから凱旋門まで約2kmだから1周5km、12周する計算になる。

7人の選手が飛び出し、後続集団との距離を広げてゆく。なんと、この7人の中に、Champs3 日本の別府選手がいるではないか。別府はなんどか先頭に立って快走した。アナウンサーの口からも「Beppu, Beppu 」と名前が繰り返された。

後続集団の先頭に立っていたASTANA チームはくずれ、代ってColumbia の黄色と白地に黒の縞のユニフォームが一列になって集団を牽引してゆく。その最後尾に今日の区間優勝候補カヴェンデイッシュが居る。

ポイント最優秀選手、グリーン・シャツのユスヴォがカヴェンデイッシュにぴったり付いて走るのが見える。黄色シャツのコンタドールは集団に紛れてしまって見えない。アームストロングも同様だ。

勝負がついたのはシャンゼリゼ最後の昇りだった。コンコルド広場を渡りきり、カーヴを曲がる途中から、Columbia の2人が猛然とダッシュした。ユスヴォが追いすがるが前を行く3人の選手に阻まれてダッシュのタイミングが遅れた。

Columbia のカヴェンデイッシュが今季6度目の区間優勝を飾った。通算で10度の大会新記録。とりわけシャンゼリゼでは英国人は勝てないというジンクスを破った。

Champs4 個人総合優勝は、コンタドールが守った。5年前転倒して頭を打ち意識が戻らぬまま3週間、生死の境をさ迷った。半年間手術と療養を繰り返し、2005年にレースに復帰した

表彰台でスペイン国歌を聴く時の慎ましげな青年の顔はいかにも感慨深げだった。個人タイム・トライアルのスタート台ではいつも3回以上十字を切る。敬虔なクリスチャンなのだ。

ール・ド・フランス二度目の優勝を祝い、コンタドールの生まれ故郷マドリッドの南の郊外ピントの広場では明日盛大な闘牛祭り(Fiesta )を行うそうだ。

個人総合2位は、若手のアンデー・シュレック。ジュニア最優秀の白シャツも手に入れた。将来が有望視されるリュクセンブルグの選手。

そして、ついにアームストロングが表彰台に上った。3年半の空白の後の復帰で、もう年齢からみて無理だろうという大方の予想を破り、7回優勝の底力は消えず見事に復帰をとげた。

あまりに強すぎた選手はドーピング問題の犠牲にされ、あいつは勝つことしか頭にない「イヤなやつだ」と嫌われた。大記録の割に評判が悪かったのだが、復帰後のアームストロングは人間が変わったようだと好ましい評判が立った。

マスコミはじめ人々にオープンな態度で接し、ガン撲滅のための財団を設立するなArmstrong1 ど、今まで知られていなかった彼の人間的な面が明かされた。もっと驚くべきは、アームストロング自身ガンに罹っていたのであり、ガンと闘いながら7回の優勝を成し遂げたという事実だった。

レース後のインタビューで彼は、「かつては勝つためにレースをしたが、これからは、財団のため、ガンと闘う人々のためにレースをします。」と語った。

「来年も出場されますか?」との質問に「もちろん出ますよ。」と笑って答えた。

ール・ド・フランスは最も過酷なスポーツとさえ言われている。数々の困難を乗り越えて、ゴールまで完走した選手たち。日本の別府選手と新城選手に盛大な拍手を贈りたい。病気と事故を克服し、なおその上に表彰台に立った3人には特別の敬意を表したい。 

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2009年7月26日 (日)

最終日までの途中経過 トウール・ド・フランス

スペイン人コンタドールは騎士である。騎士道精神をわきまえている。
テレビの解説者も一様に強者のもつ美徳を褒め称えた。

17日目のゴール近く、リュクサンブール人のシュレック兄弟(Saxo Bank)が逃げ切りを図ってスパートするとコンタドールはすかさず反応し、ASTANAのチームのドイツ人クローデンと何事か打ち合わせた。

しかし
シュレック兄弟がさらにスパートをかけ、コンタドールは逃がさず追随するが仲間のクローデンは疲れたのか次第に置いて行かれた。コンタドールはシュレック兄弟に追随しながらも、後ろを振り向き振り向きクローデンの様子を窺っていた。

クローデンの後ろにはASTANAチームのリーダー、アームストロングが必死に追い縋ろうとしている。コンタドールはシュレック兄弟を振り切ろうと思えば出来るのだが、それをしないのはクローデンとの打ち合わせが関係している。

コンタドールは小柄だ。たいていの選手がバイクのギアを利用してサドルに尻を乗せたまま走る時も、彼はダンサーと愛称で呼ばれている尻を挙げ左右に振りながら走る。

彼が気にしているのはクローデンとアームストロングの状態なのだ。できれば一緒にゴールしてチーム総合点を稼ごうと狙っていたのだ。

シュレック兄弟の一人が遅れるとコンタドールは先に行けと手で合図までして、王者の貫録を見せた。この日彼に大事だったのはチームの勝利だった。兄弟のアンデが先着しコンタドールは2位でゴールした。

Annecy1 だが、翌日のアネシー湖一周の個人タイムトライアル(TT)では、コンタドールは見事優勝。世界で最も早く、かつ登坂力でもナンバー・ワンの実力を見せつけた。

さて、20日目はフランスで最大の難所のひとつヴァント山のレース。このコースでは、かつて英国人の選手が途中で力尽きて倒れ、ヘリで病院に運ばれたが、そのまま死亡したという歴史がある。

死力を振り絞るという言葉があるが、文字通り、彼は体力の限界まで肉体を励ましMtventoux3 精神力で山を登り、ついに意識不明に陥り死亡した。人間の限界を賭けてのレースだということがこの一事でもわかる。

この山は草木が一本もないハゲ山。風がある日は風に苦しめられ、晴天の日には遮る物のない日光に晒し続けられ、日射病や脱水症状に陥りやすい。

この日のステージ優勝はスペイン人のガラタ・セパだった。2位がトニー・マーチン。3位がアンデー・シェレック。コンタドールはシェレックと同タイムの四位だったが、個人総合では依然トップの座を守った。

そして、いよいよ21日目最終日。7月26日の今日、花のパリ、シャンゼリゼにゴールする。見どころは3っつ。もちろんコンタドールが2度目の王者となるかが最大の関心を惹くが、スプリンターの勝利をだれが収めるかも注目だ。

ノルウエー人のトール・ユスヴォがずっと緑シャツ(グリーン・ジャッジ)を守り続けている。続く英国人のカヴェンデッシュが僅差で迫っている。しかもカヴェンデッシュは今回5度の区間(ステージ)優勝を挙げ、トール・ド・フランスの記録を更新した。

今日、花のパリのシャンゼリゼで大観衆が見守るなか、フィニッシュラインをトップでゴールとなれば、個人総合と並ぶほどの名誉とプレステージを手にできるのだ。

そして3っつ目の見どころは、7回ール・ド・フランスの優勝を果たし、2年の休場の後復帰したアメリカ人レンス・アームストロングが、37歳の年齢で途中何度も体力の限界を見せながら、知力と経験で個人総合3位につけ、最後まで順位を守り、晴れの表彰台に登れるかだ。

選手たちは、すでに今日の出発地モントロー・フォー・ヨンヌを出発した。チームワーク、個人の能力、人間の知力と体力、意思力の限界を出し切って闘われた21日間のレース。沿道の観客は1200万人。全世界に流されたテレビ中継の観衆は、なんと20億人といわれる。オリンピック、サッカーのワールド・カップに並ぶ世界最大のスポーツ・イヴェントが、あと2時間で幕が閉じられようとしている。

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2009年7月21日 (火)

コンタドールが実力発揮:トウール・ド・フランス第15日目

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

7月15日にサン・ファルジョーに怒涛のごとく到着したトール・ド・フランスはその後も毎日レースを続けた。ある日は34℃、翌日は14℃と気温が急変し、雨の中を濡れて走った日もあった。区間優勝者は次々と代わった。

2回目の休息日の前日、7月19日第15日目、
レースはスイスへ入り、ポンタルリエ〜ヴェルビエ間207.5km。最後の46kmが標高差1030mのヴェルビエ峠の難所で、ヴェルビエを制する者がトールド・フランスを制すると言われるくらい。

Contador5 6日間、個人総合トップ=Mailllot jaune(マイヨ・ジョーヌ、黄色シャツ)を守り続けたリナルド・ノチェンチーニが自身でも予想したとおり、コンタドールがついに底力を発揮した。

登りに差し掛かるやスパートし最後まで余裕を見せながら他を圧倒してゴールした。2位のアンデ・シュレック(ルクセンブルグ)との差が43秒。この日、区間優勝と個人総合とダブルの勝利を飾った。

コンタドール所属のASTANA チームのリーダー、レンス・アームストロング(37歳)は坂を苦しげな表情で登り、ゴール後のインタヴューでこう語った。

「今日のレースは辛かった。2年間レースから退いていた影響は大きく、若い選手に置いていかれた。コンタドールは実力通りのレースをした。若いリ-ダーが出現して嬉しい。」


アメリカのテキサス出身のベテラン・
リーダーは素直に若手の勝利を祝福した。

アルベルト・コンタドール・ヴェラスコ Alberto Contador Velasco は1982年マドリッド生まれ。26歳。

2003年プロ入りし、スペインの名門チームONCEでデビューした。しかし、2004年5月に大きな事故に遭い、3週間意識不明のまま生死の境をさまよった。病状が回復したのはその年の12月。翌年からレースに復帰した。

2005年、トール・ド・フランスに初出場したが、その時の成績は個人総合で31位。優勝したレンス・アームストロングとの差は1時間もあった。

2007年のール・ド・フランスでアメリカのデスカバリー・チームに所属して優勝。その年スカバリー・チームは解散し、監督がカザクスタンのASTANAチームに移ると一緒にASTANAに加わった。ASTANAはカザクスタンの新しい首都の名称。

コンタドールは2008年にイタリア・ツアー、スペインツアーを制している。

ール・ド・フランスも残すところあと6日。優勝候補ナンバーワンに浮上したスペイン人コンタドールが最後までトップの座を守りきれるかが見どころ

個人総合の順位は 1位 コンタドール   2位 レンス・アームストロング(USA) コンタドールとの差は1分37秒
3位 ブラッドレイ・ウギンス(英国)
Sastanac

日本の別府が 129位      新城は 143位

チーム総合の順位は  1位 ASTANA       
2位 AG2R La Mondiale (フランス)         
3位  Team Saxo Bank (デンマーク)

  コロンビアは5位  

Sbouyguec 日本の新城選手が所属する
BBox Bouygues Telecom は13位
                  
別府選手が所属する SKIL SHIMANO  は20位

Smeca2c

レース用バイシクルのフレームはカーボン製

ペダルのギアは大小二つあり
後輪のギアは10段もある。

8%の上り坂を40km/時で登る秘密はここにも。

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2009年7月16日 (木)

当日:トウール・ド・フランス11日目 - 一瞬のゴール

11日目のコースはヴァタン〜サン・ファルジョー間192km。
前日と同じ平坦なコース。

2人が飛び出し、ゴールまで100kmの地点で後続集団と3分半の開きがあった。平均45km/時で快調に飛ばす。

後続集団をリードするのは今日はコロンビア・チーム。
ASTANAはなぜかさえない。
黄色と白の地に黒の縞が入ったチーム・ウエアの選手が
制御の利いたスピードで、じりじりと先行の2人を追いつめてゆく。昨日の区間優勝のカヴェンデッシュもその中にいる。落ち着きと自信がみえる。ここまでテレビで見て、現場へと急いだ。

Spodiumc 表彰台の設営は朝の内に終わっている。フィニッシュの右側は報道陣と警備陣のエリアで近寄れない。ゴールの瞬間をヴィデオとカメラに収めようと最適な距離を探したが、障害物があってゴールが見えない。

フィニッシュに近すぎる感じだが、そこだけ近寄れるので、滑り込んだ。

予報では曇り時々雨だったが日差しが強く、LCL銀行が配る野球帽を、みんな争って求める。


Srisuc


 

先行の2人と集団との差は徐々に縮まり、

後続集団が2人を呑みこんだのは残り2キロの地点だった。

先頭はコロンビア・チーム。カヴェンデイッシュ有利と解説が放送される。


Sroller1c Skeibiin1c







町に入りフニッシュまでの約1キロは上り坂。なのに、怒涛のように集団は押し寄せ、「来た」とカメラを構えた瞬間には全員が通り過ぎていた。

カヴェンデイッシュ今回4度目の区間優勝。タイム:4時間17分55秒。なんと140位までが同タイムだった。1秒も差がないのだ。やっと140位が24秒遅れ。日本の別府選手は27位、新城選手が32位とベストの成績を出した。

Sarrivee2c_2 Sarrivee5c







到着後、観客は一斉に表彰台へ移動する。人垣が邪魔する上、自動フォーカスが利かなくなり、老眼に厳しい手動写真はピンボケだった。

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Scvendish1c Scavendish3c





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表彰式後、インタヴューをと別府選手、新城選手を探したが、別府さんは見つからず翌日のレースの出発地トネールへ発車寸前のブイグのバスの乗り口で新城さんを見つけてお願いし写真を一枚撮らせて貰った。

Sarashiro2c 個人総合の順位は変わらず。

チーム総合では

1位 AG2 La Mondial
2位    ASTANA
3位   Columbia

日本人選手の個人総合での順序は

新城 選手 144位

別府選手  154位

となった。お二人に声援を送ろう。

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当日:トウール・ド・フランス11日目-朝の準備

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

一日の休みを挟んで昨日(7月14日の祭日)は 磁器で有名なリモージュをスタート。この日、それまで使用していたワイヤレス=イヤホンとマイクを実行委員会が禁止したため多少の波乱があった。

選手全員ではないにしろ、各チームに少なくとも一人は無線で随走する車に乗ったチームの監督と情報交換しながら走っていた。先行は何キロ先だとか、そろそろスパートを掛けろとか、チームのだれが遅れてるから、少し待てとか、チーム毎の周波数で情報を流しながら選手もそれに従って走っていた。

だが、それではレースが面白くない。トール・ド・フランスはもっと選手の勇気、冒険心、チャレンジ精神を発揮するレースだった。監督がデータを分析し計算し
無線で選手に指示を出しながらのレースでは、監督の言うなりでロボットと同じ、人間のやるスポーツではなくなってしまう。

こういう意見が大半を占め、禁止措置がとられた。しかし、突然の禁止に反対する監督と選手が、この日のスタートを遅らせた。が不満であっても欠場はできず、ようやく全員がスタートした。この遅れの影響で、電車のダイヤを変更してあリ
本来なら遮断機は上がったままの踏切が、遮断機が降り、先行の選手が待たねばならないハプニングが起こった。

レース自体は波乱もなく平凡なものだった。ブドウ畑の続く平坦地なので全員が飛ばす。ゴール前でダッシュに強い英国のカヴェンデイッシュがまたもや力量を発揮し、今回3度目の区間優勝を奪った。

そして今日、7月15日は「そうりん亭」のあるヨンヌ県のサンファルジョー到着の日。

7時半にパンを買いに行ってみると、もうあちこちで設営が始まっていた。普段、納期を守らない、遅れて当たり前のフランス人だが、こういうイヴェントとなると、きちんと動員を掛け早朝から、しっかり仕事するのは何故だろう。

昨夜通った時はガランとしていた道路や広場がトラック、車でぎっしり。夕方5時のゴールには人の波ができるだろう。人口2000人に満たない、この田舎町ではかつてなかった事件だ。
夕方には人混みで撮れない写真をお届けします。

 コメント入り写真と入れ替えます

Sprepcamion1_4    Sprepmatin2_3




Sprepmatin4c Scyclistenville

Secrain2c Sprepmatin7

Ssprepmatin8 S450m

 


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2009年7月13日 (月)

先行の2人が圧勝:トウール・ド・フランス9日目

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

最初から飛び出した2人が最後までリードを保ち3位と34秒差で圧勝した。Aspin2

ール・ド・フランス9日目はピレネー山岳戦最後の日。

サン・ゴーダン〜タルブの160.5km。途中カトリックの聖地ルルドとヨーロッパで最高地点にある天文台の近くを通る。

Qspin1 難所が二か所。スタートから60.5kmの地点にアスパン峠1490m。つぎに90kmのところにトルマレ峠2115mが控えている。
アスパン峠は一級、ルマレは特級の難所だ。

スタートから12kmで2人が飛び出した。フランス人でブイグ・チーム BBox Buygue Telecom 所属のピエリック・フェドリゴとイタリア人でLiquigasチームのペリゾッテ

ゴールまで76.5kmで先頭の2人と後続の密集集団との差は4分35秒あった。勾配8%の登りを2人はぐいぐい上がり、残り60kmでは5分も差をつけてしまった。

峠を登りきるとゴールまでずっと下り坂。後続の集団がじりじりとスピードを挙げ追い上げる。はじめはいつも通りASTANA チーム が引っ張っていたが、やがて昨日の優勝者サンチェスを出した Caisse d'Epargne チームが先頭に立つ。

残り40kmで4分差。33.3kmで3分差、15kmで2分差まで迫った。Aspin3
が先頭の2人もスピードを落とさず、残り10kmの地点で1分16秒のままゴールの町タルブに入った。

残り1kmで37秒差にまで迫ったが、ついに2人を捕えることができなかった。

ゴール直前は昨日と似た展開で、150m前のカーヴでうまく内側を捕えたペリゾッテが2mリードしそのままゴールかと思われたが、ピエリック・フェドリゴが強く最後の10mで追い抜いた。2人の差は自転車の1台分もなかった。

先着2人は同タイムで4時間5分31秒
3着はスペインのフレール・ゴメスで1・2着との差は34秒もあった。

順位は個人総合(黄色シャツ)は変わらず、イタリアのリナルド・ノチェンチニ。2位がスペインのコンタドール。3位がUSAのアームストロング。

チーム総合に入れ替えがあった。ずっと首位を保っていたASTANA が2位に後退。フランス AG2R-LA MONDIALE が101時間39分5秒で首位に立った。ASTANAは3秒遅れ。3位は依然としてColumbia。

Aspin4 今日区間優勝を飾ったフェドリゴと日本人新城が居るBBox Buygue Telecomは14位。別府がいるSkil-Shimano は20位。個人では新城が抜き返し146位でトップとの差が1時間17分56秒。別府は157位で差は1時間23分4秒。

ポイントのトップ(グリーン・シャツ)は昨日と同じノルウェーのトール・ヒュショヴォ。敢闘賞(白地に赤の水玉シャツ)はスペインのマルテネ・デ・エステバン。25歳以下のジュニア賞(白シャツ)はトニーマルチンが獲得した。

明日はレースはお休み。前半3分の1のレースを終えて、やや疲れが出始めた選手たちはバスで空港へ向かい次の出発地リモージュへと飛び立った。

火曜(14日)は Limoges - Issoudan。 その翌日、15日(水曜)は、いよいよVatan - Saint-Fargeau で、今までテレビでしか見られなかった選手たちがこの町に来る。


         

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2009年7月12日 (日)

最後の詰め:トウール・ド・フランス-8日目

投稿者そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

8日目は引き続いてピレネーの山岳コース。 アンドラ〜サン・ジロン間は176.5kmと距離こそ短いが、途中、峠越えが三か所あって力の配分が難しい。

Tarascon3 スタートはアンドラの町(ラ・ヴィエイユ)からで標高は213m。最初の難所は23.5kmの地点の峠ポール・ダンヴァリラ。標高2408m。峠から約50km下りが続き、102kmの地点に二番目の峠標高1250mが待っている。

峠から114kmのマッサの谷へ下り、最後に難所アーニュ峠1570mを越える。頂上は132.5kmの地点。峠の頂上からゴールまでは44kmの長い下り。

最初の峠まではバラけず全員が一団で走る。峠を越え谷間にかかると全員が激しく動き駆け引きが始まる。6日目まで個人総合トップのスイス人カンチェララは昨日イタリアのトスカナ出身リナルド・ノチェンチニに黄色シャツを奪われ赤いチーム・ウエアを着ている。

昨日の区間優勝者ブリス・フェイユは敢闘賞も取ったので白地にの水玉シャツを着て走る。スタート前のインタヴューで、昨夜はいろいろあって5・6時間しか眠れなかったと言っていた。区間優勝でも勝つと大変なのだ。

ピレネーの山もこの辺は深く、途中まっ白い雪のように見える山肌をヘリが映した。紙、塗料、陶磁器の原料に混ぜ白色を出すタルクの採取場。昔は日本でもてんかふ添加粉)などと呼び、夏、子供のアセモ除けに使った。エコール・ド・パリの画家「藤田嗣治」もあの「偉大なる白」を絵の具にタルクを混ぜて作った。ここだけでヨーロッパの半分、世界の30%の生産量だそうだ。

アリエージュ Ariège という名のこの地帯はまた、温泉が出る。洞穴が12もありTarascon4mtsegu 先史時代から人類の先祖が住んだ土地という。ところどころ小高い山の上に石で造った城塞が半ば崩れて残っている。中世の砦の跡だ。

5月のこのブログにも書いたモン・セギュールもそういった城塞のひとつ。

ゴールまで100kmのあたりから10人ほどが抜け出し、先頭のグループを作り始めた。後続集団と15秒ほどの差ができる。赤いユニフォームのカンチェララ、カヴェンデッシュ、サンチェスもいる。

差はたちまち開き、残り93kmでは1分9秒の差ができた。

暑さのためアスファルトがぐにゃぐにゃになって危険だ。ボトルのドリンクが無くなると手を挙げ伴走車に合図する。チーム・メイトの分までついでに受け取り腰のポケットに3個、フレームに2個と持てるだけ受け取る選手がいる。仲間を見つけると手渡してゆく。

食料と水の指定補給所では長いヒモのついた袋を受け取る。肩にたすき掛けにして走り、食品を齧り終わると袋を道路脇に捨てる。ボトルがポンポン横にはじけ飛んで投げ捨てられてゆく。

Tdfmontagne 残り82kmでは先頭と後続集団の差が2分30秒に開いた。8人に減っている。後続をリードするのは例によってASTANA チーム。力強い走りだ。そのうち先頭を捕まえるだろうと期待が強まる。

最後の峠の登り坂が勝負だった。5%の傾斜で始まり最高8%の急勾配。頂上を越えれば、あとはゴールまで下りで、ここで先頭を捕まえておかなければ後では手遅れになる。

残り54kmで先頭の一人が飛び出し、固まりが乱れた。フランスのサンデ・カザールがスパートをかける。続いて、スペインのアスタルローザ、ルイス・サンチェス、ウラジミール・エフィンケン。先頭は4人に絞られた。

後続のASTANAを先頭とする集団が激しく追い上げ差は1分16秒まで縮まった。しかし登りで4人を捕えることはできなかった。先頭の4人はもの凄いスピードで坂を下り始めている。

残り3kmでサン・ジロンの町に入った。もう勝負は先頭の4人に決まった。後続の選手たちは、追い込みを諦めリラックスして走っている。4人のひとり、ウラジミール・エフィンケンが飛びSanchez1 出し、サンデ・カザールとルイス・サンチェスが追う。

残り100mでエフィンケンを抜いたサンデ・カザールが勝ったと思われた。だが二番手のルイス・サンチェスがフィニッシュ10m手前でカザールを抜き区間優勝を奪い取った。

負けたカザールはインタヴューで語った。エフィンケンに気を取られすぎ、最後のダッシュのタTdfarrive イミングを誤った。早くかけすぎたのが、失敗のもとだった。フィニッシュ・ラインを探したが見えず、残り200mかと思ってダッシュしたが、まだ300mあった。あと10mで息が切れ、サンチェスに抜かれてしまった、と悔しそうだった。

レースは恐ろしい。176kmもあるコースで最後の詰め、たったの10mが勝敗を決めたのだ。

個人とチームの総合順位は昨日と変わらず。ポイントでノルウエーのトール・ヒショヴォが117点でトップに立った。山岳賞にフランスのクリストフ・ケルン。日本の別府は154位、新城は159位でトップとの差を、それぞれ58'41" と 59'42"と縮めた。

つぎの5月のモン・セギュールについての記事も是非ご覧ください。
http://sorintei.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/--5dae.html

http://sorintei.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/--df47.html

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2009年7月11日 (土)

若さの勝利:トウール・ド・フランス7日目

昨日のブログに「ローランの歌」のモデルとなった戦場ロンスヴォーRoncevaux がジロナGironaの近くと書いたが、調べてみると同じピレネー山中でRoncevaux1copy、大西洋側、パンプローナに近いことが分かった。

現在も人口100人ほどの小さな同名の村がある。

7日目のコースはバルセロナ〜アンドラ・アルカリス224km。距離で最長、標高でもゴールのアルカリスは2240mもある。そこまで自転車で登るのだ。

アンドラは面積400km足らずの小王国でカタロニア語を正規の国語としている。7月でも雪が残り、冬はスキー場として賑わう。関税がほとんど課せられず酒類が安いため買い物客に親しまれている。

このブログに3回に渡って連載した「カタリ派について」の最後の舞台:モンセギュールはアンドラに近い。興味ある方は以下もご覧ください。
http://sorintei.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/--5dae.html
http://sorintei.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/--df47.html

Andorre2copyール・ド・フランスでは上り勾配がきつい順に1から4のカテゴリーに分けているが、今日のコースの最後、アンドラ・ヴィエイユから山頂のアンドラ・アルカリスまでの勾配はカテゴリーにも入らず特級扱い。

ゴールまで10kmから道は勾配が7から8%のつづれ折の急勾配となり、最後の1kmはほぼ真っ直ぐだが6%の勾配が続く

バルセロナでのスタートは昨日までのレースで転倒し骨折した選手が出たので出場者の数は177人と減った。

残り52kmの地点で9人が先頭を切り、後続集団との差は12分11秒。先頭グループはフランス人3人、スペイン人2人、イタリー人・・・。

残り30kmでアンドラの国境をくぐる。先頭と後続集団との差は10分57秒に縮まった。ここらからきつい勾配が始まる。残り16kmの地点でゴールとの標高差は1000m。平均6%の勾配を登らねばならない。どの選手も自転車を左右に揺り脚に体重を掛けペダルを踏み込む。自転車で登坂の独特のスタイルだ。Conta1

ついに残り10km、最後のつづら折りの坂道に差し掛かった。先頭と後続との差は 6分34秒に縮まった。先頭グループは6人に減り、後続集団も2つに割れた。第二グループは約30人。黄シャツのカンチェレラもそこにいる。アームストロング、コンタドールのふたりを中心にASTANA チームが直線となり引っ張っている。 

残り5.7kmで先頭グループの6人からブルーのチームウェアの胸をはだけたフェイユ(仏)が抜け出す。一方、第二グループに居た個人総合一位の黄シャツのカンチェレラが遅れ始めた。

初出場のアルザス出身、若干23歳のブリース・フェイユの区間優勝が決まったのはその数分後。ASTANA チームのコンタドールとアームストロングは並んで走りながら言葉を交わし、やがてコンタドールが飛び出していった。

結果はブリース・フェイユが逃げ切った。タイムは6時間11分31秒。ひとり抜け出してつづら折りの坂、続く1キロの登りをリズム良く漕いだブリースは勝つと信じて走ったという。身長が188cmもある痩せたノッポ型の青年だ。兄も出場していて、インタヴューの場に駆けつけ、弟は頭ひとつ俺より高いくせに山に強いんだ。勝つと信じていたと涙を流し喜んだ。

個人総合の順位が変わった。一位はイタリアのリナルド・ノチェンチニ( Rinaldo NOCENTINI)。6秒遅れで2位がコンタドール(スペイン)。アームストロングは3位に後退。

Pyrenee1 チーム総合の順位も変わった。一位はASTANA と変わらないが、2位がフランスの AG2R-LA MONDIALE。一位との差は1分48秒。3位がUSA, Columbiaで一位との差は4分42秒。

日本選手の総合順位も入れ替わった。別府が156位。新城は161位に。ポイントでは新城が30点で19位。別府は18点で43位。

区間優勝のブリース・フェイユは敢闘賞も獲得した。


山岳賞をフランスが独占した。1.Brice Feillu  2. Christophe RIBLON
3. Christophe KERN の順。

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2009年7月10日 (金)

逃げ切りならず - トウール・ド・フランス6日目

投稿者:そうりん亭ジャーナル 「りゅーらる」 :http://www.sorintei.com

トウール・ド・フランス6日目はスペインへ移動して ジロナ〜バルセロナ間181.5km。

Skakashi4c_2 レース展開と結果に入る前に、サンファルジョーのそうりん亭の隣の庭にできた歓迎の人形の写真をどうぞ。あ!それと、最初の記事で
この町へゴールする日を7月14日の革命記念日と書いてしまったが、これは翌日15日の誤りと判明したので、お詫びして訂正します。

さて今日のレースはカタロニア地方。
ジロナGirona はピレネー山脈が地中海へ落ち込む直前のまだ山の中の町。西暦778年のロンスヴォーの戦いはこの近くで起こった。このブログに連載中の「アーサー王伝説」とも関係があるので少しだけ触れる。

フランス文学の古典中の古典「ローランの歌」は、
Chanson_de_roland1 ンスヴォーの戦いをモデルにしている。フランク帝国の皇帝シャルルマーニュとサラセンとの戦いの叙事詩。実際はバスク人との戦いだったが、当時の十字軍を鼓舞するためにキリスト教徒のフランク帝国とイスラム教徒との戦いに作り替えられた。

2001年9月11日のテロとの戦いはニューヨークだったが、
8世紀のキリスト教徒のイスラムとの戦いはここピレネーで行われた。

ジロナはフランク帝国のイスラム防衛線の砦だった。


「ローランの歌」は中世の騎士道精神を示す典型として
「アーサー王伝説」と並ぶ西欧武勲詩の代表。

さらに言えば、
ヨーロッパ大陸でのシャルルマーニュ(カール)大帝の人気は絶大で、それを支える文学的作品に、「ローランの歌」があった。英国王朝の大陸への進出に他ならないプランタジネット王朝が、シャルルマーニュに対抗し、自らの王朝の正当性と権威を集らしめる為に「ローランの歌」に並ぶ武勲詩を持つ必要があった。実は、「アーサー王伝説」はそういった政治的必要に迫られて民間伝説を英雄譚に集大成、編集し直したというのが通説となっている。

Chansonderoland2ronsvaux シャルルマーニュの甥のブルターニュ伯ローランはイスラム軍との和平を受け入れ撤退を開始した
シャルルマーニュ軍の殿(しんがり)を務めるが、味方の裏切りに合いロンスヴォーで敵の大群に囲まれる。

角笛を
吹き鳴らして味方に知らせれば救われたのだがローランの気位が許さず、最後まで敵と闘い、絶命寸前に鳴らす。

ここにも名剣が出てくる。敵に奪われぬよう名剣ランダルをローランは岩に叩きつけるが剣は折れずローランは絶命する。

味方が駆け戻った時、12人の騎士全員とローランは敵の刃に倒れた後だった。

さて、レースの経過。今日のコースは、少し山に入ったジロナからまず海岸へ下る。山は最高で159m。さほど高くはないが上り下りの連続で厳しいレース。

海岸へ出る。この辺はコスタ・ブラバと呼ばれトッサ・ド・マールなど海水浴場が連なっている。ダリ、ミロ、ピカソ。20世紀前半の偉大な画家を3人、この土地が生みだした。

ダリが晩年を恋人のガラと暮らし絵を描き続けた小さな港町カダケスは岬にある。

179人の選手がジロナをスタートした時はゴールのバルセロナはどしゃ降りだった。まもなく、どしゃ降りは止み、バルセロナ郊外までは薄日も差し道は乾いていた。が、ゴールまであと40kmほどで雨が選手たちの顔を濡らし始めた。

先頭を4人が後続集団と1分14秒の差をつけて走る。フランス人2人。バスク人ツルカ。スコットランド人のダヴィッド・ミラーの4人は残り20km地点まで一緒だった。

しかし、昨日と似て、ダヴィッド・ミラーが一人突然スパートした。後続集団との差をぐんぐん広げてゆく。

雨で濡れた道路、特に白いペイントを横切る時は危険だ。それでなくてもこの地帯は松が多く松葉が道路表面を滑りやすくしていると解説していた。

残り10kmのところで4・5人が転倒した。 「アラシロ」と日本人の名前が上がった。

残り8km。バルセロナの市街に入ってからも10人ばかりが集団で転倒。スプリンターで今日の優勝候補だったベルギー人が倒れた。

残り2km。正面に壮大なパレスと噴水が見える巾50mもあるバルセロナ中心街の道路に入るや、チームを立て直した後続集団が一気に押し寄せ、先頭のダヴィッド・ミラーはたちまち捉まった。

最後の100mで、4番目を走っていたノルウエー人のトール・ユショフが力強くダッシュし首位を奪った。10位までが4時間21分33秒の同タイム。

バルセロナは人口150万。沿道は両側とも凄い人垣で大きな声援がCatalan挙がる。道に飛び出して自転車と一緒に駆けだす若者もいる。
地元のスペイン 人が健闘したが2・3着に終わった。

20km地点から最後2kmまで独り奮闘したダヴィッド・ミラーには敢闘賞が贈られた。

個人総合順位の首位3人は変わらず。新城は152位、トップとの差は13分44秒。別府は166位でトップとの差が17分49秒

チーム順位はASTANA, SAXO BANK, Columbia。

ポイントではトップのガヴェンデイッシュが96点。新城は転倒がたたってか30点のまま18位に。別府は18点で37位。

明日は、ピレネー山中が戦場となる。

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2009年7月 9日 (木)

フランス人トマの逃げ切り - トウール・ド・フランス5日目

投稿者:「りゅ-らる」そうりん亭ジャーナル:http://www.sorintei.com

Shimano4
トウール・ド・フランス5日目は、地中海のル・キャップ・ダle Cap d'Agde からスペインの国境に近いペルピニャンまでの196.5km。

80km地点から抜け出した6人が先頭を切り、黄シャツ、緑シャツを着けた昨日までの優勝者の集団と差を維持している。差は1分から1分15秒。距離にして約1kmだ。

普通ならゴールまであと5kmの地点でパワーを残した
後続の実力者たちが一斉に追い上げをかけるのだが、今日はどうしたことか、あと4kmを過ぎても先頭の6人との差が縮まない。

逆に6人のうち淡いブルー(新城が属するBBOX Bouygues Telecom )のチームウエアーを着た選手が、残り2.5
kmの地点で突然、猛烈なスパートをかけ、それまで後になり先になりして一緒に走っていた5人を置き去りにした。

解説者はフランス人なので、ここでスパートをかけて大丈夫か?最後まで持たBouyg な いのでは?と
無謀な賭けを批判していたが、ゴールラインが見えて来ても他の選手が遥か遠くなのを見て、初のフランス人の勝利を祝福した。

選手の名はトマ・ヴクレール。フランス・チャンピオンになったこともある。
ゴールライン手前50mほどで後ろを振り返り、誰もいないことが信じられないというように何度も首をかしげていた。

インタヴューでは実際その時まで自分がトップでゴールするとは信じられなかった。てっきり直前で抜かれると思って走ったと言っていた。昨日のタイム・レースで実力者の選手たちも疲れたのだろうと解説者はいう。

トマのタイムは4時間29分35秒。
2位から10位までが同タイム!トマとの差は7秒もあった。

個人総合の順位は変わらずトップがカンチェレラ、アームストロング、コンタドールと続く。

日本の新城の順位は個人総合で139位。別府は150位。
Shimano3 しかしポイント順位は
新城が30ポイントでなんと12位だ。
別府は18ポイントで27位。

チーム順位は一位は昨日健闘したASTANA チーム(カザクスタン)。2位はデンマークのTEAMSAXO BANK。
3位 Columbia-HTC(米)。
4位 GARMIN-SLIPSTREAM (米)。
5位が LIQUIGAS(イタリー)。
開催国のフランスは最高がCOFIDIS で8位。
今日優勝したトマ
と新城が属するBBOX Bouygues Telecomは19位という成績。

ずっと先頭を守っていた6人の中には SHIMANO のユニフォームを着た選手がいた。明日はスペインへ移動してジェロナ〜バルセロナだ。

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2009年7月 8日 (水)

トウール・ド・フランス4日目の結果

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

Shimano5
第4日目のトール・ド・フランスはモンペリエでの団体タイムレース。

モンペリエは地中海岸のマルセイユとバルセロナ
を結ぶ要にあり、エロー県県庁所在地で、郊外を含め人口50万の大都市。

団体タイムレースは
モンペリエの中心部オペラハウスの前からスタート、郊外へ出て、またモンペリエの中心へ戻ってくる全長39km のコース。

カーヴが右、左と連続し、途中、道幅が狭い箇所もあって難しいコース。全部で20チーム出場し、大抵は
メンバーが9人だが、中には5人しかいないチームもある。チーム毎に間隔を置いてスタートし、チーム別のタイムを競う。

カーヴが多いため転倒が続出した。レース用の自転車は直進でスピードが出やすいよう
タイヤの接地圧が小さく設計してある。カーブ毎にスピードを加減しないと転倒したりカーブからはみ出してしまう。

Shimano1 20チームの半数に転倒やパンクが出た。

タイムを競うレースなのでカーブも最大限のスピードで抜けようとするが、転倒やトラブルが出ると取り返しがつかない。いかに最適スピードでカーブを抜けるかが勝負の決め手となった。

2日目と3日目連続で首位を奪ったカヴェンデッシュ
が属するコロンビア・チームはAstana2 るわず5位に終わった。首位を奪ったのは、レンス・アームストロングが果敢に引っ張ったASTANA チーム。このチームには個人総合で3位のスペイン人コンタドールもいる。団体戦の優勝候補だ。タイムは46分29秒

2位はアメリカGARMIN-SPLITTREAMでトップとの差が 18秒。
3位はTEAM SAXO BANK 。4位はイタリアの LIQUIGASだった。

レンス・アームストロングがまた浮上した。トップのコンチェレラと同タイムとなったふたりが10時間38分7秒で並んだのだが、僅か10分の1秒差でコンチェレラに及ばず復帰後の黄シャツはお預けとなった。

初日のモナコでレース後のインタヴューではリラックスしていた。勝敗は2の次でレースを楽しんでる様子だったが、今日の試合でやる気を示した。明日以降が楽しみだ。

レースはまだ始まったばかり。これからピレネーと中央高地帯の山岳部とまだ15日も残っている。途中2回の休みはあるが、毎日本番が19日も続くのだからツアー競技は大変だ。

Shimano2_2

個人総合で日本人選手の順位は新城が142位でトップとの差は6分49秒。Shimano チームの別府は156位でトップとの差は7分35秒となった。

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2009年7月 7日 (火)

トウール・ド・フランス3日目の結果

投稿者:「りゅーらる」そうりん亭ジャーナル:http://www.sorintei.com

Tdf2009
3日目7月6日(月)のコースはブリニョル〜マルセイユ(に接したグランドモット)の196.5km。

少し山に入ったブリニョルから地中海に向かって下るコースで向かい風が強い。

スタート直後に4人の若い選手が飛び出した。この四人はその後もずっと先頭を保ち、逃げ切りかと思われた。残る175人の選手は向かい風を避けるようにずっと集団のまま風は選手の体力を激しく消耗させる。

この形が150km も続いた。海に近づくほど道は平たんになり、やがてフラミンゴやジプシーの集合地として有名な湖沼地帯カマルグが見えてくる。道の脇の牧場に白馬が10頭ほど草を食んでいたが自転車の一群が横を走るとつられて並走しはじめる。

先頭の4人と後続の集団の差は2kmほども離れてしまい、もう今日はこのまま4人の誰かがトップでゴールでしょうと予想が固まりかけていた。

形勢が変わったのはゴールまで残り40kmほどの地点だった。直角カーヴがあり風向Tdf20093 きが向かい風から横風に変わった。この機をとらえコロンビア・チームが猛然と追い上げを掛けた。Columbia は昨日トップを切ったカヴェンデッシュが所属するチームだ。メンバーの全員9人が揃い黄色と白のチームウェアで直線となりぐんぐんと先を行く4人を追いつめてゆく。

だがその中に アスタナ・チームの淡いブルーと白を着た二人が混じっている。ASTANAはベテラン、レンス・アームストロングが所属するグループだ。ふたりのうちのひとりがアームストロングだった。

Tdfarmst コロンビア・チームが先頭の4人を捕えたのはゴールから5kmの地点だった。黄色と白に混じってブルーと白のアームストロングもしっかり先頭集団に入っている。さすがは老練アームストロング。レースをしっかり読んでいる。初日の個人総合1位2位3位だったカンチェレラも、コンタドールも、ウイギンスもいない。

勝負は最後の100m。スプリントNo.1のカヴェンデッシュをチーム全員がしっかり守ってダッシュを掛けやすい地点まで持ってゆく。残り30mで2番目に居たカヴェンデッシュが最後猛烈なダッシュをかけトップでゴールした。昨日に続く2連勝。23歳の若者はフィニッシュ・ラインを切ると起き上がり右手で電話を掛けるポーズを作った。後のインタヴューで監督が優勝すればケイタイをご褒美にくれると約束したからと判った。

アームストロングは個人総合で3位に浮上した。1位は初日と同じカンチェレラ。それTdf20092 だけ初日のタイムがダントツだったのだ。2位にドイツのマーチン。 4位コンタドール。5位ウイギンスという結果になった。

日本の新城は119位。SKIL-SHIMANOチームに属する 別府は124位だった。

風のため196.5kmに5時間掛かった。それでも平地直線で65km/時、下り坂では80km/時が出るというから凄い。

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2009年7月 6日 (月)

アーサー王伝説-その5

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

アーサーは、臣従する騎士たちの協力を得て団結して外敵を追い払い国土に平和が齎された時、自らの発案で「円卓の騎士団」を作る。円卓は上座下座が無く全員が平等の位置につき国事を審議する。アーサーの家臣を重んじそれぞれが対等で議論を尽くして欲しいという意思の表れである。

Tableronde_2 騎士たちが丸く座った「円卓」が実在する。英国のウンチェスター城の大広間の壁に掛けられている。直径5.5m の大きなテーブルで、樫材で作られ13世紀(1250〜1280年の間)に作られたと鑑定されている。

中心部に紋章化された5弁の赤バラと不思議なことに赤バラに重なって白バラが描かれている。英国では周知のとおり赤バラは大貴族ランカスター家の紋章で、白バラはヨーク家の紋章。王位継承をめぐる「ばら戦争」は1455年から1485年の30年間続いた。
ランカスター家のヘンリー7世とヨーク家のエリザベスの結婚により両家の戦いが終わり、ここに示されるように赤バラと白バラが合体した。

円卓は全体が25の放射状に区切られ、交互に緑とベージュに塗られている。上部の区切りの部分に王冠を頂いた王の肖像が描かれ、あとの24の区切りの円周部には、それぞれ円卓の騎士の名前が記されている。

一番目に王国に破滅をもたらすモルドレッドが記されているのはどういうわけだろう?間を省略して8番目にアーサーの乳兄弟で国務長官のケイ。11番目にランスロットの従兄にあたるボールス・ド・ガニス Bors de Ganys。18番目にアーサーの甥のガウェイン。19番目のトリスタンは Tristram Lyens と書かれている。21番目はペルスバルだが Percyvale と書かれている。23番目のランスロットは Lancelot due Lake。そして24番目、アーサー王の左手に座すのはランスロットの息子のガラハットGalahalltだ。

簡潔を期すためにこのブログでは書かなかったが、聖杯の騎士とされているのはペルスバルのほかにガラハットとボールスの三人なのだ。13世紀の作者不詳「ランスロ聖杯物語」では、この三人のうち聖杯の神秘を見たガラハットは恍惚のうちに死んでしまい、ボールスがアーサーの宮殿に報告をもたらす。

この円卓はヘンリー8世の治世の初期、神聖ローマ皇帝カルロス1世(カール5Charlesq2世) 来訪の折、塗りなおされたとされている。紅白のバラが15世紀の「ばら戦争」の終結を示すとすれば、円卓が作られてから250年以上後に描き加えられたと推定できる。

ンチェスター城 とアーサー王伝説のかかわりは深い。というのも、クレテイアン・ド・トロワ以降のこの伝説の文書として残り、しかもアーサー王伝説の集大成ともいうべきトマス・マロリーの「アーサー王の死」の写本が1934年にンチェスターで発見されているからである。

トマス・マロリーはウェールズ出身の騎士で1470年に「アーサー王の死」を書いた。散文ロマンスのこの大作はイギリス最初の出版業者ウイリアム・キャクストンの手で印刷本にされヨーロッパ各地で広く読まれた。

1934年に発見された写本はより原典に近いとされンチェスター本と呼ばれている。

日本では、筑摩書房から2004年から2007年にかけてウイリアム・キャクストン版全5巻が井村君江訳で出版された。トマス・マロリーの「アーサー王の死」ウイリアム・キャクストン版の初の完訳である。

そしてより原典に近いとされるンチェスター写本の完訳も出版の年は定かでないが、最近になって青山社から上下2巻で出た。「完訳アーサー王物語」とタイトルされ、中島邦夫、小川睦子、遠藤幸子の訳。ISBN 4915865622

映画では人間の心理は顔の表情や動作、行動で表すしかないが、騎士道物語がわれわれ日本人にとっても興味深いのは「髷物(まげもの)」のちゃんばらが面白いのはもちろんとして、主に対して臣従を誓う家臣たちの心理が興味深い。

Excali アーサー王伝説でも若いアーサーがどのように王権を確立し諸侯の信頼と臣従を獲得しえたかが語られる。ひとつはエクスカリバーという聖なる剣によって。さらにメルランという魔術師に助けられながらではあるが、アーサー自身が王に相応しい英知と深慮、部下と民衆への仁愛の持ち主だったことが強調される。

出生と同時にアーサーは約束によりメルランの手に渡り、メルランは養父としてエクトールに預ける。エクトールには実の息子のケイが居る。アーサーは出生の秘密を知らぬまま成長する。

映画では村祭りに馬上試合をするため諸侯が集まり、エクトールとケイも試合に出場しにやってくる。アーサーは単にふたりのお付き、「お馬番」でしかない。ケイの出場寸前に剣が盗まれてしまう。早く探して来いと養父に言われアーサーはケイの剣を探すが盗人はどこかへ隠れ見つからない。

その時、アーサーは一本の立派な剣が岩に突き立っているのを見つける。手をかけExcali3 てみるとなんなく抜けてしまうのだ。アーサーを探しに来たケイは父親に、自分が抜いたと嘘をつくが、エクトールは事情を察し、もういちど剣を岩に戻してやってみろと命じる。

その頃になるとエクスカリバーを抜いた奴がいると噂がひろまり、大勢が岩の周りに集まってくる。あんな若造が抜いたんなら俺だってと力に自信のある者が次々に試すが誰も抜けない。アーサーはふたたびなんなく抜いてしまう。「王様の誕生だ!!」人々は叫びかわす。

エクスカリバーには「この剣を抜くものこそが真の王位継承者である」と明記されている。エクトールはアーサーに「おまえはイングランドの王ペンドラゴンとイグレーヌのあいだに生れた子だ」と出生の秘密を明かす。

諸侯たちは、「あんなお馬番の若造に臣従ができるか」とか、事情通の者は「あいつは不義の子だ」と反発し王位継承者と認めようとしない。とりわけアーサーの異父姉をそれぞれ妃にもつオークニーとノルガリス侯は他の諸侯を引き連れアーサーに反旗を翻す。

アーサーを素直に国王と認めたのは弱小国のカメリアードと貧しい民衆だけである。アーサーはメルランの助けを借りて隣国カメリアードの危機を救い、その娘グウイネヴィア姫を娶る。

Chevalier1 オークニーとノルガリス侯に率いられた反アーサー軍とアーサー軍全軍が戦場で対峙している。総攻撃になれば双方に多大な死傷者が出るのは必定である。その時、アーサーはエクスカリバーを抜き単身で敵陣へ進み、ノルガリスに向かいエクスカリバーを差出し「私はこの王の印としての剣を授かったが貴公がどうしても臣従しないというならば、この剣で私の首を刎ねるがよい」と首を差し出す。

言われた侯はエクスカリバーを受け取るや、すわ敵将の首をと振りかざすが、その時、異様な力を感じて剣を振り下ろせない。聖剣を実感した侯はアーサーの前に膝まづき、家臣として臣従を誓うのである。「戦争は避けられた!」両軍の兵士全員が歓喜に躍り上がって喜ぶ。

その後、いくつもの試練があり外敵をすべて追い払い、王国に平和が訪れた、その機を逃さず、アーサーは円卓の騎士団の結成を宣言する。「真理と友愛に基づいた王国の建設」。円卓には上座下座の区別がない。円卓を囲んで座る騎士の全員が対等で国事に審議を尽くすというアーサーの理想主義の表現だった。

このように、国王の権威を認めさせる「物」としての剣が重要な役割を果たしている。

ところで日本の熱田神宮にご神体として奉齎されている三種の神器のひとつ「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」は須佐之男命が大蛇を退治たときに、尻尾から出てきたとされ、後に「倭建命(やまとたけるのみこと)」に渡され野火に囲まれた命がこの剣で草を薙いだことから別名「草薙ぎの剣」とも呼ばれている。

アーサー王伝説と「やまとたける」の伝説を学術的に比較研究されている方もおられる。アーサー王伝説研究会日本支部も存在する。

国王の権威と「騎士が潜り抜け、乗り越えなければならない試練」について次回に書きたいと思います。(つづく)


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トウール・ド・フランス2日目

投稿者:そうりん亭ジャーナル 「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

トウール・ド・フランス2日目の7月5日はモナコ〜ブリニョル間187kmを4時間30分かけて走った。ニース、カTdf12 ンヌ、サントロペなど名高いコートダジュールの海岸線から少し山側へ入ったコース。

昨日のモナコでは個人戦のタイムレースだったが、今日は個人、団体、ポイントと各種目別と総合で競われる。他に山岳賞、ヤング賞もある。

先頭を5・6人の
集団がペースメーカーとなって全員を引っ張って行く。途中後ろの集団から猛然とスパートを掛け先頭へ出る選手もいる。暑さが厳しいようだった。

勝負は残り5km を超えてからで、それまで力をキープしていたチームがいっせいに先頭の直線集団を左から追い越しにかかる。同じ色のチームウエアの選手たちがひと塊りになって左側が膨らんでゆく。鮮やかな色が入り乱れて興奮をかきたてる。

ダッシュ力のある選手を
ひと塊りになって守りながら、駆け引きを交え、各チームがTdf10_2 最後の数百メーターでダッシュしやすい位置を争う。先頭を切れるのはスプリント中のスプリント。

今日の勝者は英国人 カベンデイッシュだった。2位はアメリカのファラス。3位はフランスのフェイリュ。

日本の新城幸也が5位に入った。新城のポイントは22点。1位の
カベンデイッシュは35点。

Tdf11 しかし団体(チーム)としての順位は1位がASTANA。個人1位の
カベンデイッシュが所属する Columbia は5位。新城が所属する Bouygues Telecomは12位だった。

個人総合順位は、1位がスイスのカンチェレラ、2位がスペインのコンタドール。3位が英国のウイギンス
と昨日のまま変わらず、カンチェレラが首位の印の黄シャツをキープした。

明日3日目は
ブリニョル〜マルセイユのコースを走る。

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2009年7月 5日 (日)

トウール・ド・フランス初日

投稿者:「りゅーらる」そうりん亭ジャーナル:http://www.sorintei.com

7月4日16時きっかりにール・ド・フランスはスタートした。モナコのF1レースとほぼ同じ、全長15km500。すべて街中のコースを走る。 1分間隔で一人一人スタートし、時間を 競うタイム・レース。

アルベール・モナコ国王が黄色のスタート・フラッグを振り下ろし、一番目のオランダの招待選手ケリー・ロバート・ヴァン・ハンメルが開幕の
スタートを切った。Tourdfrance5

上りと下り坂が5か所あり、ヘアピンカーブもあってなかなかむずかしいコースだ。
隣町のニースでは雨が降っており、やがてモナコにも雨がと心配されたが雨はレースを避けて通った。

沿道には夏のバカンス客はじめ遠くからも詰め掛けた数十万人の観客が声援を送る。

ケリー・ヴァン・ハンメル選手のタイムは21分50秒。出場選手180名が次々とスタートしてゆく。

Ar 6回の優勝の後、2005年にリタイヤーを宣言し一旦はレースから身を引いたアメリカのランス・アームストロング選手の復帰を、観衆も選手たちも喜んでいる様子。衆目の中、18番目にスタート。黄色と黒の縞模様のヘルメットと後車輪が鮮やかに映える。中間地点でのタイムは11分39秒。

ランス・アームストロングは結局20分12秒35でゴール。トップに立ったが、じきアメリカのレイフェイマーが20分2秒50を出し、続いてドイツのマルチンが20分3秒で追いTdf7_2 抜いた。

この日、ふたりの日本人が出場。新城幸也(あらしろ・ゆきや)選手は明るいブルーの BBOX ブイグ・テレコムユニフォームにゼッケン142番を付け最初から飛ばす。もう一人は別府ふみゆき選手。

Tdf9

午後7時には全選手が走り終わり順位が確定した。表彰台に上り黄色のシャツをアルベール国王から受け取ったのはスイスのチャンピオンでオリンピックの優勝者ファビアン・カンチェララ。タイムは19分32秒。

今年から黄色のシャツに加えてグリーンのシャツも渡されることになった。自転車レースはなるほどバイクや自動車ラリーのように排ガスを出さず環境にやさしい。

緑のシャツと一緒になにやらホウレンソウみたいな野菜の束がカンチェララ選手に渡された。

2位はスペインのコンタドール選手で1位のカンチェララに18秒遅れ。3位英国のウイギンスはコンタドールとの差が19秒だった。

ランス・アームストロングは後半に出場した選手が次々と好タイムを出し、10位となった。日本の新城選手は127位。別府選手は174位に終わった。

坂あり急カーブありの市街コース15キロ500mを20分そこそこで走るのだから、平均時速は46.5kmとなる。上体は動かず、腿から膝、足首が滑らかにリズム良く回転する。テレビ・カメラに映る選手の姿勢を見ているとそれほど早いようには見えないが、直線では時速60kmを超えているだろう。もの凄いスピードなのだ。

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2009年7月 4日 (土)

トウール・ド・フランスがやってくる

投稿者:「りゅーらる」そうりん亭ジャーナル:http://www.sorintei.com

第96回 トール・ド・フランスが7月4日16時モナコをスタートする。7月26日パリの凱Tourdefrance4 旋門のあるシャンゼリゼにゴールするまで、2日の休憩を挟み、21日間、21区間、計3500キロを走り抜ける。1903年に第一回開催という長い歴史を持つ世界最大の自転車レース。

最近の傾向として走行コースがフランスだけでなく隣国に及んでいることだ。
イタリーに少し入り、スイスの山岳地帯を走り、スペOtourdefrance2インと アンドラを抜けベルギー、オランダと計6カ国にまたがってレースが繰り広げられる。

今年は日本から新城幸也(あらしろゆきや)がブイグ・チームの一員として出場する。

さらなるニュースは、今年初めて筆者の住むこの町、サン・ファルジョーSaint-Fargeauに来る事だ。それも7月14日の革命記念日(昔の日本人はパリ祭と呼んだ)。
フランス最大の祭日、建国記念日に来る。

11区間目 Vatan - Saint-Fargeau間 192km のゴール地点となる。
世界中の170カ国から78のテレビ局が中継する。オリンピック、サッカーのワールド・カップに次ぐ世界で3番目に大きなスポーツ・イべント。

Tourdefrance1 ロジステックのトラックだけでも130台。ジャーナリストの人数は450人を超える。迎え入れる村は今からパンフレットを配り自転車の形に繰り抜いた看板を方々に立て村民挙げての準備に大わらわ。

今年注目は日本人には
新城がどこまで底力を発揮するかだが、フランス人にとってはアメリカから4年ぶりに参加するアームストロングの復帰だ。7回優勝の記録保持者は今年37歳になる。この年齢優勝した例は過去にない。もはや限界を超えたという人と、いや油断はならないという人とに分かれる。

途中経過を含めて、何回かこのブログで、恒例の夏のイベントをお伝えします。

アーサー王伝説と交互になりそうですが、ともどもお楽しみください。

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2009年7月 2日 (木)

アーサー王伝説-その4

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://sorintei.cocolog-nifty.com

マジシャン・メルランMerlin に関するストーリーは「メルラン物語」(作者不詳)が下敷きになっているが、アーサー王伝説にランスロ(英語読みでランスロット)Lancelotを登場させたのは、フランスはシャンパーニュ地方の吟遊詩人クレテアン・ド・トロワだった。

Alienor2 クレテアン・ド・トロワは先に触れたフランス王ルイ7世とアリエノール・ダキテンヌAlienor d'Aquitaine の間に出来た娘マリー・ド・シャンパーニュの宮廷に出入りしていた吟遊詩人で、母親譲りで真の恋愛は婚姻外にあると主張しかつ実践もしていたフェミニストの魁(さきがけ)マリーにそそのかされた、というか依頼によって「荷車の騎士ランスロット le chevalier de la charette」他の物語を韻文で書いた。1177年から1181年にかけてとされている。

アーサーArthur に次ぐ第二の英雄、ランスロット Lancelot がフランス出身で、美男の上にこの上な く強く、アーサーと互角の勝負が出来、騎士同士の試合( tournois= トーナメント )では常に優勝者 champion。アーサー王の妃グイネヴィア姫はたちまち恋に陥ってしまう。いかにもフランスに宮廷を置いたマリー・ド・シャンパーニュの意気が通った設定が面白い。トーナメントもチャンピオンも現代のすべてのスポーツに言葉が残っている。

「宮廷風恋愛」は女性中心の宮廷とそこに出入りしていた吟遊詩人たちが生み出し、Troubadour4 ルネッサンスから近代へと続く文学の底流となった。騎士ランスロットは一人の貴婦人に魂を捧げ忠誠を尽くす騎士の典型である。

中世までは女性は婚姻において子孫を残すための牛馬同然の扱いしか受けておらず、人間の証である恋愛は結婚関係の外にしかありえないと主張したのがアリエノールAlienorとマリー母娘。宮廷恋愛の対象となる騎士は自ずと教養と美徳と礼儀を弁えしかも強くなければならない。

この高貴な魂と洗礼された宮廷風恋愛の代表者ランスロットが何故また荷車など野暮の代表みたいな乗り物と結び付くのか?これは、「アーサー王伝説中央アジア起源説」とも関連するので少し触れておく。

Alienor3 アーサーに嫁いですぐグイネヴィア姫は誘拐される。ランスロットが救出にゆくが途中、馬がいなくなり徒歩で森をさまよう。そこへ動物に牽かせた荷車 charetteで小人が通りかかる。「荷車に乗るなら、グイネヴィア姫の許へ連れてってやる」と小人はランスロットにもちかける。荷車は犯罪人が乗るもので恥の象徴でもありランスロットは躊躇するがグイネヴィア姫の許へ行くには他に手段がないのでやむなく受け入れ荷車に乗る。Chrettroyes2

フランス人は昔から恋愛が好きだ。浮気、不倫は日常茶飯事。12・3世紀の昔から王さまと王妃様が率先して恋愛に励んでいたのだから、どうしようもない。かくいう日本だって平安貴族は毎日のように恋愛にうつつを抜かしていた。「源氏物語」は「アーサー王伝説」中でも「ランスロット」よりも遥か昔に書かれた。

もうひとつ、この伝説に色濃く流れているアーサーの出自と、近親相姦により生まれたモルドレッドとアーサー王が最後は父子相殺に終わるという悲劇は、アリエノールの二度にわたる婚姻が二度とも近親結婚だったことへの教訓と警告と受け止めることができる。

ランスロットの騎士像そのものはクレテアン・ド・トロワが「荷Lancelot4 車の騎士ランスロット」を書く前からロマンス語で書かれた伝説「湖の騎士ランスロ Lancelot du Lac 」にあった。湖の姫ヴィヴィアンが赤子のランスロを引き取り完璧な騎士として育てる。聖剣エクスカリバーを守り正当な王位継承者に与える役目を持つのが湖の姫ヴィヴィアンとなっている。

クレテアン・ド・トロワはもうひとつ重要な人物と「道具」を導入した。ペルスバル Perceval とグラアル Graal 「聖杯」がそれ。ペルスバル Percevalは1181年に書かれるが完結をみないうちにクレテアン・ド・トロワは死んでしまう。

ランスロとグイネヴィア姫の許されざる恋を円卓の騎士全員の前で騎士ゴーヴァンが暴露し糾弾する。王妃の不倫は国家反逆罪にあたり死刑に値する。窮地に立たされたアーサーは、ゴーヴァンに対してランスロ自らが王妃に命を捧げる騎士として宮廷全員の前で決闘をし、有罪か無罪かを決めると宣言する。国王自身は審判を務めなばならず決闘に参加できない。この時ランスロはグイネヴィア姫との関係が深まるのを怖れ森に隠れているが、自分の影(ドッペルゲンゲル)と闘って脇腹に深手を負っている。この傷は一生治らない不治の病となる。

神が正義を認めた者が勝つと信じられていたため、正義を決めるための決闘はしばしば行われた。決闘の日時が迫ってもランスロは現れない。その時、騎士になりたくてランスロのお付きをしていた農民出身のペルスバルが王の前へ進み出、自分をランスロの代わりに、グイネヴィア姫の無実を証明する騎士としてゴーヴァンに対決させてほしいと申し出る。アーサーはペルスバルの勇気を認め、いまだ騎士の身分でない彼をその場で叙任する。エクスカリバーをペルスバルの左肩ついで右肩に当て、サン・ミシェル Saint-Michel, サン・ジョルジュSaint-George の名において騎士に叙任ずると宣言する。いずれも騎士の守護神である。

ちょうどその時、鎧兜に身を固めたランスロが現れる。脇腹から血が流れ鎧の裾をLancelot5 赤く染めている。騎士の決闘はまず馬に乗ったまま長槍で突き合う。ゴーヴァンはランスロを落馬させるが、ランスロもゴーヴァンを引きずり降ろし、地上で死闘が繰り広げられる。不治の傷を持つランスロは息も絶え絶えながら、ついにゴーヴァンを組み伏せ喉もとに短剣を突き付ける。死を前にゴーヴァンは「王妃は無実だ!!」と叫ぶ。とどめを刺せずにランスロは気を失う。

肉体関係はなかったにせよ、グイネヴィア王妃とランスロの恋愛関係を知り、自らもモルガンと近親相姦の罪を犯してしまったアーサーは雷に打たれ魂が抜け「腑抜け」になる。腑抜けとなったアーサーの前へ近親相姦によってできた息子モルドレッドが現れ、力ずくでお前の王位を奪って見せると宣言する。王国の荒廃を自覚したアーサーは円卓の騎士全員を集め、王国の危機を救うには「聖杯」グラアル Graal を見つけ出す以外Graal4 にないと宣告する。国の隅々、森の奥、世界の果てまでも行き、草の根を分けて「聖杯」を見つけ出すよう全員に懇願する。

こうして円卓の騎士全員が
「聖杯」探究に出発するが、数年の歳月を掛け、地上のあらゆる土地を探したにもかかわらず聖杯を見出すことはできない。のみならず、成長し「悪」を代表するようになったモルドレッドは、母親で魔術師のモルガンと計らい円卓の騎士を次々と殺してしまう。

最後に残ったのが
ペルスバルで、彼は一旦グラアルを見るのだが「漁夫王」に遠慮Chrettroyesgraal してグラアルかと訊きただすのを躊躇する。そのため聖杯を逃してしまうのだがモルドレッドに殺されかけ、朦朧とした意識の中で再度「聖杯」を見、夢の中で聖杯とともにアーサーの許へ行き、腑抜けの王の口へ聖杯を運び中味を飲ませる。

意識を取り戻したアーサーは残った臣下にすぐさま出陣を命じ、鎧兜を着け、白馬にまたがり、幟を棚引かせて「悪」の支配者モルドレッド成敗に進撃する。荒廃し冬景色だった国土にたちまち春が訪れる。

このように、クレテアン・ド・トロワのペルスバルはキリスト教倫理が極めて濃厚に書かれている。

アーサー王が異父姉のモルガンと同褥するのはモルガン(もしくはモーブ)がアーサーに懸けた催眠術によるのだが、同じ伝説中のエピソード、円卓の騎士の一人トリスタンがイゾルデと恋に陥るのは媚薬を飲んだためである。

Amour2 「人は何故恋をするのか?」
筆者は思春期からこう問い続けてきた。

詩人のドニ・ド・ルージュモンが「愛」にはエロスとアガペーの二種類があると書いたことは先にふれたが、騎士道恋愛は極めて人格的愛、プラトニックな恋愛関係を示すことが多い。しかし、伝説の中の恋、なかでもトリスタンとイゾルデの恋は媚薬のせいだとして甚だ唯物的な解釈を示している。

近年英国の心理学者たちが、恋愛感情をもつに至った男性数十人と、その対象となった女性を調査した結果、いずれも女性から発せられたエストラゲン(女性ホルモン)を男性が吸収し、それが脳下垂体まで昇り恋愛感情を喚起したという研究発表をした。これはテレビで放映されたこともあり、かなり一般的なやはり唯物的な解釈の例といえる。

ともあれ、媚薬とか催淫剤とかは昔から存在したようだし、現代では、若者がデスコテックで初対面の相手に催淫剤入りドリンクを飲まされ、そのままベッドインというなど良く聞くし、精神分析医に催眠術を掛けられ淫行に及ばされた女性数人が裁判に訴え出た例さえある。

現代ではランスロのようにアガペーの対象として女性に命を捧げ忠義を尽くす男性を見出すのは至難の技に違いないが、すべての女性の深層にはランスロ希求が眠っていることもまた否めないのではないか。

一生を左右する結婚は重要だから、真面目に婚活に取り組まれることをお薦めする。

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