コンタドール優勝:トウール・ド・フランス最終日
最終日の本番レースは残り60kmのシャンゼリゼに入ってからと、わかってるためモントローからパリまでの道は、みんなお祭り気分で、完全にリラックスして走っていた。途中恒例のシャンペンが振る舞われ、グラス片手に陽気に走ったりもした。
今日のステージ(区間)で優勝をねらう英国のカヴェンデイッシュとスプリンターのトップ、グリーン・ジャッジのトール・ユソヴォも並び合い冗談を交わしながら走っている。
21日間、時には激しく競り合い、時には苦痛を分け合い、共にレースを闘った3週間が終わるのを惜しむように中には肩を組んで走ったりする選手もいる。
中でも老練のレンス・アームストロングは来年は自分のチームを作るとかで、「ボクのチームに加わらないか」と勧誘をしながらのレース風景とみかけられた。
個人総合の優勝候補コンタドールに沿道の応援団からスペイン国旗が差し出された。コンタドールは笑ってそれを受け取り、風に靡かせながら走った後、首に結んで走った。
ヘルメット、ジャージ、靴、自転車まですべて黄色の王者の色に身を飾ったこの青年は、内気な性格で、動物が大好きという。なかでもカナリアを沢山飼っていて、黄色はカナリアの色なので黄色ジャージが着られるのはカナリアのお陰かもと解説者は冗談を言った。
中継の途中、サルコジ大統領入院のニュースが流れた。今日はバカンスで大統領はヴェルサイユの森をジョギング中、急に気持ちが悪くなり倒れた。救急車でヴァル・ド・グラス病院に運ばれたが、症状は軽く健康に心配はないとのこと。
3日前のレースを大統領は車で観戦し、表彰式に立ち会った。サッカー、ジョギングとスポーツ好きで自転車も時々乗っているという。
レースの本番はパリへ入ってからの60km。表敬の意味で団体戦トップのASTANAチームの9人を先頭に立て、レーサーの集団はリヴォリ通りからコンコルド広場を抜けシャンゼリゼに入った。
緩い傾斜のシャンゼリゼ通りを凱旋門の付近まで昇り、エトワール広場には入らず、手前で折り返して、シャンゼリゼを反対方向に下る。コンコルド広場の南端からセーヌ河沿いの道をルーブルまで直進し、ルーブルの手前で左折してトンネルを潜り、ジャンヌダルクの騎馬像前を左折し、またリヴォリ通りをシャンゼリゼに向かう。
最後のレースはこのコースを周回して競われる。コンコルドから凱旋門まで約2kmだから1周5km、12周する計算になる。
7人の選手が飛び出し、後続集団との距離を広げてゆく。なんと、この7人の中に、
日本の別府選手がいるではないか。別府はなんどか先頭に立って快走した。アナウンサーの口からも「Beppu, Beppu 」と名前が繰り返された。
後続集団の先頭に立っていたASTANA チームはくずれ、代ってColumbia の黄色と白地に黒の縞のユニフォームが一列になって集団を牽引してゆく。その最後尾に今日の区間優勝候補カヴェンデイッシュが居る。
ポイント最優秀選手、グリーン・シャツのユスヴォがカヴェンデイッシュにぴったり付いて走るのが見える。黄色シャツのコンタドールは集団に紛れてしまって見えない。アームストロングも同様だ。
勝負がついたのはシャンゼリゼ最後の昇りだった。コンコルド広場を渡りきり、カーヴを曲がる途中から、Columbia の2人が猛然とダッシュした。ユスヴォが追いすがるが前を行く3人の選手に阻まれてダッシュのタイミングが遅れた。
Columbia のカヴェンデイッシュが今季6度目の区間優勝を飾った。通算で10度の大会新記録。とりわけシャンゼリゼでは英国人は勝てないというジンクスを破った。
個人総合優勝は、コンタドールが守った。5年前転倒して頭を打ち意識が戻らぬまま3週間、生死の境をさ迷った。半年間手術と療養を繰り返し、2005年にレースに復帰した。
表彰台でスペイン国歌を聴く時の慎ましげな青年の顔はいかにも感慨深げだった。個人タイム・トライアルのスタート台ではいつも3回以上十字を切る。敬虔なクリスチャンなのだ。
トウール・ド・フランス二度目の優勝を祝い、コンタドールの生まれ故郷マドリッドの南の郊外ピントの広場では明日盛大な闘牛祭り(Fiesta )を行うそうだ。
個人総合2位は、若手のアンデイー・シュレック。ジュニア最優秀の白シャツも手に入れた。将来が有望視されるリュクセンブルグの選手。
そして、ついにアームストロングが表彰台に上った。3年半の空白の後の復帰で、もう年齢からみて無理だろうという大方の予想を破り、7回優勝の底力は消えず見事に復帰をとげた。
あまりに強すぎた選手はドーピング問題の犠牲にされ、あいつは勝つことしか頭にない「イヤなやつだ」と嫌われた。大記録の割に評判が悪かったのだが、復帰後のアームストロングは人間が変わったようだと好ましい評判が立った。
マスコミはじめ人々にオープンな態度で接し、ガン撲滅のための財団を設立するな
ど、今まで知られていなかった彼の人間的な面が明かされた。もっと驚くべきは、アームストロング自身ガンに罹っていたのであり、ガンと闘いながら7回の優勝を成し遂げたという事実だった。
レース後のインタビューで彼は、「かつては勝つためにレースをしたが、これからは、財団のため、ガンと闘う人々のためにレースをします。」と語った。
「来年も出場されますか?」との質問に「もちろん出ますよ。」と笑って答えた。
トウール・ド・フランスは最も過酷なスポーツとさえ言われている。数々の困難を乗り越えて、ゴールまで完走した選手たち。日本の別府選手と新城選手に盛大な拍手を贈りたい。病気と事故を克服し、なおその上に表彰台に立った3人には特別の敬意を表したい。
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