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2009年8月に作成された投稿

2009年8月23日 (日)

Ratilly の城で水彩画教室

Sratillymatin2 ふつう城砦というものは高みに在って周囲を睥睨するとか側面を河や池に守られているなど、攻めるに難しい位置にあるものだが、ラテイの城は余程そばへ近寄らなければ見過ごしてしまうほどひっそりと森に隠れている

ここには、10世紀頃から砦が在り、1270年にマチュー・ド・ラテイが領主間の戦争で破壊された砦を改築し現在の姿にしたと記録にある。

隠し砦と呼ぶに相応しいこの城は、城というには余りに小さく、かといって貴族の館と呼ぶには余りに質朴だ。

1950年に陶芸家のノルベール・ピエルロがこの城を発見した時は、全くの偶然で、森を散歩中だった。そういうエピソードも隠し砦に相応しくうなづける話ではないか。二階の部屋に、司祭が独り住んでいただけで城は廃墟同然だったという。

16世紀、宗教戦争の時代にはユグノーを匿ったり、17世紀には、ルイ14世から禁止されたカトリックの原理派、ジャンセニスト(パンセで有名なパスカルや劇作家のラシーヌもジャンセニストだった)が住んでいたという歴史を持つ。

ジャンセニストが作った日時計が今も二つ屋根の煙突に残っている。

ノルベール・ピエルロがこの城を発見した時の感動はいかばかりだったろうか。魂を奪われ、雷に打たれたような運命的な出会いを感じたに違いない。その場で購入を決意し、翌1951年1月には購入手続きを終えた。パリで長年夢見てきた、自分のアトリエと窯を持ち、陶芸の創作活動が存分にできる理想的な場所を手に入れたのだった。

ジャンヌとノルベール・ピエルロ夫妻は旺盛な陶芸活動を開始し、財政難と闘いながら夫妻の弛まぬ努力によって城は徐々に修復され、アトリエには若い陶芸家たちが技術を習得に住みこむようになった。「ラテイ」の名は世界に知られ始め、著名なアーテイスト達が訪れ、個展を開くようになった。

1963年、日本の人間国宝第一号、「民芸」運動で有名な陶芸家濱田庄司はバーナード・リーチとともにSchateau1 、この城に滞在し制作をしている。やがて「ラテイ友の会」が結成され、コンサートや美術展など支援活動が活発に行われ、国からの援助も得られるようになった。

現在、ナタリー・ピエルロが陶芸を受け継ぎ、ジャン・ピエルロは音楽を受け持っている。毎年夏になると、音楽と美術のマスターズが開かれる。

特記すべきはピエルロ家の一人一人が進んで雑用を行うことで、そこには「お城の主」といった気配は微塵もない。骨身を惜しまず雑用をこなす姿にはみんな打たれる。

そこには家庭的な雰囲気が自然と醸し出され、そのため若い人から年寄りまで幅広い層の人が遠方から泊りがけで参加する。4階ある城には広い個室が沢山あって、最大30人まで宿泊できる。講習の合間の食事の時間には、次女のクレールさん手作りの料理を囲み、うちとけて、お喋りに興じながら、他ではちょっと味わうことができない楽しいものがある。

今年は8月13日から20日まで水彩画教室があると知り、参加を希望していたが、サンファルジョーから車で15分で行き来できる距離なので、宿泊抜きで参加できるかをジャンに問い合わせていた。

冬の間、大抵は夜家に入って寝る二匹の猫も、夏の間は夕方になると野ネズミや蛙を狩りに出てゆき、夜通し動き回ったうえ、朝帰りして昼間一日中寝ていることが多い。そんな田舎の家に夜独り寝るのが怖いというカミサンの為にも晩は家に帰りたいと言った。

先生は英国の美術大学を出てイタリーで教えているアレッサンドラ・ブリュノさんでトリノに住むイタリア女性。連絡が取れたのは講習会前日の夜だった。

Satelierc グランド・ピアノが置いてある東側のサロンがアトリエに使われた。

生徒は僕を加え全部で6人というこじんまりとした教室となった。一番若いマリー・アントワネットが45歳で、あとは50歳過ぎの熟年ばかりというシニア・マスターズとなった。



毎日、午前中は野外で風景を見ながら習作した。 Slavoir3c









午後はアトリエで作業を続ける。

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夕方それぞれの作品を見せ合って先生が批評し討論する。

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デイデイエはドクターで医学部教授。日本で二回講演をしたという。3人の娘さんは皆日本語を話せるという。現代芸術の造詣が深い。

ジャクリーヌは美術関係で仕事をしていたセミ・プロ。

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アメリカ人と結婚し世界中を旅行して何でも知っているマリー・アントワネットは大のおどけ者。ジョークを連発してみんなを笑わせる。

日本へも二回滞在したことがある。日本の友達の家へ電話をすると年寄りの婦人が出て、「もしもし。わたしはマリー・アントワネットともうしますが・・・」と言うと、婦人は「はいはい。わたしはナポレオンですが・・」と応えたという。皆はネネットと彼女を呼ぶ。

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自然に囲まれたシャトーでの一週間は他ではできない貴重な体験となるだろう。費用は宿泊・食事・授業料ぜんぶ込みで7万5千円弱と極めて良心的。英語、フランス語、イタリア語が理解できる方に是非お薦めしたい夏のスタージュ(講習)です。

 

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2009年8月10日 (月)

メジーユで青空骨董市

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

Smezillefuukeic メジーユ Mezille はサン・ファルジョーの10km東にあるこじんまりした村で、窪地の中に昔のままの家が並んで風情がある。

かつては農家だったのだろうが、今はほとんどがパリ・ジャンの別荘で、冬はひっそりと静まり返り商店もパン屋さんとカフェーを除いてほとんどない。

普段はさらに10km先のトウッシーやオークセールに買い物に行くときに車で素通りするだけなのだが、昨日と今日は特別だった。

8月の8日と9日、週末の2日間にわたって、この地域で最大の青空骨董市が開かれた。

屋根裏のガラクタ市と違ってプロの骨董商人も店を並べるので、遠方からも大勢の人が詰め掛けた。バカンス中とあって英語やオランダ語も聞こえてくる。
Smewille8c
土塀が続く細い村の中の道にもスタンドが並ぶ。
復活祭のあたりからほぼ毎週のように近隣のどこかの村で青空市が開かれるが、これほどの規模のものは見たことがない。

出展者の数は優に100を超えるだろう。

年寄りから若者まであらゆる年齢層が来ている。

フランス人は何故、これほどまでに古い物が好きなのだろう?

日本人の僕はどちらかというと新しがり屋で、新しい物にこそ「創造性」があるのであり、古い物ばかりにこだわるのは創造性が無い証拠だなどと、時には骨董市などを毛嫌いし、屋根裏一掃市などの、ホコリと古物独特の臭いに嫌悪を感じることすらあった。

Smewille9c 薄汚れ、時代遅れとなった物を大事にする心理には二つあって、ひとつは単純に物への執着心で、長年使ったものを捨てるのが惜しいから、
フランスのように場所に事欠かない土地では屋根裏などに取っておく。爺さん、婆さんの使ってたものが埃にまみれてころがっている。

もうひとつは、良い物、美しい物は大切にされ、時間のフィルターに掛けられて残り続ける。

椅子、テーブル、箪笥などの家具類は、時代を生き抜いた実に良い物があり、こうしたものは新品より高い。

青空骨董市が人々に好まれるのは、「モノ」と人間が日常生活を通して交感してきた感情が、古物を見たり触れたりする時に、私たちの感覚に蘇り、昔の生活が
感情とともに蘇るからだろう。Stearaic

たとえば右の写真のような手洗いが並んでるのを
見た時、僕は遠い子供時代を思い出した。日本の家庭や学校などにも 、これと同じホーロー引きの手洗いで、蛇口を手で押すと水が出るタンクがトイレを出たところに吊るしてあった。

それはマルセル・プルーストがコルク張りの部屋に閉じこもって喘息の病身をベッドに横たえ死ぬまで書き続けた「失われた時を求めて」と同じ「時間への旅」を瞬時に可能にしてくれるのだった。

Smezille10c バカンス中で近隣から大勢のパリ・ジェンヌも来ていて、普段の田舎の村には見られない華やかさを添えていた。

不況のため今年はフランス人の45%は夏季休暇中もどこへも行かず国内で過ごすという。

パリから200km以内でこれだけ味わいのある田園風景に浸れるのはブルゴーニュならではないか。


この村の有名レストランの脇には小川が流れ、夏の渇水期には車も橋を使わず川を渡れる。

これと似たような浅瀬を、ジャンヌーダルクはシノン城へ行く危険な旅路で、何度かSmezillepont7 渡ったと地方史にある。

夜陰に紛れて、英国とブルゴーニュ兵士の監視の目を逃れるため橋を避け、浅瀬を渡ったのだ。


自分が住む村に自然の小川が流れているのはいい。


僕が幼年期を過ごした兵庫県養父群八鹿村も家の背後がすぐ小川だった。

Smezillepont8c


スタンドを出していても不景気の世の中では冷やかしがほとんどで買うお客さんは少ない。それでも、日がな一日スタンドの番をしているが満更退屈そうでも無く、楽しんで店番をしてる様子が感じられる。

露天市には素人も店を出せるが、商法上では、厳密には「売ろうという意図のもとに仕入て売る」と商行為となる。

我が家の屋根裏のガラクタを片づける分には消費税も乗せずに済むが、繰り返しスタンドを出す場合には商業登記や消費税の処理をしなければならない。

台所を飾った昔懐かしいホーローの水差しやコーヒー挽きも最近ではもうSlespotsc出払った様子で見かけなくなった。この辺の田舎の市では、まだ見かけるがお値段は相当高い。


村の中に収まりきれずSchamps2cに周りの畑にまで拡大した今日の青空骨董市でした。







あまりに可愛いのでつい買ってしまった木靴(サボ)。Ssabots1c


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2009年8月 6日 (木)

閉じ込められたトラ

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

いつもならキッチンのガラス戸をガリガリ掻いて中を覗き、開けてくれという顔を見せるのだが土曜の夜、そして日曜の夜もトラは姿を見せなかった。

Storabuvant2c 八ヶ月間行方不明になる前から、トラには本宅があり、ウチは別宅と解っていた。時々姿をくらまし、脚は泥だらけ、白い胸毛を真っ赤に血で染めて飛び込んでくるなりガツガツと飢えを満たすことも何回かあった。

たいていは週末、土曜と日曜は、姿を現さなかった。妻はトラの主人がサラリーマンで土日は家から出さないのだろうと推理していた。トラの生家は我が家と路地を隔てたお隣で、いつぞやお隣のご主人と奥さんに、トラが小さい時、町内の誰にあげたのか訊いたのだが、勝手に出て行ってしまったという返事だった。

車に刎ねられたか毒を盛られたか、てっきり死んだものと思い込んでいた八カ月の後、突然トラが戻ってきたことは以前このブログに書いた。喧嘩を買って出るほど威勢のよかったトラは、去勢されてすっかり怖がりネコに変貌した。朝ウチへ来て食事をし、日がな一日寝ていることが多くなった。

妻はオス猫は元気が良すぎると喧嘩で傷だらけになるし、特にトラは近所の牧場などへ出かけて首の周りにチックというダニの化け物に吸いつかれたまま戻るので飼い主が外へ出ないよう去勢したのだろうと推理した。

去勢されトラはどこか寂しげで、我が家の居心地が良いのか次第に夜もウチで寝るようになった。昼寝をして夕方起き出すと元気が出て、庭に棲むツグミを狙ったり、掃除をしている妻や私にじゃれついたりする。特にヒモの類が好きで1メートル近くもジャンプする。

その日、金曜日の夕方のことだが、起き出したトラは庭先に座ったまま思案顔で、これからどこへ行こうかと迷っている様子だった。私たち夫婦は買い物から帰ったばかりで、車にはまだ降ろしきっていない荷物が積んであった。

車で出かける私たちを、毎回、トラは遠くから前脚を行儀よく揃えて見送るのだった。クロも昔よくそうして出かける私たちを寂しげに見送った。

トラの遊び相手になってやろうと近づいた瞬間、身を躍らせてトラは植え込みの下へ身を隠した。そして、そのまま姿を消してしまった。

その3日ほど前、右前脚を3センチほど皮がそげ
が見えるほど怪我をし、妻が骨に細菌が入ると大変だと心配して10km先の獣医さんのところへ車で連れて行った。自然の中で育ったネコにとり車で移動するなど想像を絶する体験に違いない。恐怖以外のなにものでもないかもしれない。

走り去る風景を見ながらトラは悲痛な鳴き声をあげ、犬がするように口を開け舌を出して、ハッハッハッハと切迫した呼吸をした。獣医さんは、それはストレスのためだと言った。抗生物質を注射してもらい傷は治った。

トラの姿が消えたと頭の隅で感じながら、私は車に残った買い物の袋を両手に提げ家に運び入れた。その日の天気予報は夜、激しい雷を伴う夕立で、すでに遠雷が聞こえていたので、車をシートで覆った。

月曜の午後になっても
トラは姿を現わさない。こんどは週末だけでなく、ちょうどバカンスへ出かけようとしているところへトラが戻ったので、そのまま車に乗せ、バカンスへ連れて行ってしまったのだろうと妻は推理した。

そうとでも解釈しなければ、あれだけウチに居着く様子を見せていたトラが姿を現さないのが理解できない。
私は妻に言ったものだ。

「金曜の夕方、トラはどこか思案顔をしてたね。飼い主がバカンスへ出かけるのを知っていたのかな?自分も行こうか、どうしょうか、なんて考えてたのか。それにしても、タイミングよすぎるようだ。」

月曜の夜は翌朝回収に来るゴミ箱を門の外へ出す。最近は野菜クズなど自然分解するゴミと分解しないゴミを分け、分解するゴミは澱粉から作った袋に入れて出す決まりになっている。

プラスチックの小袋に仮に入れておいた野菜クズを、分解する袋に詰め替える作業を門の中でやり、ゴミ箱を門の外に出した。庭を戻りかけた時、ふとネコの鳴き声を聞いたような気がした。隣の家から聞こえてきたような、
どこか遠い、感じがした。

隣は現在空き家同然で雌猫が3匹とクロが出入りし、家主が時々餌を与えに来る。Skurosouboisc だが、夜猫の鳴き声を聞くのは初めてだ。ドアにはネコ用の出入り口が切ってあるので、そこからクロが出てくるか見たが猫の影はない。

鳴き声は続いている。不審に思い耳を澄まし、はっと気がついた。そうか、車の中だ。車は3日間使わなかった。私は、突然ネコの死骸をイメージした。大急ぎでシートを剥がした。中で救いを求め動いているのはトラではないか。

丸3日間トラは車に閉じ込められていた。飛び出すと狂ったように庭を走り回った。走る元気はある。家に入っても走り回った。
トラが最初にしたことはネコのトイレを使うことだった。3日間我慢していたのだ。庭は暗いし、それよりも確実で清潔なネコ用トイレを使ったのには驚いた。

妻は、車の中じゃしていないよ。ボクは清潔だよとわれわれに見せるためにトイレでしたのだと言うが、それはどうだか?

ともかく、あれだけ怖がっていた車に上がり込んでしまったトラ。まさか、車に乗り込んだなどと想像もできなかった。シートを被せるとき、そんなことを考えもしなかった。

最初の晩は雷が鳴った。翌日から暑くなった。その車に飲まず食わず、トイレも行かず3日間閉じ込められていた。太めの腹がへこんでスリムになった。左上のバケツから水を飲むトラ
の写真は、事件の3日前に撮ったもので腹が出ている。

ネコの寿命を18年とし、人間の90歳に換算すると、
5倍の時間差になる。ネコにとっての3日間は人間の15日間にあたる。

トラが車に閉じ込められて過ごした時間はどんなだったろうと想像する妻に、私は、「ちょうど軍隊なんかで懲罰に狭く暗い小屋に閉じ込めるじゃない。あれを15日間やられたと同じようなもんだろうな」と言った。

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