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2009年11月 1日 (日)

ジャック・クールの生涯-その2

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

ジャック・クールが15歳の時、すなわち1415年10月25日にアザンクールの闘いが起こった。英仏百年戦争の数々の戦闘のうちで最も英軍の勝利、仏軍の敗北が極端だった戦闘である。

Henriv2 ノルマンデイーのアラスの近くの小高い丘に、ヘンリー5世率いる英軍が1万2千人。

対する仏軍は重装騎兵を含め5万人の兵士で迎え撃った。


アザンクール(Azincourt, Agincourt)は小高い丘で両側に森がある。英軍は丘の上に陣を張った。斜面の下方に陣取った仏軍は、初めから戦術を誤っていた。

運悪く、戦闘の前夜は一晩中土砂降りだった。兵士たちは10月の
体の芯まで凍えるような冷たいにずぶ濡れになり震えながら夜明けを待った。

フランス側の武装は伝統的な甲冑を着けた
騎士が中心で、武器はアルバレット。ウイリArbalete アムテルが息子の頭に乗せたリンゴを射止めるのに使った,あの半分銃のような鋼鉄製の弓の弦を引き金に止め、水平に構えて撃つ弓。漢字で弩と書く。

弩は雨に濡れて使い物にならなかったという。

Longbow これに対し英軍は 長弓(long bows) 隊を戦術的に使って多大な効果を上げた。

長弓は100m先の鎧を貫くという。

わずか数時間の戦闘でフランス側は6000の騎士を失い多数の捕虜を出した。オルレアン公シャルルもその一人。公爵5人。男爵90人が命を落し、フランスの政治体制は甚大な打撃を被り、弱体化した。

これに反して英軍は失った騎士の数がたったの13人という、まるで奇跡のような戦闘だった。英国側は長弓隊を組織的に使った事でも判るように全体として統率が行き届き、指揮命令系統がはっきりし整然と行動した。

これに対しフランス側は、騎士がまだ中世の一騎打ちの戦闘意識から抜け出ず、数Az6 は4倍以上だったにもかかわらず、個人個人バラバラの統率が無く、組織的に動かなかったがために数において劣勢だった英軍に信じがたい無残な敗北を喫した。

夜通しの雨で地面は泥濘になり、馬は脚を採られ滑っては味方同士がぶつかり合う。森を背中に長弓隊は一分に10本の矢を雨のごとく降らせてくる。アルバレットは乾いた時でも1分に2本しか矢を放てない。

アザンクールの闘いは、この闘い以降、中世の騎士が戦場で活躍できなくなった、時代の移り目を示す画期的な戦闘として歴史に名を残す。英国はこの完全勝利を栄光として讃えシェークスピアはこの戦いを題材に劇を作った。

この戦闘以降、英国はノルマンデイからロワール以北を支配下に置き、パリを支配するブルゴーニュSanspeur3 公ジャン・サン・プール(怖いもの知らずのジャン)と手を結んで、実質的に北フランスを支配する。

フランスの皇太子であるシャルル7世はブルゴーニュ公ジャンにパリを追われてブルジュに亡命したのだった。

(続く)


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