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2009年12月14日 (月)

加藤周一をめぐる講演会

Photo_2 加藤周一が昨年他界したことを知らなかった。

パリの日本文化会館で講演があることをオブニーで知り、しかもパネラーのひとりの石田教授に30年以上前、パリの友達の家で会ったことがあるので、遠路を厭わず出かけた。

思春期と青春期のはざまで内的外的要因でウダウダと悩んでいた頃、加藤周一の本を読んで勇気づけられた。そのシンプルで明快な文体。飾らず論理に情が籠った地味だが独特の魅力を持った文体に惹かれ「羊の歌」とか「海辺の町にて」とかを読んだ。

「知」への勧誘というか、外国語を学ぶ勇気、中国や日本の古典文学、建築、歴史、社会学、ありとあらゆる学問知識の世界に好奇心をもって飛び込んでゆくことの喜びと勇気をこの古今稀な知識人から与えられた。

血液学が専門の医者ということは早くから知っていたが、原爆投下直後の広島に調査団の一員として滞在したことは今回はじめて講演で知った。

Spanelersc クローデルとラシーヌの研究家で知られ演出家でもある渡邊守章教授がやはり青春時代、加藤周一の文でクローデルにつき触発を受けたとお話をされた。

現東大教授の石田英敬氏は30年以上前、筆者が」若い盛りに、パリで知り合った、Koji とMichelleの家に画家の友達と半ばミシェルが作ってくれるポー・ト・フーなどの家庭料理をたかりに押しかけていってるうちに出会った。

Ssishidamichelec 哲学に詳しいミシェルと石田さんはフーコーについて議論を交わしていたが、専門外の私は入り込めなかった。

東大に新しく出来た学部の学部長になられて、執筆するために買った別荘にも忙しくて行けないとこぼしているよと画家のKoji 氏は語った。

パリの東の郊外、モントルイユにアトリエを構えてシルクスクリーンの制作にいそしむKoji を10月の半ばに訪ねたが、画風が尾形光琳ばりの純日本風な美学に回帰しているのを見て驚いた。

講演会の後半、第二セッションのモデレーターを務められたセシル・阪井さんのお母様にSskojiishida1c 日仏学院でカミユの「異邦人」などを習った遠い昔を思い出す。

その日仏学院で、筆者がまだ学生の頃、加藤周一が中国の文化大革命について講演をしたのを聴いた。加藤周一は中国の若い学生たちが文化大革命で農村へ送られ、数学など理科系の学問で若い頃にやらなければ業績が出ない学問がこの世代だけぷっつりと断絶してしまうことを危惧していると語られたのを覚えている。

加藤周一が88歳という高齢にもかかわらず、「九条の会」を作り、大江健三郎などとともに平和憲法擁護の為に行動したということも今回の講演で知った。

石田教授の発表にもあったように加藤周一は福沢諭吉、丸山真夫などの「啓蒙思想家」の系列に並ぶ知識人だったと思うし、カントが言ったように理性の自立を目指し、どこまでも「普遍的な」立場から世相を批評した。その奥底にあったのは、加藤周一が若い頃、シャルトルのステンドグラスの美しさに感動して書いた「西洋賛美」があったに違いないと私は思う。

死の2週間前、カトリックの洗礼を受けたということだが、NHK 研究主幹の桜井均氏によると加藤周一はこのことに触れると「この世の事はニュートンの物理学があれば全ては説明できる。でも判らない世界には別の杖が必要だろう」と語ったという。

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