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2011年3月15日 (火)

レクイエム 1

母が逝って二年になる。

危篤の知らせが来て、家へ着いた時にはすでに母の呼吸は止まっていた。

母の意識はもしかしたら母の内部に持続していたかもしれないが、てきぱきと仕事を片づける葬儀屋が来て遺体を霊柩車に積んだ。

火葬場で棺に納まった母に別れを告げ、荼毘に付されて鉄板の上に運ばれてきた骨と灰を見た時、僕はありありと、母が居なくなり、魂の脱け殻が残ったと感じた。

晩年の母は骨と皮ばかりになって腰も曲がり左足を引きずって歩かねばならず見るも痛ましい姿をしていた。何年ぶりかで東京へ帰ると、母は床から起き出し応接間のソファーに身を埋めたまま無言で僕を見詰めていた。視線を僕に向けたまま心の奥の記憶を辿っているようだった。辛い想い出もあったろうが、眼には優しい光が宿っていた。唇にわずかに微笑を湛え、時折、吸い込んだ息をひゅーと細長く吐き出すのが母の癖だった。

母はよく「はよう死にたい」と言った。その度に、孝を尽くしてくれないと言われているようで、僕は黙りこんだ。授かった命を精いっぱい生きてくださいと言うのは簡単だがそう言われない何かがあった。

母の希死念慮は、今とは違う場所へ行き、別の状態になりたい、子供たちはみな私を捨てた、自分の身体も言うことをきかない、この先、長生きしても楽しみは少ない、苦しみに満ちたこの世に別れを告げ、寂静な涅槃の境地に早く達したいという思いなのだとわかっていた。

元気だった母とふたりだけで桜を見に行ったことがある。フランスから三年ぶりに帰った僕に母がお花見に行こうかと誘ってくれた。母は日傘をさし花吹雪が散る高台から遠くを眺めていた。ベンチに並んで腰を掛けたまま何を語らうこともなく半時間ほど過ごした。

母に言っておいたほうがいいと思われることが僕にあったが語らずにおいたほうがいいようにも思えた。

母と魂の交流がそうした形で行われたことを想い出した時、僕の胸は高鳴った。誰でも若い頃に魂の高揚を覚える。母を思い出したほんの一瞬、まるで母の魂が僕の呼びかけに応じたとでもいうように、青春の高揚に似た昂まりに僕の胸が脹らんだ。

ある哲学者が書いた死後についての本によると、われわれはこの世で生きている間は皮膚に包まれ、他と分離され、言葉や身振りや表情で意志の疎通を計らねばならないが、死によって精神は肉体を離れ、言葉や身振りを介することなく直接、意志を伝えることが出来る。そして地上に残してきた愛する者たちの最も奥深い魂の中で彼らの精神の一部となって生き続ける、という。僕は巫女のようにあの世の母と交信はできないが、魂の中に生き続ける母に話しかけることは出来ると思う。

(つづく)

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