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2011年3月31日 (木)

レクイエム 17

 唯物論的考えの影響はその後長く続いたが、生まれつき懐疑的な僕はいつも
生命とは何か、精神とは何か、魂とは何かを考え続けていた。
模範を見失い、将来何になるか、何のために勉強するかがわからず、従順な
回りの学友とかけ離れてしまったことを感じますます内に引きこもり、しま
いに学校へ行くことが嫌になった。僕は登校拒否生徒のはしりだった。親に
悟られたくないために家を出たあと学校近くの窪地にある、頂上の脇に小さ
なチャペルが建って西洋的な雰囲気を漂わせている小高い丘に登り、独り授
業から遅れてゆく悲哀を感じながら枯れ草に腰を降ろし、ヘッセやトーマス
マンや倉田百三などを拡げ、秋の気配の濃い窪地の遠くの落葉した樹影を眺
めながらそこはかとない郷愁を味わっていた。それは僕が幼少のころ見慣れ
た農村の風景への郷愁だったかもしれない。

 学校の図書室の書庫には冬になるとガスストーヴが焚かれ、その湿気を含ん
だ空気が書物の紙を暖め特別な匂いを発散させた。僕は授業はそっちのけで
図書室に通った。ベージュの大判のジイド全集の一冊を手に取るだけで僕は
まだ見たことのない西欧の街や教会や田園を想像し憧れに胸を焼いた。

 

身体の急激な発達が心の成長とバランスをくずし学業の低下に拍車をかけた。
高校へ入った春から始めたバスケットが、身体の発達を加速した。一年で十
一センチも身長が伸びた。クラブ活動を終え、家に帰ると母はいつも大きな
鍋に育ち盛りの子供四人分の夕食を用意していた。それは大抵カレーライス
だったり、じゃがいもとキャベツと挽肉の蒸し焼きだったりした。大皿に山
盛り三杯も平らげたあとは予習復習どころではなく、そのまま居眠りしてし
まうのだった。朝寝坊で遅刻が多かった。遅刻した朝、校舎の入口の靴箱の
並ぶ玄関へ息せき切って駆けつけるとたいてい麗子という色の白い、眼の大
きな、西洋人形のような愛くるしい顔をした女生徒が靴を替え教室へ急ぐ姿
に出会った。

 僕の心の中の美への憧れが、その娘の大きな黒い瞳に吸い寄せられてしまっ
た。大きな黒い瞳を持った娘への思慕に全身を囚われる。授業の間も、家に
帰っても、四六時中その想いに傾注していないと心が虚ろになる。美の憧憬
が僕につきまといはじめた。

 エロスは最も柔らかなものに宿るとはプラトンの説である。プラトンは魂の
本当の住まいへの憧れを「エロス」と呼んだ。魂はもともと源へ憧れを感じ
る。魂の本当の住まいは「イデア」の世界だ。人間の肉体や感覚に属するも
のはすべて現れては消え流れ去るものだというプラトンの考えはインドで生
まれた仏教の考えと似ている。

 ぽちゃぽちゃした柔らかそうな白い肌の麗子が僕の意中の人になった。僕は
その思慕の対象を手に入れよう、現実に手に触れたり自分のものにしようと
思わなかった。むしろ、近づきすぎて思慕が不要になっては困るので近づく
のを躊躇っていた。

 (つづく)

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