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2011年3月16日 (水)

レクイエム 2

 僕の記憶には、明るい大正時代の華やかな文化と自由な教養を思わせる、
ふくよかな容色を湛えた若い母のイメージが残っている。
 竹久夢二が描く女性をもう少し大柄にして目鼻立ちを明快にしたと言えば
いいだろうか。暗い戦争の時代をくぐり抜けた後も、自由だった青春の
思い出と教養を愛し続けた人だった。中年を過ぎてからは友達と山歩きをし、
晩年は茶道に打ち込んでいたが免状を取った早々、脳梗塞で倒れた。

 母が幼少女期を過ごした時代は、日本で近代的自我が花開いた大正末期から、昭和の初期にかけてだったから母は西欧的個我意識を身につけていたに
違いないが、子供には、戦争中に父とした結婚がロマンチック・ラヴの
結果でなかったことが不満だった。僕たちは愛ではなく国とか社会とか家の
ため、つまり家系と民族の維持ために結婚した両親から作られた。
そういう意識が子供たちを不幸にしていた。アメリカのホームドラマの
良き家庭と比べて両親が愛によって結ばれているように見えなかったのだ。
母たちの世代の女性は、儒教社会の日本へ戦後、洪水のように流れ込んだ
アメリカ文化に翻弄され、伝統とバランスをとるのが難しかったろう。
個人と家族と社会を統合した人生観で人生と家庭を築くことが出来なかった
母は不幸だったろうと思う。母の最大の痛恨事は、僕をいれた四人の子供が
ひとりも日本の伝統に沿う家庭を築かなかったことにあったと思う。

 母の口から姫路という言葉が出る度に僕は何か誇り高い響きがそこに
こもっているのを感じた。母は姫路城といわず、しらさぎ城とかハクロ城と
呼んだが、そういう言葉の響きに、白亜の壁と幾重にも重なる破風と屋根を
頂いた格調高い城郭への誇りが読み取れた。母の細められた目や、ほほえみ
の浮いた口許に日本一美しい城という矜持が伺えた。無数の白鷺が羽根を広
げ舞っているように軽快で優雅な諧調を湛えた城。子供もそんな美しい城の
ある土地を故郷に持つ父母が自慢だった。

―― 母さん、浅野内匠頭ですよ。やっぱり、母さんも僕も。吉良上野介に
いじめられ、我慢できずに、殿中で切り付け、切腹させられた、赤穂の殿様。
浅野内匠頭が吉良のいじめに堪忍ぶくろの緒を切らしたのも、育ちのせい
でしょう。殿様育ちと播州の風土が関係してますよね。瀬戸内海に面し、
温和で果物に恵まれ、何不自由なく育った人間はいじめに弱い。母さんが、
お玉婆さんのいじめに我慢できず、ヒステリーを起こしたのも、僕が、
権田のいじめに耐えられず、会社を辞めてしまったのも、浅野内匠頭
ですねえ。ちやほやされてると機嫌がよく、自分の欠点にも気づいている
ので、そこを人に衝かれると脆い。優しい反面、こらえ性がなく、
人の批判や指摘に過剰に反応してしまう。

(つづく)

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コメント

レクイエムを楽しみに読ませていただきます。

めのおさんの故郷は姫路だと知っていましたが、
前に、但馬の山奥と書いてあるのを読んで
記憶違いだったのか?と思っていました。

お母様の故郷だったのですね。
背の高い、綺麗なお母様を記憶しています。
きっと、メイの母と同じ時代を生きてこられたのでしょう。

そのうち、メイも母の事を書いてみたいと思っています。

投稿: ハリーメイ | 2011年3月16日 (水) 13時31分

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