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2011年3月30日 (水)

レクイエム 16

 その夏に僕が幼少の頃、二年間を一緒に過ごした祖母が死んだ。列車を乗り
継ぎ十四五時間もかかってようやくたどり着いたその日の朝、祖母は息を引
きとっていた。僕は死別の悲哀と生の空しさに対面させられた。人は死に直
面して「たましい」を発見する。

 魂は死後も存続するのか。そもそも人に霊魂というものがあるのか。霊魂と
か心の問題は科学の対象にならない世界だ。誰も証明などできない。信じる
か信じないかの問題だろうが僕は科学的認識と信仰の間を揺れ動いた。
そのころ母は日蓮正宗に入信し子供たちもお寺に連れて行かれ御受戒を受けた。

 二年生の担任だった生物の先生は墓に出る人魂を掴まえた話をして生徒たち
の度肝を抜いた。捕虫網で人魂を捉えようと考えたのも奇抜だが、人魂の正
体は夜光性の蚊の集まりだったという発見は僕たちを強く印象づけた。実証
精神とは何かを示してくれる良い話だった。伝説や迷信にまで実証的精神の
眼を向けようとした先生の科学者魂は感動的だった。先生の実証精神は「た
ましい」の不死というような人類の古代からの信仰にも疑いの眼を向けよと
教えているようだった。

 安保は国会を通過し大衆運動は敗北の憂き目を見た。僕のいた高校の生徒会
は民青が握っており、教師の中には党員もいた。二年になって組が変り僕は
新しい顔ぶれの何人かの活動家と同じクラスになった。中でも深井と小沢は
抽象的な概念語をやすやすと操って思想を表現する才能を持っていた。僕は
またしても「概念」にぶつかった。僕に理解できない言葉を操る彼らは僕よ
りはるかに大人の精神を持っているように見えた。春の生徒会の選挙で深井
が執行委員長に選ばれた。選挙の様子をあとで振り返り、僕はあれは全学連
の主流派と反主流派の主導権争いだったのだなと思った。

 深井は僕の家まで来て裏の公園で話をしようと言い、弁証法的唯物論が真理
なのだ、神は死に、宗教は阿片なのだと説いた。深井は科学的という言葉を
使って共産主義の正しいことを説き、僕が積極的に活動できない理由に、父
親の脛を齧っている学生の身分だからねと言うと、深井はアメリカ帝国主義
の手先となり経営合理化を進めている父親に寄りかかっている僕の主体性の
なさを批判し親許を離れて自主独立の道を探るべきだと説いた。僕は大石主
税と同じ歳だったが、何かの主義のために命を棄てる覚悟はなかった。親を
棄てて何かの信念を貫くことの潔さを一瞬、胸のうちに感じたが、唯物論が
真理で宗教が説くところは誤りだというテーゼに確信を抱くまではひとつの
思想に命を捧げる理由はないと思った。深井の批判によって仕事で足繁くア
メリカへ通っていた父親はもはや規範的人物ではなく日本のある階層の批判
の的となっていることがわかったが、僕はある意味で親と利害を共にする妥
協的関係に入った自分を認めざるを得なかった。

 (つづく)

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