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2011年3月17日 (木)

レクイエム 3

 七年前、父親とヨーロッパ旅行の途中に寄ったのが母がパリへ来た最後
だった。教会ばかり連れて回る僕に疲れた母は「もう教会はええわ」
と言った。カフェで耳に挟んだフランス語の「ヴォワラ」を「わら。わら」
と聞き、メトロの中で、サッカー応援団が「On a gagne!……On a gagne!……
(勝った。勝った)」と唄うのを、「おんながね。女がね、いうて騒いでる
けど、なんで?」と訊いた。

 ホテルで別れる時、着物を着ていた母はつと前へ出た。抱きしめたいんだな
と母の気持ちを察した僕の胸はきゅっと鳴ったが、着物を着た母親と
中年男が抱き合う姿を、ロビーの日本人客に見られたくなかった。
その頃の母はまだ元気だったからいつでも会うことが出来ると思い僕は母を
抱かなかった。中国の故事のように歳とっても幼児のまねをしてわざと躓い
たり子供の服を着たりして親の保護意識に阿ることが孝行だったかも知れな
いとその時のことを思い出しては後悔する。三ヶ月したら帰る予定で日本を
出たまま外国に住み着いて、いつまでも帰らず、母にはいちばん心配を掛け
た。母が元気なうちに少しはましな仕事をして喜ばせてあげたかったと母の
死顔に手を合わせると涙が流れた。

 母が僕を産んだのは新宿の花園神社の前の病院で、ベッドに寝ていると上空
を飛んで行くB二十九の爆音が出産日が近づくにつれ、激しさを増したと母
はよく語った。いよいよ大空襲で住んでいた地区がやられた時は、僕を背に
兄の手を引き、明治通りを神宮外苑まで走って逃げた。途中に火炎が赤く吹
き上がり灼熱地獄のような一帯を通り抜けねばならず、顔にも背中にも火の
粉が容赦なく降りかかった。子供に防空頭巾を被せてあったからあんな火の
中を逃げられたが、今でも思い出すたびに恐ろしさがこみあげる。晩年にな
ってもその時の記憶は強烈らしく腹の底から声を出して母は語った。家族の
命に別状はなかったが家は焼けた。焼け跡から少し離れた西大久保に土地を
貰い、父が焼けぼっ杭とトタン板を拾い集め、千住から荷車に家財道具を積
んで隣に逃げてきた同郷の若い兄弟の手を借りて掘っ建て小屋を建てそこに
住みついた。

(つづく)

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