« レクイエム 31 | トップページ | レクイエム 33 »

2011年4月15日 (金)

レクイエム 32

 「ガリレオがローマ教会に抗して地球は丸いと言い続け、宇宙飛行士が肉眼
で丸い地球を見る時代になりました。仏教のほうが科学的認識、客観的認識、
つまり真理を尊重し、真理に従容として従う精神態度があるように思うので
すが」僕はさらに仏教を弁護する立場に回った。
 
 「生類はすべて死すべきものだから死んでゆくにまかせるというのは悲しい
わね。愛がないわね。そういうものは私には宗教じゃないわ。釈迦の死すべ
き個の運命を透徹した眼で見詰めよというニヒリズムと、キリストの自我の
永続性、個の尊厳、愛の肯定とはまるっきり相容れないわね」ルイーズ先
生。

 「でも日本にも大乗仏教があり仏の慈悲が信仰されてきましたよ。鎌倉時代
から日本の民衆に受け入れられた浄土宗や日蓮宗などの祈祷仏教は、念仏や
お題目を唱えさえすれば誰でも浄土へ行け、即身成仏でき、久遠仏と一体に
なれるという非常に単純化された形で民衆の生命謳歌に応えています。これ
らの宗教とキリスト教とは同じゾロアスター教に起源をもつという説もあり
ますね」
 僕はとうとう母が信じていた日本の民衆仏教を弁護して言った。

 「そりゃ宗教というものは、生命の尊厳とか虐げられ苦悩に満ちた人や、こ
の世の倫理で不正に裁かれた人達の魂の救済をしてくれるものでなければ意
味がないわね。信仰は心の働きそのものなんだから。科学者も心の働きの中
には入ってゆけないでしょう。科学者と信仰は対立するものではないの。信
仰をもった科学者はたくさんいるわ」
ルイーズ先生は長年東洋の研究をされてきたがこの歳になってやはりキリス
ト教がいいという結論に近づいているらしい。

  歴史的にもヨーロッパ人の考えはガリレオに代表されるような物理学的客
観主義とキリスト教に代表される独断と偏見に満ちた超越的主観主義の間を
揺れ動いてきたように見える。主観と客観の闘争はこれからも続くだろう。
弁証法的唯物論のイデオロギーは人間の未来社会を科学的、客観的、必然的
に見せようとして人間の主体性や主観の役割を忘れる誤りを犯した。より良
い未来のために現在を犠牲にするか、不確実な未来など信ぜず現在だけを享
楽するか。人間の生き方にはこのふたつがあるように思える。どちらの極端
にも人間は耐えられない。死後のことは人間には良くわからないのだから、
快不快がはっきり感じられる現世で幸福になりたいと僕は思う。

 科学がもっと発展して神秘のベールを剥ぎ物質や自然や生命や宇宙の根源を
つきとめて欲しい。その時、人間はきっと世界を創ったり変えたりできると
己惚れるだろうが、お釈迦様の手の平を究めたと思った孫悟空と同じで、ま
た金沌雲に乗って飛び立たねばならない宇宙が現れるだろう。遺伝子組み替
えとか染色体移植とかクローン技術とか現代生物・医学、分子生物学が生命
の神秘にいどみ、生命の機構、成り立ち、組成を明らかにし、迷信や愚かな
風習や誤った治療法を改め、人間を病苦から解放し長寿を可能にしてくれる
のはありがたいことだ。それでも、人間が生きてゆく上でのいろいろな問題、
恋愛、闘争、戦争、正義、運命、安楽死、罪と罰など科学で解決がつかない
問題は山ほど残るだろう。パスカルが神が認識不可能なら存在するほうに賭
けようといったのは実に名言だと思う。神が居ないならすべてが許されると
言ったドストエフスキーの言葉が僕は好きだ。

 彼岸から奇跡的にこの世に戻ってきた人の臨死体験は常に感動的だ。彼らは
いちように身近に家族の存在を感じ、愛する人の魂の呼びかけや祈りが蘇生
の力を与えてくれたと証言している。シュヴェヌマン大臣も担当の医療チー
ムの献身と妻と子供が手を握り必死で呼びかけてくれなかったら、この世に
戻ってこれなかったろうと語っている。

 (つづく)

ポチッと応援ありがとうございます↓
連載の励みになります。

にほんブログ村 小説ブログ 長編小説へ
にほんブログ村

|

« レクイエム 31 | トップページ | レクイエム 33 »

小説」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1025232/39602493

この記事へのトラックバック一覧です: レクイエム 32:

« レクイエム 31 | トップページ | レクイエム 33 »