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2011年4月 4日 (月)

レクイエム 21

深井に議論をいどまれた僕は「生命とはなにか」について答を見出さねばな
らなかった。オパーリンの本を読むと最も原始的な生命はコアセルベートと
いう高分子蛋白質で人工的に合成できる日も遠くないと書いてあった。生物
の先生は金魚を超低温で冷凍し氷ったまま放置したあと瞬間的に解凍すると
また泳ぎ出すと言った。死んだわけではない金魚は冷凍期間中、生命活動を
停止していたが生命を維持していた。金魚の魂は氷っていた間どこかへいっ
ていたのか?魂も氷ったまま金魚の中にいたのか?物理的に左右されない何
か、魂とか生命原理とかが残っていたから金魚は蘇生したのか?オパーリン
はまた、生命とはちょうどマッチが燃えているようなものだ、酸素と反応し
て軸が燃えるように生命も燃焼と似た現象だと言っている。命が燃え尽きる
という表現もある。寂静とか寂滅とか涅槃の意味のニルヴァーナの語源はニ
ルヴラーナで灯火を風がふっと吹き消すことだという。

深井は大脳生理学を学んで心とは脳の働き以外の何物でもないことを証明す
るんだと言い、明確な目標を持って受験に臨んでいた。僕が持っていたヘッ
セのシッダルタを見て君はそんな世界へ入ってゆくのかと侮蔑的な笑いを口
の端に浮かべた。

唯物論と唯心論のどちらが真実かという問題に心と頭を悩まし、鬱に陥込ん
で心が閉ざされ「何のために生きるか」を繰り返し、ようやく僕の生きる目
的は認識論に答えを見出すことという回答をみつけた。心は脳の働きか、脳
が物質であっても脳の働きを観察するのは精神だろう。精神は物質の働きと
しよう。物質の働きである精神活動自体を外から見ることはあるていど可能
かもしれないが、その内部に入りこんで観察したりはできないし、精神活動
を観察する精神がまた物質の働きであると誰かが証明することは困難だろう
などと考えると、僕は気が狂って頭が割れそうな恐怖を抱き、その頭を壁に
打ちつけてどうにか耐えていた。

僕は棄教した者は頭八裂七分という御受戒を受けた信仰の戒めが与える恐怖
と闘っていたのだ。ある日、新宿の大ガード下で交通事故を見た。バイクの
男が地面に横たわり頭が割れて脳漿が流れ出しアスファルトを黒く塗らして
いた。僕はその時、あんなふうに頭蓋から外へ出た脳髄は自分でそれを意識
できるのかなどと考えた。はみ出た脳髄を外から観察することは出来ても、
その脳髄が何を思っているかは外にいるものには知ることができない。幾ら
科学が発達しても、観察する主体の問題は解決されない。観察者はけっして
観察されている精神の内部に入り込むことはできないし観察している精神の
内部にも入り込むことはできない、と僕は思った。

 (つづく)

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