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2011年4月 1日 (金)

レクイエム 18

男の無意識の中の女性像は「アニマ」と呼ばれている。恋する男は「アニマ」
を相手の女の上に投射する。白いぽちゃぽちゃした肌に惹かれるのは、僕の
無意識に潜んでいる祖母の肉付きの良い白い太股のいたづらかもしれない。
心は絶えずお人形さんの黒い瞳と可愛らしい鼻と口を想っていた。想うとと
もにはっきりと胸が物理的に痛むのだから思春期の内分泌腺の働きと関係が
あるのだろう。僕は想うだけで彼女との肉体的な接触、肉体的な所有を望み
はしなかった。プラトンの魂は身体やすべての感覚にまつわるものを不完全
などうでもいいものと見做す。魂は愛の翼にのってイデア界に飛んで帰りた
いと思う。身体という牢獄から自由になりたいと思うのだ。
それとも僕は彼女の中に僕の「影」を見ていたのだろうか?同性愛者は「ア
ニマ」と自己を同一化する。「影」は第二の自我であり、ナルシシズムから
由来するものだ。彼女を想いながら自分を想っていたことになる。

まわりの男達の現実主義が僕には我慢できなかった。彼らが猥談に耽ったり
性的な唄を歌ったり、軟派して何回やったとか転がしたとか夜陰に乗じて部
屋に忍びこんで同衾したとか自慢げに言うのを耳に挟むと彼らの肉の快楽を
想像して楽しんだが、僕は現実の女の性に触れることは恐ろしくてできない
と感じた。近くに彼女を見たり、心で彼女を想うことで喜びを感じる方が僕
には大きな快楽のように思えたのだ。

「饗宴」の中でソクラテスはデイオテイマという婦人に名を借りて肉体に生
産欲を持つ者と心霊に生産欲をもつ者を別け、後の人々は「肉親の子供があ
る場合よりもはるかに親密な共同の念とはるかに強固な友情とによって互い
に結びつけられる、その共有するものがいっそう美しくていっそう不死な子
供なのですから」と言っている。

僕は美術を選択し、ずっと画家に憧れていた。放浪画家となりフランスへ行
ってモンマルトルあたりの街頭で絵を描くところを夢見たりしていた。概念
的な言葉より自分の肉眼で見た美しいものをキャンバスに定着することが価
値のある行為と信じられた。

 (つづく)

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