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2011年4月 6日 (水)

レクイエム 23

大学に入った年に大学紛争があった。ベトナム戦争と中国文化大革命の影響
でスト派の学生に賛成か反対か態度を明確にせよと迫られ、何もしないこと
はベトナムで空爆を続けナパーム弾を落とし続けるアメリカとそれに追随し
ている日本政府を容認しベトナム人民の虐殺に手を貸す事になるんだという
論理に押しまくられストに参加しデモに加わるようになった。ストは六ヶ月
も続いたため、自主講座に誘われ参加するうち、経済学や革命理論を学ぶ学
習会に引き込まれ夏の合宿に参加する破目に陥った。旅費や宿泊費を捻出で
きる手だてもなく、おずおずと母親に願い出ると黙って聞いていた母はその
日の内に質屋へ指輪を持って行き借りて来た金を僕に渡した。

母がなぜ僕の学習会に加わるための旅費を用立ててくれたのか。息子の激し
い思い込みぶりと、ヴェトナムで弱者が世界最強のアメリカにいじめられて
いるという議論が母の仏教的な憐憫を誘い犠牲を払っても助けようとしてく
れたのだろうか。左翼運動と知りつつ助けようとしたのだろうか。それとも
母の犠牲とはすべてこのように無償のものなのか。

母の自己犠牲を唄ったフランス浪漫派詩人の悲痛な詩を思い出す。ペリカン
が餓えた子たちに与える餌もなく夕方、岩の上に登って自分の肉を与えると
いう詩だ。中国では孝の考えを表わすのに、貧しい家で子供を養えないため
に年寄りを残し子供と嫁を土に埋めてしまうとか、病んだ老人のために子供
は自分の腿の肉を切り取って与えるなどという譬え話を、長い間、親孝行の
見本として語り継いできた。まったく親が子のために犠牲を払う西洋の倫理
とは正反対の行為を賞賛しているのだ。

僕の母はこのような儒教的な孝行をどうみても子に期待してはいなかった。
妹にたいしてどうだったかは確言できないが、少なくとも僕のためには西洋
的な、キリスト教的な自己犠牲を払ってくれた。

 (つづく)

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