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2011年4月13日 (水)

レクイエム 30

 「先生はプロテスタントでしたね。唯心論をとると生命は肉体の外にある精
神が肉体を借りて活動する姿ということになる。だから死はあたかも精神が
借家を空け、この世からあの世へ引越しするようなものということになりま
すね」

 「仏教の輪廻転生がそうでしょう」

 「古代インドでは輪廻の主体はアートマンだと考えられていました。漢字で
我と訳されてますね。自我とも霊魂とも生命原理とも言う場合があるようで
す」

 「そのアートマンとはなにかが問題なのよ。あなた説明できる?」

 「僕の知るかぎりではアートマンは不可捉で不壊、いかなる属性も限定もも
たず、言葉、つまり概念によって捉えることができないもののようです
ね」僕は正直に答えた。

 「そういうのを不可知論というわ。」先生は軽い冷笑を浮かべた。

 「僕には我の永続は信じられません。東洋人の僕は漱石の即天去私のように
個の全体への滅却を比較的容易に受容できるんです。でもタマシイというと
なにか違うように思える。キリスト教では個としての魂が存続するのです
か?個の魂は大きな全体の魂に吸収され消滅してしまうのですか?その辺が
僕の知りたいところなんです」

 死後の魂は全体に吸収され個の魂は無くなるのなら、全体の魂が永続しても
個人には大した意味をもたないことになる。個我意識の強い西洋人は個の魂
の存続を望み、東洋人は個の魂の消滅を受け容れるのか。東西の違いはある
にしても、死には悲しみが伴い、その悲しみは個の永別の悲しみであり、個
の消滅を惜しむ感情に由来すると僕は思う。

 「あなたのお母さまは優しいきれいなお方だったわ。亡くなられて残念でし
た」

 「信仰を持っていた母は生と死はわれわれの中にある。人間の身体は日々新
陳代謝を繰り返しているので三年、五年、七年と経てば人間の細胞はすっか
り入れ替わるから、その間にしっかりお経を唱えれば人間を変えることがで
きるんだって言ってましたね」

 「細胞が替わっても変わらない私とは何か。過去の記憶を持ち、過去のこと
を思い出し、未来の予測をしながら生きてゆく自我というものがそれぞれの
人間にあるわね。時間の経過にもかかわらず自己であり続ける。自己同一性
の意識が自己意識よね。自己意識と時間とは関係があるの」ルイーズ先生
がほんのり微笑を浮かべながら言う。

 「うーん。僕にはまだよくわからないな。アートマンについて釈尊は、五う
ん非我説を唱えてますね。身体を構成する物質、感官による対象の受容、識
別作用、記憶、判断作用、を色、受、相、行、識の五うんと呼びます。釈尊
の論理はこうです。永遠不変のアートマンが五うんのいずれかなら人生の無
常ということもなく、無常に由来する悲しみも苦しみもない。しかるに悲し
みや苦しみは絶えず人間について回る。したがって五うんのいずれもアート
マンなどではない」僕は知ったかぶりをして先生に説明した。

 「じゃ何がアートマンで永遠不変と釈尊はいっているのよ?」先生がやりか
えす。

 「これではない。あれではない。ない、ないと否定辞をかさねて到達するし
かないようです。言葉で言い表わせないんだから。各々経験で体験するしか
ないようです」

 「そのへんが東洋的でわれわれ西洋人に理解できないところなの。聖書に
は、はっきり最初に言葉ありきって書いてあるわ。言葉で言い表せないこと
なんてない。どんなことも言語化するのが西洋人の考え方だわ。似たような
ことはアウグスチヌスが言ってるわよ。心には記憶と知解と意志の作用があ
ると。これは父と子と聖霊という神の三つの位相、三位一体に対応するもの
ね。この三つの作用は時間に即して説明されるわ。過去の記憶、現在の直
感、未来の期待。心とは自己の許に時間を把握している意識よ」

 (つづく)

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