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2011年4月11日 (月)

レクイエム 28

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 日曜の午後は僕は大抵、ルイーズ夫人を訪ねることにしている。東洋学者の
彼女は碩学で日本文化にも造詣が深い。僕が数年前東洋への回帰を心の内に
感じ、パリ東洋語学校の夜学へ中国語を習いに通い始めた時、李先生の紹介
で知り合った。ルイーズ夫人は日本の近代文学、特に大正末期から昭和初期
にかけてが専門だ。精神分析にも宗教にも詳しい。

 会社で働いていた十三年間、信仰の問題は棚上げにしていた僕は、唯物論、
唯心論と精神と物質を別けて考える西洋の二分法が良くない。身心一如こそ
東洋の叡智だと考えるようになっていた。死後の問題は考えなくてよかっ
た。僕の母が逝き、ジャンヌの母の葬儀に立会って、「たましい」の問題に
ふたたび突き当たった。身心一如だけなら、肉体が灰になると同時に、霊魂
も消えると見るのが論理的な帰結だろう。中国思想に詳しいルイーズ先生に
この点を確かめたかった。

 「老壮思想で身心一如というとき死後も霊魂が生き続けるという主張はある
のでしょうか?肉体が滅んだ後に霊魂が生き続けるためには、死の瞬間に、
魂は肉体と分離しなければならないですよね」僕の考えをまず先生に言っ
た。

 「待って。霊のほかに、魂魄という漢字があるわ」
 ルイーズ先生は言いながら机の上の辞書をめくった。

 「易経では、魂は人の陽の精気で精神作用を司り死後天に昇る。魄は陰の精
気で肉体を司り死後も地上にとどまるとされる。やはり死によって魂魄が分
離するのよ。李先生によれば、究極不可分のタオが別れてインとヨンになる
んだって。易に大極あり分かれて両義を生ず」
 先生は易経の有名な句を諳んじた。

 「宇宙の究極のタオから陰陽ふたつの状態がわかれるんですか。東洋にも魂
魄とか両義とか、西洋の二分法と同じ考えがあるんですね」

 僕は東洋についての僕の無知を恥じ、デカルトを思い出した。
 「我思う故に我ありというデカルトのテーゼは人間を精神と物質に別けた
時、精神を重視するということですか?」

 「コギト・エルゴ・スムがどうかしたの?」

 ルイーズ先生は鼻眼鏡のまま上目づかいに僕を見て応じる。
「デカルトが言ったのは、考える私は、私の身体から現実に区別されてお
り、かつ私の身体なしに実存するということだわ」ルイーズ先生が答えた。

 (つづく)

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