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2011年5月に作成された投稿

2011年5月25日 (水)

夏の山脈 18

白木の家は閑静な住宅街にあった。どの家も垣根が無く、歩道からいきなり芝で覆われた庭になり、庭の奥に家があった。

「ここが白木の家」辻さんが指差した家は芝の庭に一本の樅の木と二本の白樺が立ち、白い壁に黒い窓枠が配置された低い二階建ての簡素な北欧風の造りだった。辻さんが玄関の鍵を開けている間、陽一は通りに立って白木の家の外観を観察した。屋根に天窓が二つあり、こじんまりとした清潔感のある家だった。

辻さんが玄関は開かないから裏からはいろうと言い、家の横手に回り板張りのテラスにあがり、キッチンのドアを開けて家に入った。ドアには網戸が付いていて把手代わりのアルミの角棒を押すとロックが外れる仕掛けになっていた。キッチンは板張りだった。陽一はスーツケースを持って辻さんに続いて中に入った。

キッチンの向うにテーブルが置いてあり、その上にランプシェードが下がっている。その奥がソファの置かれたサロンになったいた。想像したよりずっと簡素だった。陽一は北米の家はぜんぶヨーロッパの家よりずっと大きく、日本の家より重厚なものとばかり思い込んでいた。ダイニングルームの奥に廊下があって、右側に寝室があった。

「白木はこの部屋を使ってくれ言ってたけどね」辻さんは、寝室のドアを開けながら言った。壁紙がピンク色だった。細かな紫と白の碁盤模様のカバーがかかったベッドの他には、枕元のランプと皮張りの床几風の折畳み椅子を除いて家具といったものもない。ベッドの頭側の壁に飛騨白川郷の合掌造りの家を墨絵で描いたものが額に入れて懸けてあり、それが唯一の装飾だった。この部屋に今日から十日間世話になる。陽一はベッドの脇にスーツケースを置いて食堂へ出た。そうして辻さんと一緒に再びキャブに乗った。


エドモントンの街へ車で向うと数十キロ手前から直線の道路の先に街の中心部の高層ビルが見えてくる。大陸の街というのは、その昔旅人にとって、遙か遠くから街が見え出した時、疲れた脚に力が蘇り、馬に鞭を当てて急がせたであろう希望のシルエットだったに違いない。遠くからケルンの大聖堂の尖塔が見えた時、喜悦が胸にこみ上げた。街とは憩いであり、安全であり、家庭なのだ。かつてはその象徴が大聖堂であり、現代では摩天楼なのだろう。

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2011年5月21日 (土)

夏の山脈 17

翌朝は八時を過ぎてから辻さんが台所で立てる音に目を覚まし、ようやく起き上がった。キャサリン夫人と子供たちに前日よりはましな挨拶と礼を言おうとベッドの中でいろいろと英語を考えたが、これはという言葉が浮かばなかった。夜中に二度も目を覚まし、朝方になって眠気を催し、居間と食堂の方で子供と夫人の声がするのを聞いていたが起き出して行く元気が出なかった。

「僕はね、朝は必ずうどんを作って食べることにしているんです」
辻さんは湯気の立つ鍋に菜箸を突っ込みながら言った。黒い肌の厚手の焼き物の鉢に給されたうどんは格別美味だった。こんな風に自分で作った高級民芸品、というか味わい深い什器に囲まれて暮らす生活はいいだろうなと陽一は羨ましく思った。

「不動産屋に白木の家の鍵を取りに行って、それから荷物を置きに行きましょ。両替をして、僕の大学を見てもろて、それからお昼を一緒にして別れましょか」
辻さんは前もって考えてあったのか、その日の行動計画を淀みなく述べたてた。

街へ近づくとダウンタウンまで行かずに辻さんは左へ曲がった。郊外の住宅地を走っている。ここが87ストリートやからもう少し上の方やな、反対方向へ来てた、と言いながら近くの路地へ入ってUターンした。スーパーらしい平たい大きな建物の周りのあちこちにファーストフードとかクリーニング店とかが並んでいる、ちょっとしたコマーシャルセンターへ車を入れ、ここだと思うけどと言いながら建物を幾つか覗いたが不動産屋はなかった。裏手へ回ったところに、リアルターと書いた看板があった。辻さんは車を停め、ここで待っててくださいと言うや、階段を駆け上った。

「鍵に金額まで書いてあるよ」運転席に戻った辻さんが、にやにや笑いながら言った。白木の家の売値が分かってしまった。

陽一は白木の家というのをパリで何度も想像してみた。無一文で日本を出てから十七年、白木はまがりなりにも建築家として成功し、家を買い、賞まで貰ったのだ。今までの不義を侘び、心から祝福したかった。白木の方からヨーロッパへ来る機会を待たずに、陽一の方からカナダへ出向いてきた理由のひとつは、白木がこの十年来暮らした家と土地を見たかったからだ。高校時代に陽一がよく訪ねた白木の下宿。その想い出と、白木が一家の主となって暮らしている現在を比べて見たかった。

最初、高井と三人で落ちあう話が出た時、陽一は、ガラス張りの広いサロンの重厚なソファに三人で寛いで酒を飲み交わし談笑している光景を思い浮かべた。高井も白木も高校時代から酒をたしなんだし、酒豪となる兆候すら現れていた。二人はよくトリスバーや屋台などで一杯五十円の水割りや焼酎を飲んでは高歌放吟していた。ある晩、サントリーの赤ラベルの1.5リットル入りを三人で空けた。高井と白木は気持良さそうに鼾をかいて眠っていたが陽一は悪酔いし、目眩に苦しみながら嘔吐した。

あの頃と比べると陽一は少しは強くなった。高井は来なかったが、白木と一晩飲み明かす位はできるだろう。手紙には上等のワインを一本提げて行くと書いておいた。バランタインの三十年ものも買ったから、最初の晩の祝い酒に不足は無い。もう一本のサンテミリオンは辻さんとこでご馳走のお礼に空けてしまった。

(つづく)

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2011年5月17日 (火)

夏の山脈 16

「お、おっ、おっ、おれは……」和雄は息を溜め、呼吸を整えてから話し出す。それは、吃るのと違い、切迫した感じはせず、どこか誠実さが籠ったユーモラスな響きで聴く者を惹きつけた。佐山や富士沢などを前にして和雄はよく議論を吹っかけていた。「おれは、そうはおもわんなあ~」口癖のように言う和雄の声を今も思い出す。感覚的な表白ばかりが交わされる日本人の会話の中に和雄はいつも理屈を、論理を組み立てた意見を言った。

小心で情を元に考える陽一に和雄の議論は頼もしく、堂々として見えた。単に理屈っぽいだけでなく和雄の理屈の述べ方はいつもユーモラスな多少のぎごちなさが伴うのだったが、そこがまた日本人の思春期の若者には無い包容力を感じさせた。陽一は和雄が理屈だてて語る言葉の奥に、ある芯の強い、何かを訴え、希求する意志を見ていた。

ある日、和雄はアンドレ・ジイドの「狭き門」を解説してくれたことがある。
「『力を尽くして狭き門より入れ』いうんや。聖書のルカ伝に出てくる言葉や。競争率の高い大学へみんなを蹴落して入れ、そのために力を尽くせいうことやないぞ。ええか。もとの意味はな、滅びに至る門は広く、天国へ至る門は狭い、いうことなんやぞ」
今の高校を、陽一は大学受験を意識して選んだ訳でなく、単に地理的に近く、庶民の誰もが経済的に無理をせずに入れる公立だから選んだのだが、大抵の生徒は、そこが国立第一期校への入学率が高いという理由で選び、毎日の学習も3年後の入学試験に備えるためと見做していた。

「漱石のな、自己本位と、利己主義の違い。わかるか?」
木造校舎の窓枠に腰掛けながら和雄が、ラグビー部や野球部の餓鬼大将らと談笑の途中にも、突如、禅問答のような哲学的課題を持ちだしてぶつける。餓鬼大将も、それが和雄の口から出ると、にやにやしながら相手になるのだった。

腕力と学力で陽一を数段凌ぐ彼ら同級の餓鬼大将に陽一は秘かに怖れを抱いている。やつらは女生徒をからかい、弱い生徒のアラを探しては笑い物にする。アラ探しに長け、人を笑い物にしては喜ぶゴロツキどもだ、と陽一は、彼らを憎み憤りさえ感じていたのだったが、和雄は、傍若無人な彼らとも結構うまくやってゆく能力を持っていた。悪ふざけをしては喜び、性的不満を発散させる彼等との間でも、理屈っぽい話を持ち出し、白けさせたり鼻白らましたりせずに話す術を心得ていた。陽一には和雄のそういった面が大人びて見え、普通の日本の若者が持たない長所と見ていた。

和雄はまた詩や小説をよく読んでいた。橙と黄色の市松模様の表紙のついたハイネの「歌の本」というかわいらしい小詩集を貸してくれたことがあった。陽一はその中の「お前は花のように……」という詩を書き写して、片思いの意中の人だった岡田園子の靴箱に入れたのだった。

 (つづく)

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2011年5月14日 (土)

夏の山脈 15

「ああ。ええとこにきてくれたよ」
和雄は青白い顔に憂いの影を漂わせたまま笑顔を作って陽一を迎えた。
あの日、陽一は独りで過ごす午後がやり切れなくて和雄の下宿を訪ねたのだった。ちょうど考え事してたとこや。独りで居ると気が滅入ってな。和雄はそんな風なことを言い、陽一は持ってきたスケッチブックに和雄の孤独に悩む青春の姿をパステルで描き、背景の壁を黄緑に塗った。いや、黄緑だったのは和雄が着ていたセーターで、壁紙は別の色だったか?

数日前に、和雄は姉さん夫婦のアパートを出てその下宿に移った。親の家に暮らしている陽一には下宿生活というものが羨ましくもあり、和雄の引っ越しを手伝いに行った。二人は両手に提げられるだけの荷物を移してしまうと、近所のトリス・バーでハイボールを飲み、ドブ川の臭いのする交差点で別れた。和雄はサンダルを履き、ジーパンのポケットに左手をつっ込んだまま、右手を挙げて、手の平を陽一に向けて「じゃあ」と別れの挨拶をした。ちょうど西部劇のインデイアンが「ハオ」と言って挨拶する時のように。

最初に和雄と出会ったのはいつの事だったか?中学三年の二学期に、すでに陽一は和雄のその特異な後ろ姿を見ていたような気がする。それは、今思えば、周囲の中学生仲間とは際立って違い、反抗的な雰囲気を漂わせた少年の後ろ姿だった。陽一は、その新入りの生徒が、富山の山奥から出て来た転校生だという噂を聞いた。

確かにそれは個性的な歩き方だった。和雄の歩き方には、普通の中学生が持つ、あわただしく、すばしこい、ちょこまかとしたところが微塵も無く、落ち付き払った、重厚な、尊大とそも感じられる歩き方。少し誇張して言えば、彼をとりまく世界と緊張をはらんだ対決が感じられる大人の歩き方だった。どこか人の視線を意識して一歩一歩歩幅を大きく確実に踏み出す歩き方だった。そのうえ、小さくまとまった尻が形良く出っ張っていた。肩幅がやや狭く、黒の詰襟の学生服の上に大きな頭が、ひしゃげた学生帽を載せ不遜なほど真っ直ぐ前を向いていた。

初めて親しく口を利いたのは、高校に入学し、同じバスケット部に入ってからだった。バスケの練習の時も、和雄は相変わらず一歩一歩を大股に確実に踏み出す走り方をしていた。汗で汚れ鼠色になったショートパンツから形良くひきしまった尻を突き出し、腕を前へ突き出しては、空気を手で搔くように引く。ひとつひとつの動作に気合が入っているようだった。

部室に帰って着換えをした二年生が帰り、部室の掃除とボールの手入れの当番だった陽一と和雄が二人だけ残った。運動着と靴の饐えた汗の臭いと保革油とボールの皮の臭いが部屋に充満していた。ベンチに腰掛けた和雄が、バッシュの紐を解きながら言った。

「おれはなあ。子供のとき……」何気ない口調で秘密を打ち明ける和雄は陽一には随分大人びて見えた。関西弁に近い訛りのせいかもしれないが、どことなく年寄り臭い響きがある。それが陽一が和雄と初めて親しく口をきくようになったきっかけだった。

 (つづく)

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2011年5月 3日 (火)

夏の山脈 14

辻さんが作った野菜と豆腐と肉のバタ焼きはとても美味だった。時差ボケで疲れている陽一の胃袋は、残念なことに、ほんの少ししかそれを受けつけなかった。生卵を入れた黒の器は辻さんの作に違いないので、陽一はそれを手に取り、ためつすがめつして眺めた。

夕食後の北国の夏の明るい夜を、辻さんは庭で焚火をしてもてなしてくれた。
「タキビをするとな、白木が昔の事を思い出すらしくて、よく山の事を話すよ」
「ああ。彼は山岳部にいましたからね」
犬とジミーが傍へ寄って来た。遠くで獣が吠える声がした。
「コヨーテですよ」辻さんが教えてくれた。

ジャメイが出て来た。「ジュ・ヴォワ」と言って自分の眼を差した指を回して森へ向けた。
「ジャメイはフランス語を習ってるんです。このおじさんはね、パリに住んでんだよ。なにかフランス語で話してごらんよ」
辻さんはジャメイをけし掛ける様に言った。陽一はフランス語で二言三言喋ったが、眠気と疲れとビールの酔いで口が明瞭に回らなかった。

ジミーが空気銃を持ってきて、地面にシャベルを立て、壊れた柄の先に空缶を被せて遠くから狙って撃った。チンという低い短い音がした。「あたった」ジミーが言うと陽一に撃ってごらんと言うように空気銃を差し出した。

どこでもいいですよ。そこのソファーの上でも、というのに辻さんはジミーの寝室を空けさせ、そこに陽一を寝かせる用意をしてくれた。窓に赤い色紙を切り抜いて作った鳩が掛けてあった。電気を消すと、天井が一面の星空に変わった。天井に蛍光塗料で星を散りばめた壁紙が貼ってあるのだろう。北米はやはり洒落たことをするわいと楽しい気分で陽一は眠りについた。時差の為に夜中に二度ほど目が覚めた。

 (つづく)

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