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2011年5月17日 (火)

夏の山脈 16

「お、おっ、おっ、おれは……」和雄は息を溜め、呼吸を整えてから話し出す。それは、吃るのと違い、切迫した感じはせず、どこか誠実さが籠ったユーモラスな響きで聴く者を惹きつけた。佐山や富士沢などを前にして和雄はよく議論を吹っかけていた。「おれは、そうはおもわんなあ~」口癖のように言う和雄の声を今も思い出す。感覚的な表白ばかりが交わされる日本人の会話の中に和雄はいつも理屈を、論理を組み立てた意見を言った。

小心で情を元に考える陽一に和雄の議論は頼もしく、堂々として見えた。単に理屈っぽいだけでなく和雄の理屈の述べ方はいつもユーモラスな多少のぎごちなさが伴うのだったが、そこがまた日本人の思春期の若者には無い包容力を感じさせた。陽一は和雄が理屈だてて語る言葉の奥に、ある芯の強い、何かを訴え、希求する意志を見ていた。

ある日、和雄はアンドレ・ジイドの「狭き門」を解説してくれたことがある。
「『力を尽くして狭き門より入れ』いうんや。聖書のルカ伝に出てくる言葉や。競争率の高い大学へみんなを蹴落して入れ、そのために力を尽くせいうことやないぞ。ええか。もとの意味はな、滅びに至る門は広く、天国へ至る門は狭い、いうことなんやぞ」
今の高校を、陽一は大学受験を意識して選んだ訳でなく、単に地理的に近く、庶民の誰もが経済的に無理をせずに入れる公立だから選んだのだが、大抵の生徒は、そこが国立第一期校への入学率が高いという理由で選び、毎日の学習も3年後の入学試験に備えるためと見做していた。

「漱石のな、自己本位と、利己主義の違い。わかるか?」
木造校舎の窓枠に腰掛けながら和雄が、ラグビー部や野球部の餓鬼大将らと談笑の途中にも、突如、禅問答のような哲学的課題を持ちだしてぶつける。餓鬼大将も、それが和雄の口から出ると、にやにやしながら相手になるのだった。

腕力と学力で陽一を数段凌ぐ彼ら同級の餓鬼大将に陽一は秘かに怖れを抱いている。やつらは女生徒をからかい、弱い生徒のアラを探しては笑い物にする。アラ探しに長け、人を笑い物にしては喜ぶゴロツキどもだ、と陽一は、彼らを憎み憤りさえ感じていたのだったが、和雄は、傍若無人な彼らとも結構うまくやってゆく能力を持っていた。悪ふざけをしては喜び、性的不満を発散させる彼等との間でも、理屈っぽい話を持ち出し、白けさせたり鼻白らましたりせずに話す術を心得ていた。陽一には和雄のそういった面が大人びて見え、普通の日本の若者が持たない長所と見ていた。

和雄はまた詩や小説をよく読んでいた。橙と黄色の市松模様の表紙のついたハイネの「歌の本」というかわいらしい小詩集を貸してくれたことがあった。陽一はその中の「お前は花のように……」という詩を書き写して、片思いの意中の人だった岡田園子の靴箱に入れたのだった。

 (つづく)

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