スポーツ

2008年5月 1日 (木)

メートル法

フランスでゴルフをする時ついてまわる問題に距離の表示があります。
「1番ホールはパー4で435メートルですよ。」
「メートル?弱ったな。狂っちゃうな感覚が。ゴルフはどこでもヤードなんじゃないの?」
「中野さん。フランスはメートル法の発祥地ですからね。」
「そうだったかね。えーと。ヤードに換算すると幾らかね?」
フランスでゴルフを始めた僕の方が特殊なのかもしれませんが、日本だって道路標識はすべてメートルなのに、なぜゴルフだけヤードなの?と逆に訊き返したくなります。この練習法ならドライバーの飛距離が「300ヤードは軽く飛ぶ」ようになると。日本でゴルフを語る時はヤードを使わねば始まらない。
フランスの田舎の畑の中の一直線の高速道路をドライヴします。速度制限の標識に110/130とあります。「マイルですかキロですか?」と中野さんがまた質問を発します。「やだなー。いまどき、全世界どこいったってメートルじゃないんですか?」「アメリカもカナダもマイルだよ。フランスだけ特殊なんじゃねーの。」
そうかな。そんなはずないと調べてみました。やっぱり中野さんが間違ってました。パリへ着いたばかりの頃、もう30年も昔の若かりし頃ですが、好奇心も旺盛だったので、メートル原器なるものを見に行きました。ブローニュの森を抜け、セーヌ川の橋を渡り、セーヴル焼の工場の近くの建物の中にそれはあった。白金90 % イリジウム 10%の合金で出来ている原器はガラスの箱に厳重に保管され、金の延べ棒なんかよりよっぽど貴重に見えた。ふうむ。これが世界中の定規の元になった原器かと感慨に打たれたのを覚えています。
フランスでメートル法が提唱されたのは200年以上も昔、大革命の翌年の国民議会でタレーランによります。何をもって1メートルとするか、それがすごい。「地球の北極点と赤道までの経線の距離の1000万分の1」が定義です。そんな昔、どうやって測ったんだろう?という疑問が当然沸きます。「ダンケルクとバルセロナの距離を三角測量し、計算で出した・・・。」とあります。
そうして決めたメートルも中々普及せず、1837年に1840年以降はメートル法以外の使用を禁じ、違反した者には罰金を課すと法で定め、ようやく普及し始めたそうです。フランス国内でさえこの体たらくですから、ましてや外国では・・・。
日本でも僕が子どもの頃はまだ尺貫法が残っていました。敷地や建物はもちろん、お酒は一升だし、お米は五合、距離も尺と里が日常使われていました。学校ではメートル法を習っていた僕らでも、特にお相撲さんの体重は貫目でないとピンときませんでした。栃錦は34貫、鏡里、吉葉山40貫。これが120キロと言われるともう日本の国技たる相撲ではなくなってしまう気がしました。そこへゆくと、ボクシング、プロレスは「白のコーナー、xxx。○○パウンドー」とコミッショナーの威勢のいいマイクの声が場内に轟いてこそ、さあ、いよいよ始まるぞ・・・と心臓がドキドキした。
1875年パリでメートル条約が17カ国の代表の署名を得て締結されます。
日本は1884年のメートル原器製作を機に加盟し、1889年に22番目の複製を貰います。日本にこの原器が到着したのは翌年のことでした。
それから今日まで普及に大変な時間が掛っています。
尺貫法が廃止されたのは1921年。そして1959年になって、土地、建物の表記を除き、メートル法を完全実施する法律ができ、全国実施されたのはなんと、1966年4月1日からのことに過ぎません。原器到着から76年も経っています。
いかにプラチナで作ってあるといっても人工物では気象条件、経年変化が避けられない。そこで1960年の総会で物理現象に基準を置くように変えられます。
「クリプトン元素が発する橙色の光の真空中の波長のxxxx倍」なんという精度でしょう。さらに1983年には「1秒の光の伝わる距離のxxx分の1」と定められます。光の速さは1秒に30万キロメートル、地球を7回り半だよと子供の時教わりましたから、ほぼそれが基準になったわけです。
はじめに戻りましょう。ヤード・ポンドを使っているUSAと英国が本場で、フランスが特殊なのか。調べたら、とんでもない、とわかったのです。
1875年パリで締結されたメートル条約にはUSAはなんと最初から原加盟国として署名しています。法律上はUSAでさえ、メートルが正式単位なのです。頑固おやじがたくさんいて、フランスが決めやがったメートルなぞ使えるか。それが実情だから、慣習上の単位(Customery unit )としてマイルとかフィートとかヤードの使用を認めているだけなのです。
ヤード・ポンド法というのは日本だけの呼称のようです。英国人はさすがにImperial unitと呼ぶそうです。その英国でさえ、1995年に国際単位、つまり、メートル法に移行し、2000年にはヤード・ポンドの使用を禁止さえしているのです。ただし、一部を除いて、とある。これがくせものなのです。ゴルフはヤードのままだろうし、航空宇宙分野では、ヤード・ポンドなしで仕事はできないそうです。USAでもアメリカンフットでメートルは使わないでしょう。しかし、いまや世界中でヤード・ポンドの使用を禁じていないのはUSAとミャンマーとリベリアだけだそうです。
それじゃあ、フランスが提唱したメートル法が全世界に普及し、めでたしか。フランス国内ではメートル法さえ知っていれば問題ないかというと、そうはゆかないのが、この度量衡の複雑なところです。
フランスの、それも日常市民が触れる分野で、今もって、歴然とヤード・ポンドが使用されています。配管のパイプの径、ボルト・ナットのサイズ。それを締めるスパナの口の幅、これらが公然とプッス(親指のこと、つまりインチ)で表示されているのです。日曜大工で水洗トイレのバルブを取り換えようと定規でサイズを測る。家にはミリ・センチ単位の定規しかありません。店に行くとフランス製でもみんなプッス表示です。伝統なのでしょうかね?昔ぼくらが横綱の体重をキロで言ったら相撲じゃなくなると感じたように。ネジ山の切り方にはインチとミリとが混在していて、ややこしいこと極まりない。これが実情です。
慣習だ。と言ってしまえば、それまで。僕らでさえ、朝市で野菜を買うとき、シャンピニオン(きのこ)を指して「ユヌ・リーヴル・シルヴプレ」と言ったりします。その方が 「ツウ」じみてかっこいいから。そういう心理が働いていると思います。500グラムくださいじゃ、化学の実験くささがある。いまだ「法律違反だぞ。」と言われたためしがありません。ポンドのフランス語訳がリーヴルですが、昔からの単位でパリでは489.5グラムだったそうです。粋がるにも、10グラムばかり損をする覚悟がいるわけです。

フランスの田舎に住むと昔の単位を使わされます。暖炉で燃やす薪を注文するときはステール(stere=1m3)、体積の単位です。ゲストハウスのホームページ:http://www.sorintei.com をご覧ください。

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2008年4月29日 (火)

ゴルフの起源につき

ゴルフがセント・アンドリュースで楽しまれはじめるより前のことにつき、触れてみます。

定年退職する前、北フランスのベルギーとの国境に近い、進出したばかりの日本の自動車メーカーの工場に勤務していました。日本から大勢のトレーナーさんが現地のメンバーの指導に来ていましたが、現場の通訳だった僕は、トレーナーさんたちからゴルフを教えてもらい、その難しさと楽しさを知るようになりました。

ベルギーにはきれいなゴルフ場が沢山あり、フランス側には、住んでいた町から高速道路で15分のところに牧場に接した美しいゴルフ場がありました。覚えたての頃、夜勤明けで昼ごろ目を覚ますと、ひとりでこのゴルフ場へでかけたものでした。

前夜に雨が降ったり、まだ雪がところどころに残っていたりする日には、そのゴルフ場でフランス人たちが長靴を履いてラウンドしている姿をよく見かけました。まるで畑の中を歩くような恰好でプレーしています。それは、紳士のスポーツと言われているイメージとは、かなりかけ離れたものでした。

日本にいる時、僕は若くて自分で金を稼いでいなかったこともあって、ゴルフに対してはむしろ悪感情を抱いていました。スポーツとはどこか粗野でしかも大衆的でなければならないものと思い込んでいたものでしたから、ゴルフなんて金持ちのお遊びじゃないかと。国土の狭い日本で広い場所をとり、会員権に法外な金を払い、さらに高いグリーンフィーを払わなければできないゴルフなんて。金持ちだけが遊べ、大抵のサラリーマンは、仕事の一部としてか、単にエリート意識を満足させるためにやってるだけじゃないか。真にスポーツというに値しないと思っていたものです。自分でやってみて、こうした見方が、多分に偏見に過ぎないことがわかりましたが・・・。

その北フランスのゴルフ場でみた光景は、僕が抱いていたゴルフのイメージを大幅に変えるに十分なインパクトを持っていました。長靴を履いて、雨の日の晴れ間にちょっとそこらを散歩してくるといった気軽な感じで「この人たちはゴルフを楽しんでいる。彼らがラウンドのあとクラブハウスで地ビールを傾けながら仲間同士でふざけあう様子はまことに楽しそうでした。

その地方は昔フランドルといいました。ブルゴーニュ公国の領土になった時代もあったし、現在の北フランスとベルギー、オランダまで広がっていました。

いつだったか、長い冬が明け、春の日差しが暖かく射していた日曜日、工場の仲間と近所のウオーキングにでかけたことがありました。ゴルフ場の近くの村を通り抜けたとき、テニスコートくらいの広場で、村の若者たちが十人ほど、ちょうどバレーボールのようにふた組に分かれ向かい合って、堅そうなボールを手のひらで打ち合って遊んでいたのです。

「ああ。ジュ・ドウ・ポームだ。」とっさにパリのチイルリー公園の西端にある小さなオーカー色の建物を思い出しました。大革命の頃、ここの遊技場に人々が集まって重要な決議と宣言をしたのでした。その遊技場で行われていたのは、テニスとバレーボールの合いの子のようなもので、堅いボールを手の平で打っていたことから「ジュ=ゲーム」「 ポーム=手の平」と呼ばれていました。村の若者たちは、昔どおりのパフォーマンスでゲームの保存をしていたのでした。

現代スポーツの起源を探ると意外に面白いことが発見できます。スペインとの国境近くバスクのバイヨンヌにはシステラの博物館があって、昔使った道具が展示してあります。その中に、まるで昔、貧乏だった日本の少年たちが親に作ってもらった手製のミットやグローブそっくりの布製の手袋があります。システラはテニスと野球の起源とも言われています。

いまや世界中の民衆が熱狂しているサッカーは、村と村とで農民が太陽を奪い合う象徴的な祭りに起源を発している。サッカーボールは農民にとり、かけがえのない太陽のシンボルだと。それで、ヨーロッパの民衆は、あんなにもサッカーに熱狂し強いのだ、と言う説があります。

ゴルフの起源につき。羊飼いが持っていた杖で地面の石ころを叩いて飛ばしたのが始まりだとか、いろいろ唱えられています。ブラッセルの美術館は16世紀フランドル派の絵画の宝庫ですが、ここには冬景色の中の氷の上でアイスホッケーをして遊ぶ子供や村人たちの絵が幾つも壁に掛けてあります。

あるとき、僕はゴルフ雑誌で、オランダに「コルフ」という名の村があり、こここそがゴルフの発祥地だとする記事に出会いました。フランドル地方の漁民たちが、木製の硬く平たいボールを長い柄で打ち合って、町の家々のドアを標的にぶつけて遊んでいた。そして、そのボールが昔の漁船の中から発見され、英国へ輸出されていたことがわかった、とありました。

しばらく経ってから、こんどは本格的なゴルフ大陸起源説に出会いました。1099年、日本の頼朝が鎌倉幕府を開く100年程前に、ノルマンデイーは、ソンヌ川の河口、サント・ヴァレリーから数百隻の船が英仏海峡を渡り英国のハスチングに上陸し、たちまちロンドンを占領しロンドン塔を建てます。ウィリアム征服王の英国上陸作戦です。このとき、ウイリアムに従って沢山のフランドルの領主が家臣をともない英国に渡りました。征服を達したあと彼らは英国やスコットランドに住み着きます。彼らが日常を楽しんでいたゲームを現地の英国やスコットランド人に教え、それがスコットランドにゴルフの発祥地としての栄誉を与えることとなったのだと、おお筋こういう説でした。僕は、この説は歴史の裏付けがあり、工場近くのゴルフ場で見た、フランドルの人たちのゴルフの楽しみ方から見ても、案外、的を得ているのではと思うのですが、皆さんはいかがですか?



http://www.sorintei.com

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