カテゴリー「スポーツ」の記事

2009年7月27日 (月)

コンタドール優勝:トウール・ド・フランス最終日

最終日の本番レースは残り60kmのシャンゼリゼに入ってからと、わかってるためモントローからパリまでの道は、みんなお祭り気分で、完全にリラックスして走っていた。途中恒例のシャンペンが振る舞われ、グラス片手に陽気に走ったりもした。

今日のステージ(区間)で優勝をねらう英国のカヴェンデッシュ
とスプリンターのトップ、グリーン・ジャッジのトール・ユソヴォも並び合い冗談を交わしながら走っている。

21日間、時には激しく競り合い、時には苦痛を分け合い、共にレースを闘った3週間が終わるのを惜しむように中には肩を組んで走ったりする選手もいる。

中でも老練のレンス・アームストロングは来年は自分のチームを作るとかで、「ボクのチームに加わらないか」と勧誘をしながらのレース風景とみかけられた。

個人総合の優勝候補コンタドールに沿道の応援団からスペイン国旗が差し出された。コンタドールは笑ってそれを受け取り、風に靡かせながら走った後、首に結んで走った。

Contavictoire ヘルメット、ジャージ、靴、自転車まですべて黄色の王者の色に身を飾ったこの青年は、内気な性格で、動物が大好きという。なかでもカナリアを沢山飼っていて、黄色はカナリアの色なので黄色ジャージが着られるのはカナリアのお陰かもと解説者は冗談を言った。

中継の途中、サルコジ大統領入院のニュースが流れた。今日はバカンスで大統領はヴェルサイユの森をジョギング中、急に気持ちが悪くなり倒れた。救急車でヴァル・ド・グラス病院に運ばれたが、症状は軽く健康に心配はないとのこと。

3日前のレースを大統領は車で観戦し、表彰式に立ち会った。サッカー、ジョギングとスポーツ好きで自転車も時々乗っているという。

レースの本番はパリへ入ってからの60km。表敬の意味で団体戦トップのASTANAチームの9人を先頭に立て、レーサーの集団はリヴォリ通りからコンコルド広場を抜けシャンゼリゼに入った。

緩い傾斜のシャンゼリゼ通りを凱旋門の付近まで昇り、エトワール広場には入らず、手前で折り返して、シャンゼリゼを反対方向に下る。コンコルド広場の南端からセーヌ河沿いの道をルーブルまで直進し、ルーブルの手前で左折してトンネルを潜り、ジャンヌダルクの騎馬像前を左折し、またリヴォリ通りをシャンゼリゼに向かう。

最後のレースはこのコースを周回して競われる。コンコルドから凱旋門まで約2kmだから1周5km、12周する計算になる。

7人の選手が飛び出し、後続集団との距離を広げてゆく。なんと、この7人の中に、Champs3 日本の別府選手がいるではないか。別府はなんどか先頭に立って快走した。アナウンサーの口からも「Beppu, Beppu 」と名前が繰り返された。

後続集団の先頭に立っていたASTANA チームはくずれ、代ってColumbia の黄色と白地に黒の縞のユニフォームが一列になって集団を牽引してゆく。その最後尾に今日の区間優勝候補カヴェンデイッシュが居る。

ポイント最優秀選手、グリーン・シャツのユスヴォがカヴェンデイッシュにぴったり付いて走るのが見える。黄色シャツのコンタドールは集団に紛れてしまって見えない。アームストロングも同様だ。

勝負がついたのはシャンゼリゼ最後の昇りだった。コンコルド広場を渡りきり、カーヴを曲がる途中から、Columbia の2人が猛然とダッシュした。ユスヴォが追いすがるが前を行く3人の選手に阻まれてダッシュのタイミングが遅れた。

Columbia のカヴェンデイッシュが今季6度目の区間優勝を飾った。通算で10度の大会新記録。とりわけシャンゼリゼでは英国人は勝てないというジンクスを破った。

Champs4 個人総合優勝は、コンタドールが守った。5年前転倒して頭を打ち意識が戻らぬまま3週間、生死の境をさ迷った。半年間手術と療養を繰り返し、2005年にレースに復帰した

表彰台でスペイン国歌を聴く時の慎ましげな青年の顔はいかにも感慨深げだった。個人タイム・トライアルのスタート台ではいつも3回以上十字を切る。敬虔なクリスチャンなのだ。

ール・ド・フランス二度目の優勝を祝い、コンタドールの生まれ故郷マドリッドの南の郊外ピントの広場では明日盛大な闘牛祭り(Fiesta )を行うそうだ。

個人総合2位は、若手のアンデー・シュレック。ジュニア最優秀の白シャツも手に入れた。将来が有望視されるリュクセンブルグの選手。

そして、ついにアームストロングが表彰台に上った。3年半の空白の後の復帰で、もう年齢からみて無理だろうという大方の予想を破り、7回優勝の底力は消えず見事に復帰をとげた。

あまりに強すぎた選手はドーピング問題の犠牲にされ、あいつは勝つことしか頭にない「イヤなやつだ」と嫌われた。大記録の割に評判が悪かったのだが、復帰後のアームストロングは人間が変わったようだと好ましい評判が立った。

マスコミはじめ人々にオープンな態度で接し、ガン撲滅のための財団を設立するなArmstrong1 ど、今まで知られていなかった彼の人間的な面が明かされた。もっと驚くべきは、アームストロング自身ガンに罹っていたのであり、ガンと闘いながら7回の優勝を成し遂げたという事実だった。

レース後のインタビューで彼は、「かつては勝つためにレースをしたが、これからは、財団のため、ガンと闘う人々のためにレースをします。」と語った。

「来年も出場されますか?」との質問に「もちろん出ますよ。」と笑って答えた。

ール・ド・フランスは最も過酷なスポーツとさえ言われている。数々の困難を乗り越えて、ゴールまで完走した選手たち。日本の別府選手と新城選手に盛大な拍手を贈りたい。病気と事故を克服し、なおその上に表彰台に立った3人には特別の敬意を表したい。 

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2009年7月26日 (日)

最終日までの途中経過 トウール・ド・フランス

スペイン人コンタドールは騎士である。騎士道精神をわきまえている。
テレビの解説者も一様に強者のもつ美徳を褒め称えた。

17日目のゴール近く、リュクサンブール人のシュレック兄弟(Saxo Bank)が逃げ切りを図ってスパートするとコンタドールはすかさず反応し、ASTANAのチームのドイツ人クローデンと何事か打ち合わせた。

しかし
シュレック兄弟がさらにスパートをかけ、コンタドールは逃がさず追随するが仲間のクローデンは疲れたのか次第に置いて行かれた。コンタドールはシュレック兄弟に追随しながらも、後ろを振り向き振り向きクローデンの様子を窺っていた。

クローデンの後ろにはASTANAチームのリーダー、アームストロングが必死に追い縋ろうとしている。コンタドールはシュレック兄弟を振り切ろうと思えば出来るのだが、それをしないのはクローデンとの打ち合わせが関係している。

コンタドールは小柄だ。たいていの選手がバイクのギアを利用してサドルに尻を乗せたまま走る時も、彼はダンサーと愛称で呼ばれている尻を挙げ左右に振りながら走る。

彼が気にしているのはクローデンとアームストロングの状態なのだ。できれば一緒にゴールしてチーム総合点を稼ごうと狙っていたのだ。

シュレック兄弟の一人が遅れるとコンタドールは先に行けと手で合図までして、王者の貫録を見せた。この日彼に大事だったのはチームの勝利だった。兄弟のアンデが先着しコンタドールは2位でゴールした。

Annecy1 だが、翌日のアネシー湖一周の個人タイムトライアル(TT)では、コンタドールは見事優勝。世界で最も早く、かつ登坂力でもナンバー・ワンの実力を見せつけた。

さて、20日目はフランスで最大の難所のひとつヴァント山のレース。このコースでは、かつて英国人の選手が途中で力尽きて倒れ、ヘリで病院に運ばれたが、そのまま死亡したという歴史がある。

死力を振り絞るという言葉があるが、文字通り、彼は体力の限界まで肉体を励ましMtventoux3 精神力で山を登り、ついに意識不明に陥り死亡した。人間の限界を賭けてのレースだということがこの一事でもわかる。

この山は草木が一本もないハゲ山。風がある日は風に苦しめられ、晴天の日には遮る物のない日光に晒し続けられ、日射病や脱水症状に陥りやすい。

この日のステージ優勝はスペイン人のガラタ・セパだった。2位がトニー・マーチン。3位がアンデー・シェレック。コンタドールはシェレックと同タイムの四位だったが、個人総合では依然トップの座を守った。

そして、いよいよ21日目最終日。7月26日の今日、花のパリ、シャンゼリゼにゴールする。見どころは3っつ。もちろんコンタドールが2度目の王者となるかが最大の関心を惹くが、スプリンターの勝利をだれが収めるかも注目だ。

ノルウエー人のトール・ユスヴォがずっと緑シャツ(グリーン・ジャッジ)を守り続けている。続く英国人のカヴェンデッシュが僅差で迫っている。しかもカヴェンデッシュは今回5度の区間(ステージ)優勝を挙げ、トール・ド・フランスの記録を更新した。

今日、花のパリのシャンゼリゼで大観衆が見守るなか、フィニッシュラインをトップでゴールとなれば、個人総合と並ぶほどの名誉とプレステージを手にできるのだ。

そして3っつ目の見どころは、7回ール・ド・フランスの優勝を果たし、2年の休場の後復帰したアメリカ人レンス・アームストロングが、37歳の年齢で途中何度も体力の限界を見せながら、知力と経験で個人総合3位につけ、最後まで順位を守り、晴れの表彰台に登れるかだ。

選手たちは、すでに今日の出発地モントロー・フォー・ヨンヌを出発した。チームワーク、個人の能力、人間の知力と体力、意思力の限界を出し切って闘われた21日間のレース。沿道の観客は1200万人。全世界に流されたテレビ中継の観衆は、なんと20億人といわれる。オリンピック、サッカーのワールド・カップに並ぶ世界最大のスポーツ・イヴェントが、あと2時間で幕が閉じられようとしている。

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2009年7月21日 (火)

コンタドールが実力発揮:トウール・ド・フランス第15日目

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

7月15日にサン・ファルジョーに怒涛のごとく到着したトール・ド・フランスはその後も毎日レースを続けた。ある日は34℃、翌日は14℃と気温が急変し、雨の中を濡れて走った日もあった。区間優勝者は次々と代わった。

2回目の休息日の前日、7月19日第15日目、
レースはスイスへ入り、ポンタルリエ〜ヴェルビエ間207.5km。最後の46kmが標高差1030mのヴェルビエ峠の難所で、ヴェルビエを制する者がトールド・フランスを制すると言われるくらい。

Contador5 6日間、個人総合トップ=Mailllot jaune(マイヨ・ジョーヌ、黄色シャツ)を守り続けたリナルド・ノチェンチーニが自身でも予想したとおり、コンタドールがついに底力を発揮した。

登りに差し掛かるやスパートし最後まで余裕を見せながら他を圧倒してゴールした。2位のアンデ・シュレック(ルクセンブルグ)との差が43秒。この日、区間優勝と個人総合とダブルの勝利を飾った。

コンタドール所属のASTANA チームのリーダー、レンス・アームストロング(37歳)は坂を苦しげな表情で登り、ゴール後のインタヴューでこう語った。

「今日のレースは辛かった。2年間レースから退いていた影響は大きく、若い選手に置いていかれた。コンタドールは実力通りのレースをした。若いリ-ダーが出現して嬉しい。」


アメリカのテキサス出身のベテラン・
リーダーは素直に若手の勝利を祝福した。

アルベルト・コンタドール・ヴェラスコ Alberto Contador Velasco は1982年マドリッド生まれ。26歳。

2003年プロ入りし、スペインの名門チームONCEでデビューした。しかし、2004年5月に大きな事故に遭い、3週間意識不明のまま生死の境をさまよった。病状が回復したのはその年の12月。翌年からレースに復帰した。

2005年、トール・ド・フランスに初出場したが、その時の成績は個人総合で31位。優勝したレンス・アームストロングとの差は1時間もあった。

2007年のール・ド・フランスでアメリカのデスカバリー・チームに所属して優勝。その年スカバリー・チームは解散し、監督がカザクスタンのASTANAチームに移ると一緒にASTANAに加わった。ASTANAはカザクスタンの新しい首都の名称。

コンタドールは2008年にイタリア・ツアー、スペインツアーを制している。

ール・ド・フランスも残すところあと6日。優勝候補ナンバーワンに浮上したスペイン人コンタドールが最後までトップの座を守りきれるかが見どころ

個人総合の順位は 1位 コンタドール   2位 レンス・アームストロング(USA) コンタドールとの差は1分37秒
3位 ブラッドレイ・ウギンス(英国)
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日本の別府が 129位      新城は 143位

チーム総合の順位は  1位 ASTANA       
2位 AG2R La Mondiale (フランス)         
3位  Team Saxo Bank (デンマーク)

  コロンビアは5位  

Sbouyguec 日本の新城選手が所属する
BBox Bouygues Telecom は13位
                  
別府選手が所属する SKIL SHIMANO  は20位

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レース用バイシクルのフレームはカーボン製

ペダルのギアは大小二つあり
後輪のギアは10段もある。

8%の上り坂を40km/時で登る秘密はここにも。

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2009年7月16日 (木)

当日:トウール・ド・フランス11日目 - 一瞬のゴール

11日目のコースはヴァタン〜サン・ファルジョー間192km。
前日と同じ平坦なコース。

2人が飛び出し、ゴールまで100kmの地点で後続集団と3分半の開きがあった。平均45km/時で快調に飛ばす。

後続集団をリードするのは今日はコロンビア・チーム。
ASTANAはなぜかさえない。
黄色と白の地に黒の縞が入ったチーム・ウエアの選手が
制御の利いたスピードで、じりじりと先行の2人を追いつめてゆく。昨日の区間優勝のカヴェンデッシュもその中にいる。落ち着きと自信がみえる。ここまでテレビで見て、現場へと急いだ。

Spodiumc 表彰台の設営は朝の内に終わっている。フィニッシュの右側は報道陣と警備陣のエリアで近寄れない。ゴールの瞬間をヴィデオとカメラに収めようと最適な距離を探したが、障害物があってゴールが見えない。

フィニッシュに近すぎる感じだが、そこだけ近寄れるので、滑り込んだ。

予報では曇り時々雨だったが日差しが強く、LCL銀行が配る野球帽を、みんな争って求める。


Srisuc


 

先行の2人と集団との差は徐々に縮まり、

後続集団が2人を呑みこんだのは残り2キロの地点だった。

先頭はコロンビア・チーム。カヴェンデイッシュ有利と解説が放送される。


Sroller1c Skeibiin1c







町に入りフニッシュまでの約1キロは上り坂。なのに、怒涛のように集団は押し寄せ、「来た」とカメラを構えた瞬間には全員が通り過ぎていた。

カヴェンデイッシュ今回4度目の区間優勝。タイム:4時間17分55秒。なんと140位までが同タイムだった。1秒も差がないのだ。やっと140位が24秒遅れ。日本の別府選手は27位、新城選手が32位とベストの成績を出した。

Sarrivee2c_2 Sarrivee5c







到着後、観客は一斉に表彰台へ移動する。人垣が邪魔する上、自動フォーカスが利かなくなり、老眼に厳しい手動写真はピンボケだった。

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表彰式後、インタヴューをと別府選手、新城選手を探したが、別府さんは見つからず翌日のレースの出発地トネールへ発車寸前のブイグのバスの乗り口で新城さんを見つけてお願いし写真を一枚撮らせて貰った。

Sarashiro2c 個人総合の順位は変わらず。

チーム総合では

1位 AG2 La Mondial
2位    ASTANA
3位   Columbia

日本人選手の個人総合での順序は

新城 選手 144位

別府選手  154位

となった。お二人に声援を送ろう。

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当日:トウール・ド・フランス11日目-朝の準備

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

一日の休みを挟んで昨日(7月14日の祭日)は 磁器で有名なリモージュをスタート。この日、それまで使用していたワイヤレス=イヤホンとマイクを実行委員会が禁止したため多少の波乱があった。

選手全員ではないにしろ、各チームに少なくとも一人は無線で随走する車に乗ったチームの監督と情報交換しながら走っていた。先行は何キロ先だとか、そろそろスパートを掛けろとか、チームのだれが遅れてるから、少し待てとか、チーム毎の周波数で情報を流しながら選手もそれに従って走っていた。

だが、それではレースが面白くない。トール・ド・フランスはもっと選手の勇気、冒険心、チャレンジ精神を発揮するレースだった。監督がデータを分析し計算し
無線で選手に指示を出しながらのレースでは、監督の言うなりでロボットと同じ、人間のやるスポーツではなくなってしまう。

こういう意見が大半を占め、禁止措置がとられた。しかし、突然の禁止に反対する監督と選手が、この日のスタートを遅らせた。が不満であっても欠場はできず、ようやく全員がスタートした。この遅れの影響で、電車のダイヤを変更してあリ
本来なら遮断機は上がったままの踏切が、遮断機が降り、先行の選手が待たねばならないハプニングが起こった。

レース自体は波乱もなく平凡なものだった。ブドウ畑の続く平坦地なので全員が飛ばす。ゴール前でダッシュに強い英国のカヴェンデイッシュがまたもや力量を発揮し、今回3度目の区間優勝を奪った。

そして今日、7月15日は「そうりん亭」のあるヨンヌ県のサンファルジョー到着の日。

7時半にパンを買いに行ってみると、もうあちこちで設営が始まっていた。普段、納期を守らない、遅れて当たり前のフランス人だが、こういうイヴェントとなると、きちんと動員を掛け早朝から、しっかり仕事するのは何故だろう。

昨夜通った時はガランとしていた道路や広場がトラック、車でぎっしり。夕方5時のゴールには人の波ができるだろう。人口2000人に満たない、この田舎町ではかつてなかった事件だ。
夕方には人混みで撮れない写真をお届けします。

 コメント入り写真と入れ替えます

Sprepcamion1_4    Sprepmatin2_3




Sprepmatin4c Scyclistenville

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Ssprepmatin8 S450m

 


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2009年7月13日 (月)

先行の2人が圧勝:トウール・ド・フランス9日目

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

最初から飛び出した2人が最後までリードを保ち3位と34秒差で圧勝した。Aspin2

ール・ド・フランス9日目はピレネー山岳戦最後の日。

サン・ゴーダン〜タルブの160.5km。途中カトリックの聖地ルルドとヨーロッパで最高地点にある天文台の近くを通る。

Qspin1 難所が二か所。スタートから60.5kmの地点にアスパン峠1490m。つぎに90kmのところにトルマレ峠2115mが控えている。
アスパン峠は一級、ルマレは特級の難所だ。

スタートから12kmで2人が飛び出した。フランス人でブイグ・チーム BBox Buygue Telecom 所属のピエリック・フェドリゴとイタリア人でLiquigasチームのペリゾッテ

ゴールまで76.5kmで先頭の2人と後続の密集集団との差は4分35秒あった。勾配8%の登りを2人はぐいぐい上がり、残り60kmでは5分も差をつけてしまった。

峠を登りきるとゴールまでずっと下り坂。後続の集団がじりじりとスピードを挙げ追い上げる。はじめはいつも通りASTANA チーム が引っ張っていたが、やがて昨日の優勝者サンチェスを出した Caisse d'Epargne チームが先頭に立つ。

残り40kmで4分差。33.3kmで3分差、15kmで2分差まで迫った。Aspin3
が先頭の2人もスピードを落とさず、残り10kmの地点で1分16秒のままゴールの町タルブに入った。

残り1kmで37秒差にまで迫ったが、ついに2人を捕えることができなかった。

ゴール直前は昨日と似た展開で、150m前のカーヴでうまく内側を捕えたペリゾッテが2mリードしそのままゴールかと思われたが、ピエリック・フェドリゴが強く最後の10mで追い抜いた。2人の差は自転車の1台分もなかった。

先着2人は同タイムで4時間5分31秒
3着はスペインのフレール・ゴメスで1・2着との差は34秒もあった。

順位は個人総合(黄色シャツ)は変わらず、イタリアのリナルド・ノチェンチニ。2位がスペインのコンタドール。3位がUSAのアームストロング。

チーム総合に入れ替えがあった。ずっと首位を保っていたASTANA が2位に後退。フランス AG2R-LA MONDIALE が101時間39分5秒で首位に立った。ASTANAは3秒遅れ。3位は依然としてColumbia。

Aspin4 今日区間優勝を飾ったフェドリゴと日本人新城が居るBBox Buygue Telecomは14位。別府がいるSkil-Shimano は20位。個人では新城が抜き返し146位でトップとの差が1時間17分56秒。別府は157位で差は1時間23分4秒。

ポイントのトップ(グリーン・シャツ)は昨日と同じノルウェーのトール・ヒュショヴォ。敢闘賞(白地に赤の水玉シャツ)はスペインのマルテネ・デ・エステバン。25歳以下のジュニア賞(白シャツ)はトニーマルチンが獲得した。

明日はレースはお休み。前半3分の1のレースを終えて、やや疲れが出始めた選手たちはバスで空港へ向かい次の出発地リモージュへと飛び立った。

火曜(14日)は Limoges - Issoudan。 その翌日、15日(水曜)は、いよいよVatan - Saint-Fargeau で、今までテレビでしか見られなかった選手たちがこの町に来る。


         

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2009年7月12日 (日)

最後の詰め:トウール・ド・フランス-8日目

投稿者そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

8日目は引き続いてピレネーの山岳コース。 アンドラ〜サン・ジロン間は176.5kmと距離こそ短いが、途中、峠越えが三か所あって力の配分が難しい。

Tarascon3 スタートはアンドラの町(ラ・ヴィエイユ)からで標高は213m。最初の難所は23.5kmの地点の峠ポール・ダンヴァリラ。標高2408m。峠から約50km下りが続き、102kmの地点に二番目の峠標高1250mが待っている。

峠から114kmのマッサの谷へ下り、最後に難所アーニュ峠1570mを越える。頂上は132.5kmの地点。峠の頂上からゴールまでは44kmの長い下り。

最初の峠まではバラけず全員が一団で走る。峠を越え谷間にかかると全員が激しく動き駆け引きが始まる。6日目まで個人総合トップのスイス人カンチェララは昨日イタリアのトスカナ出身リナルド・ノチェンチニに黄色シャツを奪われ赤いチーム・ウエアを着ている。

昨日の区間優勝者ブリス・フェイユは敢闘賞も取ったので白地にの水玉シャツを着て走る。スタート前のインタヴューで、昨夜はいろいろあって5・6時間しか眠れなかったと言っていた。区間優勝でも勝つと大変なのだ。

ピレネーの山もこの辺は深く、途中まっ白い雪のように見える山肌をヘリが映した。紙、塗料、陶磁器の原料に混ぜ白色を出すタルクの採取場。昔は日本でもてんかふ添加粉)などと呼び、夏、子供のアセモ除けに使った。エコール・ド・パリの画家「藤田嗣治」もあの「偉大なる白」を絵の具にタルクを混ぜて作った。ここだけでヨーロッパの半分、世界の30%の生産量だそうだ。

アリエージュ Ariège という名のこの地帯はまた、温泉が出る。洞穴が12もありTarascon4mtsegu 先史時代から人類の先祖が住んだ土地という。ところどころ小高い山の上に石で造った城塞が半ば崩れて残っている。中世の砦の跡だ。

5月のこのブログにも書いたモン・セギュールもそういった城塞のひとつ。

ゴールまで100kmのあたりから10人ほどが抜け出し、先頭のグループを作り始めた。後続集団と15秒ほどの差ができる。赤いユニフォームのカンチェララ、カヴェンデッシュ、サンチェスもいる。

差はたちまち開き、残り93kmでは1分9秒の差ができた。

暑さのためアスファルトがぐにゃぐにゃになって危険だ。ボトルのドリンクが無くなると手を挙げ伴走車に合図する。チーム・メイトの分までついでに受け取り腰のポケットに3個、フレームに2個と持てるだけ受け取る選手がいる。仲間を見つけると手渡してゆく。

食料と水の指定補給所では長いヒモのついた袋を受け取る。肩にたすき掛けにして走り、食品を齧り終わると袋を道路脇に捨てる。ボトルがポンポン横にはじけ飛んで投げ捨てられてゆく。

Tdfmontagne 残り82kmでは先頭と後続集団の差が2分30秒に開いた。8人に減っている。後続をリードするのは例によってASTANA チーム。力強い走りだ。そのうち先頭を捕まえるだろうと期待が強まる。

最後の峠の登り坂が勝負だった。5%の傾斜で始まり最高8%の急勾配。頂上を越えれば、あとはゴールまで下りで、ここで先頭を捕まえておかなければ後では手遅れになる。

残り54kmで先頭の一人が飛び出し、固まりが乱れた。フランスのサンデ・カザールがスパートをかける。続いて、スペインのアスタルローザ、ルイス・サンチェス、ウラジミール・エフィンケン。先頭は4人に絞られた。

後続のASTANAを先頭とする集団が激しく追い上げ差は1分16秒まで縮まった。しかし登りで4人を捕えることはできなかった。先頭の4人はもの凄いスピードで坂を下り始めている。

残り3kmでサン・ジロンの町に入った。もう勝負は先頭の4人に決まった。後続の選手たちは、追い込みを諦めリラックスして走っている。4人のひとり、ウラジミール・エフィンケンが飛びSanchez1 出し、サンデ・カザールとルイス・サンチェスが追う。

残り100mでエフィンケンを抜いたサンデ・カザールが勝ったと思われた。だが二番手のルイス・サンチェスがフィニッシュ10m手前でカザールを抜き区間優勝を奪い取った。

負けたカザールはインタヴューで語った。エフィンケンに気を取られすぎ、最後のダッシュのタTdfarrive イミングを誤った。早くかけすぎたのが、失敗のもとだった。フィニッシュ・ラインを探したが見えず、残り200mかと思ってダッシュしたが、まだ300mあった。あと10mで息が切れ、サンチェスに抜かれてしまった、と悔しそうだった。

レースは恐ろしい。176kmもあるコースで最後の詰め、たったの10mが勝敗を決めたのだ。

個人とチームの総合順位は昨日と変わらず。ポイントでノルウエーのトール・ヒショヴォが117点でトップに立った。山岳賞にフランスのクリストフ・ケルン。日本の別府は154位、新城は159位でトップとの差を、それぞれ58'41" と 59'42"と縮めた。

つぎの5月のモン・セギュールについての記事も是非ご覧ください。
http://sorintei.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/--5dae.html

http://sorintei.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/--df47.html

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2009年7月11日 (土)

若さの勝利:トウール・ド・フランス7日目

昨日のブログに「ローランの歌」のモデルとなった戦場ロンスヴォーRoncevaux がジロナGironaの近くと書いたが、調べてみると同じピレネー山中でRoncevaux1copy、大西洋側、パンプローナに近いことが分かった。

現在も人口100人ほどの小さな同名の村がある。

7日目のコースはバルセロナ〜アンドラ・アルカリス224km。距離で最長、標高でもゴールのアルカリスは2240mもある。そこまで自転車で登るのだ。

アンドラは面積400km足らずの小王国でカタロニア語を正規の国語としている。7月でも雪が残り、冬はスキー場として賑わう。関税がほとんど課せられず酒類が安いため買い物客に親しまれている。

このブログに3回に渡って連載した「カタリ派について」の最後の舞台:モンセギュールはアンドラに近い。興味ある方は以下もご覧ください。
http://sorintei.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/--5dae.html
http://sorintei.cocolog-nifty.com/blog/2009/05/--df47.html

Andorre2copyール・ド・フランスでは上り勾配がきつい順に1から4のカテゴリーに分けているが、今日のコースの最後、アンドラ・ヴィエイユから山頂のアンドラ・アルカリスまでの勾配はカテゴリーにも入らず特級扱い。

ゴールまで10kmから道は勾配が7から8%のつづれ折の急勾配となり、最後の1kmはほぼ真っ直ぐだが6%の勾配が続く

バルセロナでのスタートは昨日までのレースで転倒し骨折した選手が出たので出場者の数は177人と減った。

残り52kmの地点で9人が先頭を切り、後続集団との差は12分11秒。先頭グループはフランス人3人、スペイン人2人、イタリー人・・・。

残り30kmでアンドラの国境をくぐる。先頭と後続集団との差は10分57秒に縮まった。ここらからきつい勾配が始まる。残り16kmの地点でゴールとの標高差は1000m。平均6%の勾配を登らねばならない。どの選手も自転車を左右に揺り脚に体重を掛けペダルを踏み込む。自転車で登坂の独特のスタイルだ。Conta1

ついに残り10km、最後のつづら折りの坂道に差し掛かった。先頭と後続との差は 6分34秒に縮まった。先頭グループは6人に減り、後続集団も2つに割れた。第二グループは約30人。黄シャツのカンチェレラもそこにいる。アームストロング、コンタドールのふたりを中心にASTANA チームが直線となり引っ張っている。 

残り5.7kmで先頭グループの6人からブルーのチームウェアの胸をはだけたフェイユ(仏)が抜け出す。一方、第二グループに居た個人総合一位の黄シャツのカンチェレラが遅れ始めた。

初出場のアルザス出身、若干23歳のブリース・フェイユの区間優勝が決まったのはその数分後。ASTANA チームのコンタドールとアームストロングは並んで走りながら言葉を交わし、やがてコンタドールが飛び出していった。

結果はブリース・フェイユが逃げ切った。タイムは6時間11分31秒。ひとり抜け出してつづら折りの坂、続く1キロの登りをリズム良く漕いだブリースは勝つと信じて走ったという。身長が188cmもある痩せたノッポ型の青年だ。兄も出場していて、インタヴューの場に駆けつけ、弟は頭ひとつ俺より高いくせに山に強いんだ。勝つと信じていたと涙を流し喜んだ。

個人総合の順位が変わった。一位はイタリアのリナルド・ノチェンチニ( Rinaldo NOCENTINI)。6秒遅れで2位がコンタドール(スペイン)。アームストロングは3位に後退。

Pyrenee1 チーム総合の順位も変わった。一位はASTANA と変わらないが、2位がフランスの AG2R-LA MONDIALE。一位との差は1分48秒。3位がUSA, Columbiaで一位との差は4分42秒。

日本選手の総合順位も入れ替わった。別府が156位。新城は161位に。ポイントでは新城が30点で19位。別府は18点で43位。

区間優勝のブリース・フェイユは敢闘賞も獲得した。


山岳賞をフランスが独占した。1.Brice Feillu  2. Christophe RIBLON
3. Christophe KERN の順。

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2009年7月10日 (金)

逃げ切りならず - トウール・ド・フランス6日目

投稿者:そうりん亭ジャーナル 「りゅーらる」 :http://www.sorintei.com

トウール・ド・フランス6日目はスペインへ移動して ジロナ〜バルセロナ間181.5km。

Skakashi4c_2 レース展開と結果に入る前に、サンファルジョーのそうりん亭の隣の庭にできた歓迎の人形の写真をどうぞ。あ!それと、最初の記事で
この町へゴールする日を7月14日の革命記念日と書いてしまったが、これは翌日15日の誤りと判明したので、お詫びして訂正します。

さて今日のレースはカタロニア地方。
ジロナGirona はピレネー山脈が地中海へ落ち込む直前のまだ山の中の町。西暦778年のロンスヴォーの戦いはこの近くで起こった。このブログに連載中の「アーサー王伝説」とも関係があるので少しだけ触れる。

フランス文学の古典中の古典「ローランの歌」は、
Chanson_de_roland1 ンスヴォーの戦いをモデルにしている。フランク帝国の皇帝シャルルマーニュとサラセンとの戦いの叙事詩。実際はバスク人との戦いだったが、当時の十字軍を鼓舞するためにキリスト教徒のフランク帝国とイスラム教徒との戦いに作り替えられた。

2001年9月11日のテロとの戦いはニューヨークだったが、
8世紀のキリスト教徒のイスラムとの戦いはここピレネーで行われた。

ジロナはフランク帝国のイスラム防衛線の砦だった。


「ローランの歌」は中世の騎士道精神を示す典型として
「アーサー王伝説」と並ぶ西欧武勲詩の代表。

さらに言えば、
ヨーロッパ大陸でのシャルルマーニュ(カール)大帝の人気は絶大で、それを支える文学的作品に、「ローランの歌」があった。英国王朝の大陸への進出に他ならないプランタジネット王朝が、シャルルマーニュに対抗し、自らの王朝の正当性と権威を集らしめる為に「ローランの歌」に並ぶ武勲詩を持つ必要があった。実は、「アーサー王伝説」はそういった政治的必要に迫られて民間伝説を英雄譚に集大成、編集し直したというのが通説となっている。

Chansonderoland2ronsvaux シャルルマーニュの甥のブルターニュ伯ローランはイスラム軍との和平を受け入れ撤退を開始した
シャルルマーニュ軍の殿(しんがり)を務めるが、味方の裏切りに合いロンスヴォーで敵の大群に囲まれる。

角笛を
吹き鳴らして味方に知らせれば救われたのだがローランの気位が許さず、最後まで敵と闘い、絶命寸前に鳴らす。

ここにも名剣が出てくる。敵に奪われぬよう名剣ランダルをローランは岩に叩きつけるが剣は折れずローランは絶命する。

味方が駆け戻った時、12人の騎士全員とローランは敵の刃に倒れた後だった。

さて、レースの経過。今日のコースは、少し山に入ったジロナからまず海岸へ下る。山は最高で159m。さほど高くはないが上り下りの連続で厳しいレース。

海岸へ出る。この辺はコスタ・ブラバと呼ばれトッサ・ド・マールなど海水浴場が連なっている。ダリ、ミロ、ピカソ。20世紀前半の偉大な画家を3人、この土地が生みだした。

ダリが晩年を恋人のガラと暮らし絵を描き続けた小さな港町カダケスは岬にある。

179人の選手がジロナをスタートした時はゴールのバルセロナはどしゃ降りだった。まもなく、どしゃ降りは止み、バルセロナ郊外までは薄日も差し道は乾いていた。が、ゴールまであと40kmほどで雨が選手たちの顔を濡らし始めた。

先頭を4人が後続集団と1分14秒の差をつけて走る。フランス人2人。バスク人ツルカ。スコットランド人のダヴィッド・ミラーの4人は残り20km地点まで一緒だった。

しかし、昨日と似て、ダヴィッド・ミラーが一人突然スパートした。後続集団との差をぐんぐん広げてゆく。

雨で濡れた道路、特に白いペイントを横切る時は危険だ。それでなくてもこの地帯は松が多く松葉が道路表面を滑りやすくしていると解説していた。

残り10kmのところで4・5人が転倒した。 「アラシロ」と日本人の名前が上がった。

残り8km。バルセロナの市街に入ってからも10人ばかりが集団で転倒。スプリンターで今日の優勝候補だったベルギー人が倒れた。

残り2km。正面に壮大なパレスと噴水が見える巾50mもあるバルセロナ中心街の道路に入るや、チームを立て直した後続集団が一気に押し寄せ、先頭のダヴィッド・ミラーはたちまち捉まった。

最後の100mで、4番目を走っていたノルウエー人のトール・ユショフが力強くダッシュし首位を奪った。10位までが4時間21分33秒の同タイム。

バルセロナは人口150万。沿道は両側とも凄い人垣で大きな声援がCatalan挙がる。道に飛び出して自転車と一緒に駆けだす若者もいる。
地元のスペイン 人が健闘したが2・3着に終わった。

20km地点から最後2kmまで独り奮闘したダヴィッド・ミラーには敢闘賞が贈られた。

個人総合順位の首位3人は変わらず。新城は152位、トップとの差は13分44秒。別府は166位でトップとの差が17分49秒

チーム順位はASTANA, SAXO BANK, Columbia。

ポイントではトップのガヴェンデイッシュが96点。新城は転倒がたたってか30点のまま18位に。別府は18点で37位。

明日は、ピレネー山中が戦場となる。

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2009年7月 9日 (木)

フランス人トマの逃げ切り - トウール・ド・フランス5日目

投稿者:「りゅ-らる」そうりん亭ジャーナル:http://www.sorintei.com

Shimano4
トウール・ド・フランス5日目は、地中海のル・キャップ・ダle Cap d'Agde からスペインの国境に近いペルピニャンまでの196.5km。

80km地点から抜け出した6人が先頭を切り、黄シャツ、緑シャツを着けた昨日までの優勝者の集団と差を維持している。差は1分から1分15秒。距離にして約1kmだ。

普通ならゴールまであと5kmの地点でパワーを残した
後続の実力者たちが一斉に追い上げをかけるのだが、今日はどうしたことか、あと4kmを過ぎても先頭の6人との差が縮まない。

逆に6人のうち淡いブルー(新城が属するBBOX Bouygues Telecom )のチームウエアーを着た選手が、残り2.5
kmの地点で突然、猛烈なスパートをかけ、それまで後になり先になりして一緒に走っていた5人を置き去りにした。

解説者はフランス人なので、ここでスパートをかけて大丈夫か?最後まで持たBouyg な いのでは?と
無謀な賭けを批判していたが、ゴールラインが見えて来ても他の選手が遥か遠くなのを見て、初のフランス人の勝利を祝福した。

選手の名はトマ・ヴクレール。フランス・チャンピオンになったこともある。
ゴールライン手前50mほどで後ろを振り返り、誰もいないことが信じられないというように何度も首をかしげていた。

インタヴューでは実際その時まで自分がトップでゴールするとは信じられなかった。てっきり直前で抜かれると思って走ったと言っていた。昨日のタイム・レースで実力者の選手たちも疲れたのだろうと解説者はいう。

トマのタイムは4時間29分35秒。
2位から10位までが同タイム!トマとの差は7秒もあった。

個人総合の順位は変わらずトップがカンチェレラ、アームストロング、コンタドールと続く。

日本の新城の順位は個人総合で139位。別府は150位。
Shimano3 しかしポイント順位は
新城が30ポイントでなんと12位だ。
別府は18ポイントで27位。

チーム順位は一位は昨日健闘したASTANA チーム(カザクスタン)。2位はデンマークのTEAMSAXO BANK。
3位 Columbia-HTC(米)。
4位 GARMIN-SLIPSTREAM (米)。
5位が LIQUIGAS(イタリー)。
開催国のフランスは最高がCOFIDIS で8位。
今日優勝したトマ
と新城が属するBBOX Bouygues Telecomは19位という成績。

ずっと先頭を守っていた6人の中には SHIMANO のユニフォームを着た選手がいた。明日はスペインへ移動してジェロナ〜バルセロナだ。

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