文化・芸術

2008年4月24日 (木)

直線と自然の線

この地方の家の屋根には軽い「そり]があります。雨が多く勾配が急な瓦屋根はどっしりした重厚感があります。直線に軽い「そり」を持たせ軽快感与える。そんな審美感が「そり」を生んだのだろうと理解していますが、ご専門の方で「屋根のそり」は何故出来たかご存知の方は教えて下さい。Photo_2

ギリシャのパルテノン神殿の柱は真っ直ぐでなく、軽いふくらみを持っている。エンタシスです。14・5歳の頃、このエンタシスが遠く大陸を渡り朝鮮半島を経て奈良の法隆寺まで伝わったと知ったとき大変な感動を覚えました。柱にはふくらみを持たせた方が遠目にはより真っ直ぐ美しく見える。古代から神殿や伽藍を建立した建築家たちは、人間の審美感の秘密を知っていたのでした。

村や町は郊外に発展し広がってゆく。スプロール的にという言葉は無計画にどんどん都市が広がってゆく様を示すらしいですが、ふつう自然に出来た町は道は曲がり屋並みが複雑に入り組んでいます。ある道を進むとどこへ辿り着くかわからず、思いがけない処へ出たりしてそれがおもしろい。様々な形態の家が好き勝手な方向を向いて見通しを遮っています。

19世紀までのパリもそうした街でした。とりわけシテ島を囲む古い界隈は。そこに都市計画の大ナタを振るったのが、オスマン男爵でした。ルイ・ナポレオン・ボナパルト(皇帝ナポレオン3世)の下でセーヌ県の知事だったオスマンはアルファン、ベルグランなどエンジニアの協力を得て、パリの衛生面と美的改善の大計画に着手します。いたるところに公園、下水道、貯水池を作り、真っ直ぐで幅の広いグランド・アヴェニュを通します。むろん複雑に入り組んだ古い界隈の家は壊されました。

シャンゼリゼ、オペラ、リヴォリなど直線の大通りを中心に整然とした街並みがパリを華の都に変貌させます。パースペクテイヴの利いた都市美が確かに生まれました。道が直角に交差するニューヨークと違って放射状に広がっています。

第二帝政時代のフランスは産業経済が活気に満ち植民地を広げるなど大発展時代だったので、金に糸目をつけずこのプロジェクトに膨大な予算を注ぎ込みます。オスマンの途方もない会計と批判され、終には失脚するのですが、都市計画を施されたパリは残ります。

19世紀のパリは1830年の7月革命、1848年の2月革命、1851年12月のクーデタと革命や反乱が相次いだ時代でした。ナポレオン3世とオスマンがパリの都市計画を強力に推し進めた真の意図は美観もさることながら、政治的な理由だったと言われています。革命家や暴徒の巣窟だった古い界隈を取り壊し、バリケードを築いても軍隊が鎮圧し易いように見通しの良い幅の広いアヴェニュを作ったのでした。

余談ながら、このナポレオン3世は最後に普仏戦争でプロシヤの捕虜になってしまいます。幕末の日本でフランスは幕府を支持し、徳川慶喜にナポレオン3世のように皇帝になったら良いなどとアドバイスし、軍資金の援助まで約束します。当てにした小栗上野介はフランスに使者を派遣しますが、使者が着いた時には、ナポレオン3世は捕虜になり、プロシヤ軍がパリ近郊まで攻めよせていた時で、徳川どころではなくなっていました。パリ・コンミューンが起こります。騒乱のパリで帰りの旅費も持たずに来た使者は途方に暮れたことでしょう。薩長を支持した英国と明治以後日本はビジネスで関係を深めて行き、フランスはどうも口先だけで当てにならんという悪評はこのあたりに淵源を発しているようです。

少し脇道に逸れました。オスマンのおかげでルーヴルのカルーゼル凱旋門からコンコルド広場のオベリスク、エトワール広場の凱旋門。さらにミッテランの時代にデファンスのアーチを結ぶ、距離にしておよそ5キロほどの直線のパースペクテイヴが実現しました。

都市計画の中心は直線です。平城京、平安京がモデルとした、唐の長安も碁盤目の都でした。スプロール的に成り成りになって出来た街ではなく、人間の意志が関与した、意識の中で設計されたコンセプトに基づいて作られた街です。

ここで、ちょっとだけ飛躍をお許しください。直線というとどうしても幾何の公理を思い出してしまうのです。「点とは位置だけあって大きさがない。点と点を結ぶのが直線で、直線とは距離だけあって幅がない」というのがユークリッド幾何学の公理です。

高校へ入学していきなりこの「公理」に出会った少年は、それまで先生の言うことはすべて真理として鵜呑みにしていたのに、どう魔がさしたのか、ちらとこの「公理」に疑いを挟んだのでした。「大きさのない点」だって?「幅のない直線?」「いったいそんなものが現実にありうるだろうか?」というのがこの少年が生まれて初めて抱いた「みんなが認めていること」に対しての大胆な疑問でした。すこし小説仕立てにしてみましょうか。

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「大きさのない点なんてありえない。幅のない線なんて引けない。そういう疑問が突然わいてサ。おもいきってガニハチに質問したんだ。そしたら、それは、キミ、愚問だよ、っていいやがんの。ひとがまじめに考えて訊いてんのによ。バカにしてやがんだ。」
「それは、ちょっと。考えすぎってやつじゃないかな。」
「でもさ、じっさい、大きさも、面積も、長さもなくって、位置がしめせる?なにもないってことは空、虚無ってことで位置がどこだかわかんないじゃないか。虚無と虚無を結ぶ線は無限に引ける。あるいは、まったく引けない。その、どっちかじゃないのかな。」
「幾何の公理の点とか線とかは、抽象的なもんなんだ。じっさいに点と線を紙や黒板に描くのとはわけがちがう。と、いうか、じっさいの点や線を抽象化したもんなんだな。わかる?抽象化って。」
僕自身、言いながら、弟の言ったことを省みて、なるほど、そういう考え方もできるな、ひょっとして賢二の考えは数学史上の大発見につながるかもしれないな、などと、ちらっと考えもした。だが、公理というのは、そもそも、それ以上、証明も議論もしようのないことを、これは、こういうことにすると出発点で決めてしまうためにある。賢二の言い分は、やはり、難癖とか、屁理屈とか、いちゃもんに近い。
「オマエ、ちょっとへんなとこに、必要いじょうに厳密で正確な考えをあてはめようとしてるんじゃないの?公理は、いろいろ、ごちゃごちゃ、言っても、決まりがつかないから、こうする、こういうことにするって決める、キメゴトなんだぜ。紀元前三百年ごろ、ギリシャのユークリッドが、そう決めてから、だれも疑問をさしはさまなかった、疑問をさしはさむ余地のないもんなんだ。」
「でもサ。点て、この、まるポチのことだろ。線て、すうっと、まっすぐな線。いちばん硬い芯の鉛筆で、できるだけ芯をとんがらせて引いても太さはできるよ。」
賢二は手にした鉛筆で空中に線を引いた。
「太さがあるのは、だから現実の線。いま、空中に引いた線にはないだろ、太さが…。想像の線なんだから。公理で決める線は、あたまの中だけに存在するって考えたらいい。つまり、イデアなんだ。」

その晩は、親父が出張から帰ってきて、久しぶりに家族揃っての夕食となった。そこでも賢二は、まだ心残りらしく、幾何の公理への疑問をもちだした。
「そりゃあ、オマエの質問のほうがオカシイ。あげ足とりというか、ヘリクツだね。」
 オヤジはタンブラーの水割りをステイックでゆっくり掻きまわしながら、賢二の疑問を冷たく切って捨てた。
 「じゃあ、つぎの条件を満たす直線を引けって問題が出たときに、答えの直線に幅ができたら公理に反することになるよね。だれも正解を書けないってことじゃないか。」
 親父にやり返す賢二に、さすがに理屈小僧だと僕は感心した。
 「ぼくはいままで真理っていうのは現実と対応するもんだと思ってたよ。ニュートンの法則だって、アルキメデスの定理だって現実にそのとおりだから真理なんでしょ。存在しえないことを公理にするなんてウソを前提におくようなもんじゃないのか。」
「現実にはありえないかもしれないが、こういうものとすると決めることが公理なんだ。」
オヤジは今度は大きなボールにお袋が山ほど作ったポテト・サラダを手皿に採りながら、ゆっくりと話しだした。
「ギリシャ以来、人類が認めてきた数学だ。オマエのちょっとしたヘリクツなんかで公理がくつがえるわけがない。先生だって、いちいち取りあげてられんから愚問とかたづけたんだろうよ。公理というのは現実の点や線を抽象化したもんなんだ。ケンジももう高校生になったんだから抽象的思考ということができてもいいころだな。理屈をこねまわさないで、すなおに考えてごらん。現実にはありえないようでも、頭のなかには大きさのない点、幅のない線が思い浮かべられるはずだよ。」
オヤジはポテト・サラダの固まりを器用に箸に乗せると大きな口を開けパクッと放り込んだ。

「人間はみな・・・」
モグモグとサラダを咀嚼する間、親父の言葉が途切れた。
「イデアというものを持っている。・・・」(モグモグ)
「理想とでも訳すのかな・・・。」
ゴクッと今度は大きく突き出たオヤジの咽喉仏が動いた。
「現実をこの理想に近づけようとする努力が人間の営みだ。工学の工の字は現実を示す下の線と理想を示す上の線とを結んでいる。」
賢二を親父は丸く開かれた両目で正面から見つめながら箸で空に工の字を書いた。
「これをやる仕事がエンジニアだな。」
 親父がこんなふうに出来の悪い息子に優しく説明を与え、自分の考えを子供に披露するのはめずらしいことだった。賢二は頭の中にイデアの点と線を思い浮かべようとしたらしかったが、ふたたび泣き笑いの顔を親父に向けて言った。
 「やっぱりわかんないよ。大きさや太さのない点と線なんて思い浮かべらんない。」

皿のトンカツにソースを掛けながら親父は続けた。
「それと、だ。オマエが疑問を持つこと自体はけっして悪いことじゃない。いままでは、学校の先生のいうなりにしてればよかった。けれども、思春期になると教科書や先生の言うことに疑問をもつ。親に反抗する。子供の純心さを脱して、自我というものが頭をもたげるんだね。思春期の自我の目覚め、反抗期というやつだ。ナマイキになるんだな。しかし、だれもが疑わずにいることを、ほんとうかと疑う精神、それはそれでたいへん重要なことだよ。
懐疑する心というのは科学の母胎でもある。ガリレオは太陽が地球を回るとだれでもが信じてることを疑ってかかった。ただ、なんにでも懐疑的ということは長い人生を生きてゆくうえで、つらいことだ。自分で自分の人生をむずかしくするんじゃないかと父さんは心配だよ。人生には、自分で頭を使って考えることはもちろんだが、あるていど世間がみとめてる決め事を受け入れなければ生きてゆけなくなることが沢山ある。また、決断しなければならないことがしばしばある。懐疑ばかりしていちゃあ決断はできないからね。」

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ケン坊、わかる?抽象的な思考・・・ずっと前にオヤジが言った。あんとき、ケン坊は点と線が想い浮かべられないって困ってたが。いまは、できるようになったのか?」
「まあね。点とは位置だけあって大きさが無い。位置は在る。大きさが無い。在ると無いだ。ぼくは、まず大きさの無い点なんて存在しえないと直感した。それを論理的に整理してみた。」
賢二が真顔になって話し始めた。これはちょっと静聴しないといけないなと僕は耳をかたむけた。
「まず、位置とは何か?空間でモノが占める場所だろ。モノというとすでに大きさを想定するから、いまは忘れて、とにかく場所だ。つまり、空間でのある広がり、大きさを前提としてる。だから、『位置がある』はいい。」
賢二は僕を見て頷いた。僕もつられて頷き返した。
「つぎに、大きさが無い。大きさが無いってことは無だろ。虚無だ。虚無は存在しないってことと同義だ。存在しないモノ、ここでモノというと矛盾があるから、虚無という。虚無によって位置は示せるだろうか?虚無とは何も無いことだから、位置も無い。つまり、虚無によって位置は示せない。大きさの無いモノで位置は示せない、となる。」
「ふうん。よく、そこまで考えたね。」
僕は感心したことを正直に表わした。
「で、やっぱり大きさのない点は考えられないってことなんだね。」
僕は念を押した。賢二は自分の懐疑を推し進めた。やはり意固地なんだ。
「そうだよ。ここまではまだ序の口さ。ぼくはまた、『位置だけあって大きさが無い』という表現が不正確なのかとも考えた。言い方をより正確にして『点とは、位置を示す、限りなく無に近いシルシ』と言い換えればすむのか?限りなく無、ゼロに近くてもゼロではなく在るのだから、『無い』とは違う。折衷的だけどちょっとだけマシかもしれない。大きさが無い、幅が無いというと、出発点が無になって幾何ぜんたいが虚しいものになるだろ。・・・
『無』とは何も無い虚無だ。虚無にゼロという名をつけて、〇という記号を与えた古代インド人はすごいね。
『在る』と『無い』は、今世紀のだいじな思想だよ。フランスに、ちびでスガ眼のサルトルという哲学者がいた。彼は思想をまとめて『存在と無』という本にした。五センチくらいもある部厚い本だよ。図書室でみつけて、最初のページだけ読んだけど、とても続けて読む気力はないって感じて棚に戻した。でも、彼は自分の思想を通俗化した小説を書いたんだ。『存在』について一生懸命考えてるロカンタンていう高校の教師がいる。ベンチに座って考考えれば考えるほどわからなくなって、そのうち目の前のマロニエの樹の根っこがゆがんで見えだすんだ。それで、吐き気を感じて『存在』というのは『吐き気』のことだって結論するのさ。『嘔吐』ってのがこの小説の題名だよ。」
ここで賢二ははじめて笑顔になって僕を見た。嘔吐という小説のことは僕も聞いたことがある。賢二はまだ続けた。
「はじめに言ったように、幾何の公理は二律背反の代表だ。在って無い。あるけど無い。無いけど在る。日本の憲法第九条みたいじゃないか。軍備は持たないけど自衛隊は在る。無いけど在る。在って無きがごとくが自衛隊である。
ぼくはサルトルのような、カントのような思弁をつきつめてゆく根気がない。けど、完全な体系として二千年以上にわたって学ばれてきた幾何の公理に矛盾があるって気がついた。日本国憲法も矛盾の見本だ。この世は矛盾だらけとみんな言うけど、ほんとだってわかった。それだけでも、考えた甲斐はあったよ。」
賢二が救われるのは、数学の反動として、文学や、美術、政治へと心を傾けていったことだった。
「おれはフランス文学が好きだけどね。カミユの異邦人。あれ、ちょっと、むずかしいだろ。まだ。」
「太陽がまぶしいからってアラブ人を殺しちゃう。なんか単純すぎるみたいけど。」
「あれも人間の不条理ってことの具象化なんだよ。ケン坊、ほんとにわかるの?抽象とか具象ってこと?」
 「わかるよ。絵でいえばクールベの絵が具象でピカソやマチスなんかの絵が抽象画ってんだろ。ピカソが描いた肖像画あるよね。ぼく、退屈な授業のあいまに女の子の顔を観察するんだ。じっさいあんなふうに見えるよ。好きなコの、前から見た顔と横から見た顔をくっつけるとピカソになっちゃうんだ。」
 「ケン坊、好きなコがいるのか?」
 「まあね・・・。」と賢二は口許に恥じらいを浮かべて眼を伏せた。
「ピカソの絵はぼくの趣味に合わない。女性像なら、ボッチチェルリみたいのが好きだ。すなおに美しいって感じるもん。」賢二がニキビ面をほころばして言った。
「ヴィーナスの誕生な。そうか。やっぱり絵も具象じゃないとだめなのか。抽象的なイメージは好きじゃないんだな。モンドリアンとか、カンデインスキーとか。」
「モンドリアンはつまらない。カンデインスキーは色彩がきれいだし、形もおもしろいけどね。現代画家じゃあ、モジリアニがいいな。ボッチチェルリを思わせるとこがあるし。色がいいだろう。人物の顔や姿が感情をかきたててくれるもん。ぼく、点と線のイデアはもてなくても、女性の理想像は心に描けるよ。」
「はっはは。イデアがもてる、もてないは、対象によるってわけだ。」
僕は賢二が膝に置いたままの本を手にとって表題を読んだ。
 「エル・ハジ。縛られたプロメテ。むずかしそうだね。えっ、これ・・・。ホウトウ?ホウトウ・ムスコって読むのか?」
 「ふふ。ぼくが、いまなりかけてる。放蕩息子。」
 賢二は口の端に自己卑下のゆがんだ笑いを浮かべて、ホウトウをゆっくり発音した。こんな表情の弟を見るのは初めてだった。賢二はいつも模範生で無邪気な笑顔を浮かべ、だれからも可愛いがられていた。この時は、まだどことない純情さが漂ってはいるものの、なにか初めて作る自己卑下の表情を楽しんでいるようなところがあった。
 「よっぽど文学に凝ってんだね。図書室に通いつめてるようだけど。」
 もと新聞部員の僕には情報がどこからともなく入ってきて、校友誌のコラム欄の担当に、図書の借り出し数が一番多いという理由で賢二が選ばれたことを知っていた。
 「冬の図書室はガスストーヴに暖められた本がいい匂いをたてるんだ。」
 弟は本の匂いに何かを嗅ぎ取り、それに引き寄せられて図書室に通うのかも知れなかった。今になって僕が思うに、賢二はこの時すでにのちの彼の青春を決定づけるあることを漠然と胸の底に感じていたのではないか。この時の賢二が、言葉を探りながら洩らした言葉を僕は忘れないでいるのだ。
 「このジイド全集の装丁、いいだろう。きょう、昼休みに、図書室でこれを手にとったとき、なにか遠い異郷への憧れみたいなものがこみあげてさ。なんてったらいいか。そう、たとえば、グラスに入った赤ぶどう酒の透明なルビー色・・・。そういう赤がはっきりと眼にうかんだんだ。・・・それと、たとえば、いつか外国へ行って教会のステンドグラス・・・、赤や青や緑の焼き絵ガラスを見たとしたら、きっとこんな感じにとらわれるんじゃないかって・・・。気高いものにたいしての崇敬の念、ていうのかな。胸がしめつけられて、厳粛な気持ち。そんなものを感じたんだ。それでこの丘のチャペルを思い出したってわけさ。このチャペルは、いっちゃわるいが、おもちゃみたいで、こっけいだけどさ。まあ、それなりに西欧の雰囲気は味わえるからね。この本を、ここへ来て読んだらいいだろうなって思うと、待ちきれなくなって・・・。ガニハチの授業、すっぽかしちゃったんだ。」
 脇に並んで腰を降ろした甲斐があった。賢二は、本の装丁にかこつけて、ここにいる理由を朴訥に打ち明けたからである。確かに、その本は淡いベージュの手触りが柔らかな紙のカバーに赤と青の繊細な唐草模様が施してあり、手にとっただけで、遠い西欧への憧れが僕の胸にも湧き上がってくるのだった。

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「われ思う。故にわれ在り。」デカルトの有名なテーゼですが、ほんのチラと浮かんだ疑問に捕えられ、受験に大切な数学を、毛嫌いしてしまった少年賢二は、父親が予想した通り、その後の人生をかなり辛い思いをしながら生きねばなりませんでした。「自分で考えた」ことだったから、少年には、多少その考えが的外れだったとしても、重大に思え拘泥したのでしょう。

「人間は考える葦である。」と言ったのはデカルトと同時代人のパスカルでした。神が居るか居ないか、証明はできない。居るか居ないかわからないなら、居る方へ賭けよう、と賭けの論理で神を信じる方を選んだのもパスカルでした。

これに対してデカルトは懐疑主義を貫いたと思います。「神が居るか居ないかわからない。世界の根源が精神か物質か、わからない。が、確かなのは、私が考えている、ということだ。だから、その確かなことから出発しよう。」それが、このコギト・エルゴ・スムの意味するところだったと思います。パスカルは信仰に入り、デカルトはあくまで哲学者として考え続ける道を選びました。

デカルトは近代合理主義の父のように扱われ、物質世界を分析し、原子物理学や量子力学など現代科学の発展の基になった考えを築きました。歳をとってから賢二もデカルトが始めた解析幾何学をもっとやっとけば良かったと後悔しています。

東洋には「身心一如」といういい言葉があります。デカルトのコギトは西洋で発展し過ぎて、何事もエゴが第一でなければ始まらないような近代を生み出してしまいました。人間の意識が外界である自然を対立物と見做し、これを分析して終いには人間の意志に従わせようという方向へ行ってしまいました。

しかし20世紀にはいって、西洋の思想家たちも、近代合理主義の行き過ぎを反省し、アマゾンの原始林に住む未開民族の研究から、人類学などが生まれました。遠くインデイアンやマオイの血を引くわれわれ日本人は、意識が肥大化するまえに、われわれは考えるから在るのではなく、肉体的にまず在るから考えるのだと本能的に知っています。

ただ、デカルトを擁護するために、彼は人間機械論を主張したのではなくて、「わからないことには手をつけずにおこう」というごく謙虚な立場をとっただけでした。物質は大きさがあって眼に見え分割できるから物質と空間を対象に思考を重ねたのでした。デカルトからロックへと受け継がれた、近代合理主義の流れは、デモクリトス以来の唯物論と見做されてしまいます。人間が唯物論では満足できないことは、ソ連の崩壊などで歴史が証明したとおりです。唯物論というイデオロギーは、その主張とは逆に極めて形而上的で精神的な哲学だと思います。未来の理想社会のために自己に犠牲を強いることは人間の極めて精神的な行為です。日本の神風特攻隊の悲劇と共通するところがあるように思います。

パリの都市計画からとんでもない方向へ発展してしまいましたが、都市と田舎を比較するこのブログのテーマに戻るならば、都市を作る基本は直線であり、自然の線は不定型なものだ。自然のなかで人間の作った構築物だけが水平や垂直方向の直線を描いていると言えると思います。田舎に住むとこのことが明瞭にわかります。

ニューヨークの市街はこの直線の極端な例だし、ブロードウェイ・ブギウギと題されたモンドリアンの抽象画も直線で描かれています。筆の個性的なタッチが見え、すぐにモネとわかる印象派の絵と比べてどちらにより親しみを覚えるでしょうか? 田舎に魅力を感じる方は是非、ホームページ: http://www.sorintei.com をご覧ください。

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