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2009年5月25日 (月)

七人の侍とエクスカリバー

投稿者:叢林亭:http://www.sorintei.com

黒沢明監督の「七人の侍」ほどフランスで評価の高い日本の映画はない。大抵のフKuro2 ランス人は知っている。むろん年齢が高まるほど。ボクがパリへ着いた当時、出会うフランスの若者のほとんどが「セット・サムライ」はいい。クロサワはすごいと一様に口にした。

むろんボクも見ていたが、なぜフランス人が「七人の侍」をここまで激賞するのかがわからなかった。後になってDVDで見直し、なるほどと納得がいった。むろん、あの戦闘場面の映像のダイナミスム。雨の中、泥まみれの戦いの迫力。それだけでも若い男の児を惹きつけるに十分だ。

だが、それだけではない。と多少なりとも世の中の仕組みや思想というものについて自分なりの考えをするような年代に達していたボクは悟ったのだった。これは「優れて思想的な映画である」と。

戦後のある時代、日本は労働運動、学生運動が盛んだった時代があった。若い皆さん方には遠い昔の話としか思えないだろうが、ボクらが若者の頃は、それこそ生き方、人生を左右する問題だった。

「労学提携」という言葉に聞き覚えのあるお年寄りは居られると思う。その後の1960年代後半から70年代にかけては中国で文化大革命と呼ばれる嵐が吹きまくった。インテリは眼鏡を掛けているだけでブルジョワ不良分子と見做されツルシアゲを食い、自己批判を迫られ、首枷をはめられて曝しものにされた。

学生は農民の苦労を知るべきであると学業を強制的に中断させられ農村へ送られた。結果は、農民は半可通の指導者に泥を固めた高炉を作り、鉄鉱石を入れて使い物にならない鉄を大量に作り、その間、実っていた穀物の収穫もせず、腐らせてしまい、食糧不足から大飢饉となり大量の餓死者を生んだ。

知識人は労働者・農民に加担し、ともに労苦からの解放のために闘うべきである。戦後のアメリカやフランスの知識人たちはこう主張した。サルトルもその一人だった。

戦国時代、農民が盗賊と化した野武士の襲撃に収穫もすべて強奪され苦しんでいる。どうにかしてください。お武家さま。助けて下さい。と一人の武士が救いを求められる。貧乏百姓に味方したところで武士にとってなんの得もない。むろん助けた暁には多少のお礼を百姓はするだろうが、命の危険の方が大きい。

しかし、「なんのためのサムライか?」と良心に自問する侍がいる。侍は本来、誰かを守るために戦闘訓練を積んできた。武器を持たぬ百姓が野武士に襲われ困っているなら助けるのが侍の本分、使命ではないか?だが、武士の中にも本当の武士は少ない。

Kuro3sept 浪人して食い詰めた侍のリクルートが始まる。野武士は大勢で攻めてくるので、守る侍の一人一人の力量がものをいう。剣術にも長け、とっさの判断ができ、ユニークな侍でなければ、団結してかかっても勝つ見込みはない。こうして七人の侍が選ばれる。

最年長の侍を志村喬が演じている。小柄ながらがっしりと肉が締り、腰にさした刀を左手で押さえながら腰を据えて走る姿は見事だ。サムライとしては最下層かもしれないが優れた知性と戦略能力を持つ。

クロサワの「7 Samurais」こそ、「士」と「農」という階級の差を越え、悪しき野武士を相手に共に戦う連帯の姿。「働く者」に加担し、命すらも捧げる知識人の悲しくも潔い姿を描ききった傑作といえないだろうか。

労使の利害をめぐっていまだに対立の絶えないフランス社会に育った青年に、猶のこと、知識人の本来的姿を映像に描ききった黒沢の映画が感動を与えるのは故なきことではない。

黒沢監督35歳の時、1946年公開の作品に「我が青春に悔いなし」というのがある。1933年に起きた京大滝川事件と1944年のゾルゲ事件に着想を得ているという。

京大事件というのは京都大学法学部の滝川幸辰教授が中央大学法学部で行った講演「復活をとおしてみたるトルストイの刑法観」の内容が無政府主義的として文部省と司法省内で問題化したことに端を発する。

滝川(京大)事件は軍国主義の道を突き進んでいた当時の日本の権力が、共産党、マルクス主義の嫌疑のみならず自由主義、リベラルな思想内容で国を批判する知識人たちへ弾圧を開始した事件として特色がある。

黒沢監督の映画は、滝川事件にゾルゲ事件という歴史的には関係の無いスパイ事件に着想を得て作られているが、若き日の監督が既にこうした思想的なテーマを映像によって表現しようと志していたことを知った時、ボクは「七人の侍」というウエスタンにもパロデイー化された大衆的作品に思想的背景を見たのもまんざら的外れではないと思った。

さて、肝心の「七人の侍」に戻る。多勢に無勢、いくら剣術の達人でも、集団で攻めてくる野武士との戦いにほとんどの侍は命を落とす。最後に残ったのは指導者の志村喬と村の百姓の娘と恋に落ちた若者と一人の侍だけである。戦い終わり、侍を捨てて百姓になる若者を残し去ってゆく侍二人が投げる視線の先は・・・、土饅頭に刀が突き立てられた侍たちの墓である。

刀を墓標がわりに突き立てた土饅頭の侍の墓。そのイメージは、ずっと後になってフランスで「エクスカリバー」「メルラン」「キャメロット」など「アーサー王伝説」を下敷きとした映画を見るたびに、ボクの脳裏で重なっていった。

岩に突き刺さった剣「エクスカリバー」。この剣を抜く者だけが「王」として冠を頂く者の正Excalibur2 真正銘の生まれを証明する。どの騎士が試しても抜けない剣をするりと抜くのは厩番のアーサーである。

岩に突き刺さった剣。土饅頭の墓に墓標がわりに突き立てられた刀。
シベリヤの果て日本海を隔てた日本列島と、ヨーロッパはフランスのブルターニュ半島と対岸の大ブリテン島の南半分。こんなにも隔たった場所で、形は似ていても二つのイメージに共通項などある筈がない。ずっとそう思っていた。

ところが、である。10年ほど前、本屋で立ち読みをしていて偶然見つけた本に、二つのイメージを繋げる回答が出ていた。れっきとした学者が、アーサー王伝説、西洋の騎士道の起源が中央アジアにあるという学説を本にして発表していたのだった。

次回には、段ボール箱にしまってあるその本を見つけ出し、著者名など記せるよう少しお時間をください。(つづく)

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