カテゴリー「趣味」の記事

2009年6月15日 (月)

陶芸まつり-19日にテキスト追加

レーシック 投資信託

投稿者:そうりん亭ジャーナル「りゅーらる」:http://www.sorintei.com

昨日、6月14日は、ここから10km離れた隣村、サン・ソヴール(Saint-Sauveur)で陶芸祭りが開かれた。この村は、20世紀前半の女流作家コレットの生まれた村で、今も生家と記念館がある。

陶芸祭りが行われたのは、村の入り口にあるラ・バテイッス(La Batisse)という18世紀に造られた大きな窯を持つアトリエとその庭。時折しぐれが走る曇り空にかかわらず、週末を田舎で過ごす人たちで賑わった。

Sfetepotsgensc 日本の益子で開かれる「陶芸フェステイバル」とは比ぶべくもなく、実にこじんまりしたものだが、家族的な雰囲気があってとてもよかった。

若い陶芸家たちが創作陶器を並べたスタンドも5・6軒しかなく、不景気のせいで買う人は少ない。
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むしろ、子供たちが粘土をこねて遊ぶ体験コーナーだとか、中国人陶芸家の指導で、肉厚の大きな鉢を作る人たちの実演コーナーが面白かった。

右は若い女性陶芸家のスタンド      

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左は木立の間に緑の傘をかざしたもうひとつのスタンド





このあたりは北ブルゴーニュのピュイゼと呼ばれ、粘土が採れる。もちろん土器の製作は先史時代から、人類の最も古い制作活動のひとつで、クロマニヨン人の時代からあった。

この地域の陶器生産は14世紀から盛んになり16世紀には、パリや周Sfour1copy辺都市への陶器供給の主要な生産地として栄えた。最盛期は60を超す窯があったという。

右は18世紀に作られ史跡に指定されているラ・バテッスの平窯(登り窯と違って平 らな地面に造られfour couché と呼ばれている)。内部の壁の面はでこぼこで、分厚くかけた釉薬が焼け溶けてガラス状になっている。

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左の写真は、中国風の肉厚甕の制作に余念のない女性

 






16日にここまで書いたのだが、どうも写真の座りが悪いので、テキストを追加します。
クロマニヨン人の時代よりもっと遡ると、この辺は海の底だった。40kmほど東のヴェズレイの近くまで行くと、ヨンヌ川の畔には、5・60mほどの高さの岩がむき出しの崖が連なっている。石灰岩の崖で、1億5千万年前のジュラ紀に形成された。

このことは「めのお」のホームページの「近隣の見どころ」にもちらと触れた。
http://www.sorintei.com/Voisinage/voisin2.html

ヴェズレイの丘の下を流れているのはヨンヌ川の支流のキュール川で、アルシイ・シュル・キュールという場所に大きな鍾乳洞があって中を見学できる。太古にはこのあたりは温かい海の底でサンゴが大量に生息していた。付近にサンゴの化石が出土する。もちろん採集は禁じられている。

石灰石はサンゴの死骸が堆積して出来たものらしい。最近は地球の温暖化でサンゴの生態系が変わり死んでゆくサンゴがあちこちで観察されるという報道を目にするが、太古にも大がかりな気候の変化があったのだろう。

ブルゴーニュはこの石灰石でも有名なのだ。石材を今も切り出している石切り場がある。淡いグレーを基調として青味がかったのや赤みがかったのがある。建材として床に敷かれ珍重されている。

アートの世界では、この石はリトグラフの版として使われた。石版画と呼ばれる所以。最近は天然産が貴重になり合成の版に代わられているようだが、東京都が神奈川県に食い込んだ町田市にある「国際版画美術館」所属のアトリエには大小様々のサイズの石版が棚に並んでいる。天然産と見受けた。

話が跳んでしまったけれども、陶芸祭りで若いアーチストたちが、訪問客のいないスタンドの背後で所在なさそうにしているのを見て考えさせられた。不景気になると個人の創作活動など二の次にされてしまう。

お祭りの日には人出で賑わうが、普段はひっそりとしてさびれゆく一方の気配漂うこの田舎に、なんの縁があってか、引っ越して来た時、「村おこし」のようなことが出来ないかと考えたことがある。

最盛期には60近くあったこの地域の窯も、現在残っているのは2・3箇所しかない。20km離れたサンタマンSaint-Amandにはレンガ造りの窯が残っているが1960年代を最後に火が落とされた。

この辺の粘土は土器が作れる程度の品質かもしれないが、陶磁器といえばセラミック。ファインセラミックはハイテク産業。車のマフラーにも使われて排ガスの浄化にも役立っている。

調べてみるとファインセラミックは工業製品の中で最も高価な素材でグラムあたり何万円もする。それだけ設備投資が要る。工場も大規模になるのだろう。この辺の住人はあるいは、そうした産業化を欲していないのかもしれない。

昔ながらの製法の伝統工芸に人々は郷愁に似た愛情を覚えるのだろうか。個人がそこに付け加えることができるのは意匠、デザインくらいだろう。しかし、それでも現代社会の産業組織に異議を唱え、中世のギルドによる生産と消費の仕組みにこそ真の人間的な価値があったと信じる人は多い。

柳宗悦と濱田庄司は民芸の運動を起こした。柳宗悦は銘が入った有名陶芸家の作品よりも無名の職人たちが「分業」によって大量に作った昔の茶碗や皿にこそ本当の「美」があることを繰り返し主張している。

「民芸」運動についてはいつかまた触れたい。
以上が追加の記事です。

この日はアトリエも公開され、写真も自由に撮らせてくれた。

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祭りの日も制作に励む女性陶芸家がいた。


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2009年2月13日 (金)

笛1号ができた

投稿者: 叢林亭: http://www.sorintei.com

笛1号ができた。失敗!と投げ出すところだったが、ぎりぎりの危機一髪で救われた。笛の方から出来てくれたのだった。Shinobue2cadre 調律が不完全なので、完成とはいわない。

孔を大体開け終わった段階で、「ひび割れ!」を発見。ごく、小さな、表皮だけだが三か所、孔と孔の間の皮に細い線が走っていた。

昨年の試作の時に、割れたので、今度はマスキング・テープを貼り、切り出し小刀で少しずつ慎重に孔を大きくしていった。竹の径が太いので、孔はすべて唄口寄りに削った。7つの指孔全部と唄口を大体開け終わり、試しにチューナーで確認してみるとほぼ希望通りC音基調のドレミ音階になっていた。

シメシメ。ほくそ笑んだのも束の間、顔が引き攣った。マスキングテープを通して縦に鉛筆で引いた中心線と平行に、もう一本の縦線が見えるではないか。「もしや・・・。」テープを剥がしてみると、「やっぱり」。表皮に細いひび割れが入っていた。

切り出し小刀で削った。竹の繊維方向に削るときは、気持ちよく、すいすい削れる。だが、繊維と直角に刃を動かすと、カリリッと音がして、小刀の鋭い刃がこぼれる危惧を覚えた。そういう場面が数回あった。が、刃が毀れると思ったのは、間違いで、竹に亀裂が入っていたのだ。

Trouscadre 力を入れすぎたか?刃を立て過ぎたのか?寝かせて、繊維を斜めに切れば良かったと気がついたが後のまつり。

仕方なく、孔と孔の間を糸で巻くことにした。亀裂を広げない予防策で、見てくれが悪くなるし、音色も篠笛らしくなくなってしまうかもしれないが、背に腹は代えられない。糸巻きの練習と思ってやった。2号笛では藤を巻く積もりだ。

もともとの材料の竹が篠笛としては太すぎるので、糸を巻いた後の外観は能管、龍笛のようになった。第一号はかくして、篠笛と能管のハイブリッドになった。

以下、製作中で気がついたこと、失敗と諦めかけた笛がどうして鳴るようになったのかを箇条書きする。

① 一、二、三、四孔が小さすぎ形が悪いので小刀で削り直した。

Utakuchicadre_2 さらに、唄口の切り口がなめらかでなかったので、各指孔の仕上げと一緒にサンドペーパーを丸め孔の切り口を磨いた。絶対に触ってはいけない唄口を、うっかり、磨き過ぎて拡げてしまったのが失敗のもとだった。

② 糸を巻いた後、吹いてみると、せっかく鳴っていたのが、第四孔以下、まったく鳴らなくなった。

③ 管尻の長さが疑問だったので、約1.5cm切り落として短くした。しかし、多少鳴りが良くなった気がする程度で、大きな成果は得られなかった。

④歌口が大きいと音は大きくなるが息が沢山要り、低音が出しにくくなると集めた資料から知った。

⑤ いくら息を強く太く吹いても鳴らない。もう絶望的。第一号失敗!と諦めかけた。その時、shinobueno-tsukirukataのサイトの次の文を思い出し、もう一度注意深く読んだ。これが、結局救いとなった。imaginenosekai さんありがとう。

「笛の鳴りが悪い場合は、唄口の切り落としを垂直にし、ヤスリで管壁を削り、切り落としの部分に奥行きを作ると鳴りが良くなる。」

はじめ、「奥行を作る」とはどういうことだろうと頭を捻った。唄口を覗くと、楕円形の長軸方向の切り口の内側の肉が膨らんでいるのが見えた。これを削って、ついでに管の内側の壁を削ってフトコロを広げてみようと思い立った。Utakuchicote

やってみると効果テキメン。鳴るではないか。よしこれだ。救われたゾ。喜びがこみあげ、ガリ棒と丸棒ヤスリで、唄口部分の前後の壁全体を力を入れて何度も削った。

竹の内側の肉は柔らかくてどんどん削れる。管壁が薄くなった感じが手に伝わってくる。
尺八の管の内側には微妙なテーパーが切ってあって、これが音色と鳴りの良し悪しを決定するので、この作り方が製管師の腕の見せどころ。とても大事で難しい技術だとどこかで読んだ事を思い出した。

Kanjiri3cadre_2 篠笛も笛なのだ。一緒じゃないか。もうひとつ、この竹の管尻が急速に細くなっていることが鳴らない原因かも知れない。そう推理して、管尻の内側も削ることにした。吹き方によって甲音(カンオン)とさらに高い音が鳴っていたからである。

結果は上々だった。笛は管の内側の形状がすべてといってもいい。失敗しかけたおかげで、とても大事なことを学んだ。

⑥ カシュー塗料で管の内側を塗るとさらに鳴りが良くなった。

⑦ 指孔の前後と管頭と管尻に巻いた糸は白く汚れが目立つので、管の内側と同じカシュー塗料で「たいしゃ色」に塗った。これは、装飾。音色に大きな影響はないようだ。

⑧ 最後に唄口の頭寄りに反射壁を詰めた。コルクの栓を入れ、いちばん鳴りが良い位置に決め、隙間にマスキングテープを縦に半分に切って巻き、きっちりの径にしてからボンドで止めた。

⑨ ちょうど良い太さの木の丸棒を5ミリ厚ほどに切って先端に詰め、糊が乾いたあと小刀で出っ張りを丸い形に削った。これにも同じ色のカシュー塗料を二度塗った。Tete 仕上がりは、ちょうど清朝の帽子という格好になったが、一号は見栄えより鳴るだけで我慢とした。

チューナーで、各指孔を開いてゆき、順に確認したところ以下のようになった。

(数字は管の尻からの順番を示す。1は第一孔のみの解放で基準音。以下2は第一と第二の両方の孔の解放を意味する。)

0: (筒音) Bb、   1: C#,   2:Dメリ または Eb,   3:E

4: F#,      5:G または G#,    6: A,      7: B

以上のようにかなりズレがある。でも、鳴らなかった笛が自分で鳴るようになったから不思議だ。管の内壁を削っただけで鳴らない笛が鳴るようになった。笛作りの面白いところだ。諦めないでよかった。

第一号笛のデータ: 全長38.5cm、 外径:唄口部分から中央まで:22.4mm、管尻部分:20.5mm、  管尻の内径:14.5x15mm、

唄口の大きさ:12.4 x 14.19mm、  第3孔: 9.3x10.4mm、

他の指孔の平均の大きさ:8x7mm。

次は七本調子を作る予定です。 (以上、 2月12日記す。)

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2009年1月29日 (木)

楽器の思い出

投稿者: 叢林亭 : http://www.sorintei.com

学生時代からの友人に笛を作る話をしたところ、いつ頃から作ろうと思ったかという質問が返ってきた。その時はとっさにフルートを習い始めた時すぐそう思ったと答えたが、これにはかなり誇張がある。

興味を持ってクヴァンツやベームの本を買い、フルートの歴史を調べたり、漠然とこの形がシンプルで美しい楽器を作れたら幸福だろうと思ったりもしたのは事実だが、銀の合金など金属の加工が出来る筈はないとすぐに悟ったことも確かだった。

Flutecadre フルートがベームによってキーが付けられ、どんな調子の音階にも対応でき、金属の管を使うことにより、オーケストラの他の楽器に負けずにコンサート・ホールの隅々にまで音が通るようになったのは比較的近代のことであり、それまでは木管だったと知ったのも歳をとってからだった。

高校の同窓のご夫妻にバロック・フルートを見せてもらったのは、十年ほど前のことだった。パリのガルニエのオペラ座でグリュックのオルフェの「傷ついた妖精の踊り」がバロック・フルートで演奏されるのを息を詰めて聴いたのは、つい二年前のことだ。

父が若いころ尺八をやり、準師範までいったという話を子供心に覚えていて、息を使って鳴らす管楽器というものをやってみたいと思ってはいたが、先生について習おうと思ったのは五十を半ばも過ぎ、時間と家計に余裕ができてからのことだった。 

小学校の二年生のことが記憶に焼き付いている。どういうわけか、その日は午後のすべての時間を割いてクラスの全員が各人持ち寄った楽器を演奏することになっていた。前もってそのことは知らされ、楽器を持たない生徒は借りるなり買うなりして持ってゆくことになっていた。家には楽器はひとつも無かった。

父は出来たての会社に移ったばかりで給料が遅配ということがよくあったらしい。僕は楽器を持たずに学校へ行った。音楽教室が始まって小一時間も経った頃、和服姿のお袋が学校の玄関に現われた。胸に紫の風呂敷に包んだ楽器を抱えていた。それは透明ニスを塗った白い木が並んだ木琴だった。母親はなんとかお金を工面して、木琴を買い、ぎりぎり間に合うよう学校まで持ってきてくれたのだった。

そんなことがあったためか、僕には「音楽は金持ちがやるもの」という偏見がずっと巣食っていた。ある程度裕福でなければピアノなど買えはしない。小中学校を通して持っていた楽器はハーモニカと木琴だけだった。

小学生だったか中学生になっていたかは覚えていないが、夏祭りや縁日の夜店などで売っている鮮やかな赤と緑の輪が入った竹の笛を見たかして、見よう見まねで笛を作ったことがある。竹に穴を開けて、唄口の手前にコルクで栓をすれば笛は鳴り、割と簡単に作れるものだとその時知った。それは横笛だったが、縦笛も見た記憶がある。同じような簡素な竹の頭部にリコーダーと同じような窓とエッジが切ってあり、その唄口の前後に赤と緑の絵の具が塗ってある。その色と形が鮮やかに甦る。気道と口栓はなかった気がするが息を吹き込む部分がどうなっていたか覚えていない。

中学の思い出がある。それは習字の時間だったが後ろの席の女の子が見たことも無い黒い鉄の塊を文鎮代わりに机の上に置いた。好奇心から「なに? それ?」と訊くと女生徒は「ピアノの枠よ」と多少自慢げに、いっぷう変わった文鎮を撫でながら答えた。

「へーえ。きみんち、ピアノがあるの。ずいぶん金持ちなんだね。」というようなことを僕は彼女に言った。その言葉を彼女はイヤミを言われたと受け取った。次のホームルームの時間、彼女と仲の良い女友達が、「男の子の中に、女の子にイヤミを言う人がいます。」と手を挙げて先生に言いつけた。「だれです。そんなことを言うひとは? 」と先生はみんなを見まわした。

言いつけた女生徒は「本人はわかって反省しているはずですから、名前を言わなくてもいいと思います。」と言い、それきりになったのだが、恐ろしいことに、それは僕のことだと、その時はっきりと感じたのだ。それまで気が付かなかったことが、いっそう自己嫌悪に陥らせた。

高校の入学祝いにギターを買ってもらった。教則本を頼りに毎日弾いてばかりいたので曲が弾けるようになるのと交換に、学校の成績がどんどん落ちていった。大学受験に失敗して、悩ましい日々を送っていた頃、東大の仏文科に入り、言語学をやると言っていた幼馴染が、ある日遊びに来て、ギターの音は嫌いだと言った。生徒会誌に発表した僕の文にギターに触れた一節があるのだが、あんな通俗なことはやめて、もっと高尚なものを目指すべきだと暗に批判したのだった。Guitercadre

大学で最初に親しくなった原は、首に掛けたハーモニカを吹きながらギターを弾いた。ボヴ・ディランに傾倒していて、シンガーソングライターになるのだと言い、実際いくつかの曲を作っていた。卒業後、彼は若くして心筋梗塞で逝ってしまったが、僕は、その原が教えてくれたコースを辿り、北欧からスペイン、イタリアを回ってフランスに入った。

パリに着いて最初に置いてもらった家が音楽一家だった。ご主人がバイオリンを弾き、奥さんが声楽をやり、毎週一回知人を自宅に呼んでコンサートを開いた。長男のベルトランはストラスブールのコンセルバトワールでフルートを選択している。普段は居ないのだが夏休みに帰って来た。

ある暑い日のこと。「練習をしなくちゃ」と僕が置いてもらっていた向かいの部屋でフルートを吹き始めた。傍で聴いていていいというので僕は数時間の間、ベルトランが上半身裸でバッハを吹くのを聴いていた。僕には楽器の練習をそんなまじかに聴くのは初めてだった。強烈な印象を受け、それからは、フルートという楽器が、妖しい魅惑を秘めて心の底に棲むようになったのだ。

ベルトランは純金のフルートを持ってると自慢し、見たいかと訊いたが僕は断った。銀だろうが金だろうが楽器の値段で音楽の良し悪しが決まるわけではないと思ったし、心の底にブルジョワに対する反感とコンプレックスがあって、金のフルートなど見て溜息など吐いてたまるかと感じたのだ。

パリへ来て最初にベルトランの吹くフルートの演奏を聴いたことは、それから25年以上経って、時間と家計に余裕が生まれた時に、自分でもフルートを吹いてみたいと望んだこととつながっている。

僕は音楽に関しては人並み以下と解っているし、楽器はときどき楽しみに吹ければ良いと思っている。洋楽で人前に出られるわけがないし、ましてやモダン・フルートを作ることなど問題外だ。

だが、木や竹を使った楽器なら。そう考えたのは、自分で何かを作りたいという欲望が抑えきれないほど昂まったからである。フランスに住んでいても日本人でありたい。画家の藤田嗣治がそうだったように、僕も日本人としての独自性を活かすようなことをして最後の社会生活に充てたい。

そう思ったとき、和楽器の尺八と篠笛にゆきついたのは論理的な帰結みたいなものだった。

「ふるさと」という歌に唄われている光景を、最近の若い日本の人たちは、もはや想いうかべることができないかもしれない。僕らが子供だった半世紀前には、「ふるさと」に唄われたとおりの光景がまだあった。

四歳と五歳の二年間を兵庫県の山奥で祖母とふたりきりで暮らした。祖母の愛情に護られ、静かな田舎で僕は、ゆったりした時間の流れに身を任せながら、このうえなく幸福に暮らすことができた。

冬は赤い南天の実が白い雪に映え、春は小川の土手で土筆や蕗のトウや蓬を摘み、夏は膝までの浅い水に浸り、盥の舟に乗ったり、水面を泳ぎ渡る青大将に石を投げたりした。

そうした小川の畔に生える笹で杉鉄砲を作ってくれる村の若者がいた。鉄砲を作る笹は細かったが、若者は太く節の間の長い篠竹をみつけて笛を作った。それは、ぼんやりと霞のかかった記憶の底に隠れている光景で、若者の顔や姿も思い出さないが、その単純素朴このうえない笛の音は、幼かった僕に、自分で作った笛が鳴る喜びの予兆を与えたのだった。

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2009年1月28日 (水)

篠笛1号

投稿者: 叢林亭: http://www.sorintei.com

昨日は「篠笛1号」の唄口と指孔の第一孔から三孔までを拡げた。ドリルで小さめに開けておいた穴を切り出し小刀で少しずつ削り広げていった。

昨年の秋、黒竹を使って試作した時は、小穴からいきなり大きな径のドリルで穴を広げた。切れ味の悪い大径ドリルの刃が竹の皮をひっかけチリリと音がして幅1ミリほど甘皮がめくれた。めくれた皮を切除はしたが、表皮のめくれは結局、隣の指孔まで広がって二つの孔の間に1ミリ幅のミゾが走った。穴を全部開け終わり、筒の内側にニスを塗ったとたん、パキッと音がして笛の縦半分が割れてしまった。ニスの湿気とともに割れを誘発した要因は、このわずか1.5センチほどの長さの表皮の無い溝だったに違いない。

こんどは本番なので慎重を期した。穴あけの位置にマスキング・テープを貼ってバリを防いだ。材料の竹は「目白」で買った、油抜きと乾燥が済み笛づくりの準備が整った三本の雌竹のうちの一本で、長さが425ミリあった。管頭に当てる太い部分に節が付いていたのでこれを切り落とし、管尻の方も節の直前で急激に太くなっていたので切り落とすと、全長が403ミリになった。

切り出し小刀は浅草橋の刃物店で買った中位の値段の握りと鞘のついたものだ。さすが、数かずの名刀を産んだ刀鍛冶の伝統をもつ国だけのことはあるわい。切れ味が違う。竹の繊維方向は当てるだけでスイスイと切れる。横方向は無理に力を入れるとガリリと刃こぼれさせてしまいそうだ。Fueencours1

「心静かに、急がず、焦らず。」という穴あけのアドバイスがあった。注意を集中し、慎重に削り始める。小刀が滑って手を切らぬよう、笛と手の位置を確かめながら、はじめは怖ごわ刃を立ててゆく。先週作った作業箱がさっそく役に立つ。10回も削ると、刃がしっかり穴に入り、竹の肉に噛み込んでさえいれば、おかしな方向に力を入れない限り、滑るものではないと解った。「心静かに」の状態が保てるようになった。

絵や書もそうだろうが、笛づくりも、心をあることに集中する時の至福を感じる。眼と手を働かせるだけで何もかも忘れ、ひとつことに精神を集中し続けられる気持ちの良い時間が過ぎてゆく。特権的時間というのだろうか。スケッチや水彩画を描いているときはもっと単純な幸福を感じる。小刀を使う笛の穴開けには手を切るリスクが多少の緊張を伴うが、絵を描く時と同じ至福を感じる。

僕が篠笛を作ろうと決める直接のきっかけとなったのはネットに公開されている何人かの方々のホームページを見つけたことだった。この方々には本当に有難く感謝している。上のアドバイスもそこから頂いた。いずれこの方々と連絡がとれたらリンクを掲載させて頂きたいと願っている。

笛作りでは調律が一番難しいだろうことは最初から予想できた。今回東京で仕入れてきた材料には節のない十分な長さのものは全部で15本くらいしかなく、それらを全部使ってこの一年で音程のとれた笛が作れるようになればシメタものだと思っている。

Shinobue1cadre 篠笛の見本に、「目白」で「八本調子・七穴」を一本購入してきた。チューナーで確認すると、第一孔のみ解放した状態が 5D。 順次指孔を解放してゆくと、 5E, 5F, 5G, 5A, 5B ときれいに音程がとれている。

ホームページ takamizusan-sisimai で公開されている「管尻から各孔の中心までの長さ」の表の「7穴ドレミ音階C」と「目白オリジナル」の八本調子とを比べてみた。管尻からの距離は異なるが、唄口を合わせると各指孔の位置がぴたりと合う。八本調子は「7穴ドレミ音階C」とほぼ同じ作りなのだ。

第1号に選んだ竹は管尻内径14ミリ、管中央の外径約21ミリとかなり太めなので、その分、穴の位置を唄口寄りに開けねばならないだろうと予想した。

唄口も指孔も最小の穴から削って徐々に拡げてゆく。チューナーで音程を確かめながら孔の位置を変えて行くことができるからだ。そのことの大切さをはじめて理解できた。最初の確認では、第一孔解放がBと Cの間をふらつき、第一 + 二孔解放は C# だった。その後、唄口を11X10ミリまで大きくし、第三孔も 10X9ミリまで大きく削った。第二、三とも唄口の方向へのみ削って大きくした。その結果、第一孔解放がC、第二孔まで解放がD、第三孔まで解放がEフラット と鳴るようになった。D も E も 20セントほど低い。

調律しながらの穴開けは、まだ始まったばかり。ひとつの問題は管尻の長さをどうするかである。モデルの八本調子に比べると1.5センチ長いし、takamizusanのドレミ音階C に対しては全長が2ミリ短い。7穴全部開けて音程を確認したあと、音程が合えばそのままにする積り。合わなければモデルの八本調子に近づけ1ミリずつ短く切って調律しようと思う。自作1号は管の径が太い。径の太さと第一孔と管尻の距離が、音程とどう関係しているかを知ることも課題のひとつだ。  

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