カテゴリー「小説」の記事

2017年4月 6日 (木)

1664 道徳的考察 6 と 7

6

 

La passion fait souvent un fou du plus habile homme, et rend

souvent les plus sots habiles.

 

情熱はしばしば最も老練な男を狂気にし、また最も間の抜けた者を

巧妙にする。

7

 

Ces grandes et éclatantes actions qui éblouissent les yeux

sont représentées par les politiques comme les effest des grands

desseins, au lieu que ce sont d'ordinaire les effets de l'humeur

et des passions. Ainsi la guerre d'Auguste et d'Antoine, qu'on

rapporte à l'ambition qu'ils avaient de se rendre maitre du monde,

n'était peut-etre qu’un effet de jalousie.

 

あの目くらめくような偉大で華々しい行為は、政治によってあたかも

偉大な構想の結果であるかのように示される。それらが平凡な気まぐれや

情熱の結果とされることはない。オーギュストとアントワンヌの戦いも、

同様に、彼らが世界の主人になろうとした野心の結果とされているが、

たぶん、単に嫉妬の結果にすぎなかったのだ。

(つづく)

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2013年4月14日 (日)

長編小説 飛龍幻想 35

以下の節は別の長編「イカルスの墜落」に使ったものですが、「飛龍幻想」に移転します。


 さながら天変地異に似たあかるみに時計台が浮かび上がっていた。おびただしい機動隊のヘルメットの列が正門の向こうの広場を埋め尽くしていた。機動隊のサーチライト、数えきれぬ新聞社の照明の放列がそれら青黒い隊員の列を照らし出していた。

 シューッという音を立てて吹き上げる白いアーク燈の棒の閃光が無機的な緊張をはらんで渉の眼を射た。きな臭い煙と降りしきる雨の向こうに、非情な力を湛えた海が、待機しているようだった。緊張が凝縮し、一瞬のあいだ時間が止ったかに見えた。隊長の行動開始の命令が低く通った。ガチャガチャと装具の触れ合う音が高まり、隊員達は学生の壁に向かって押し寄せてきた。

 「かえれ。かえれ」という声が潮のように起った。正面からの衝突を避け、渉のいる隊列は横の通用門に向かった。ドッドッという足音と共に、機動隊の分隊が渉たちの到着と同時に通用門前に走り寄り待機を始めた。「かえれ。かえれ」というシュプレヒコールが再び起こった。白兵戦を予想して渉は緊張した。指揮官が白い棒を振り下ろし、先頭の隊員が門に飛び乗り踊り込んで来た。門を乗り越え踊り込んで来る隊員はデモを躱して投石避けの網を抱えながら、建物の脇の狭い植え込みをかいくぐり、本部の方へ走り抜けていった。「つっこめ。つっこめ」という声がデモの後ろから聞こえた。何も起こらなかった。渉たちは石のように大海の外に取り残された。

 方向転換して、本部前広場へ走っていった。すでにふたつの潮がとぐろを巻きながらぶつかっていた。いつの間にか、渉のいるデモ隊は機動隊に両側から挟まれ、正門の方は運ばれていた。隊員の逞しい腕が渉の腰に伸びベルトを掴まえていた。座り込めという叫び声と一緒に渉は田辺と組んだ腕の力を強め抵抗した。

 正門付近で渉たちの抵抗は力を示したかに見えた。ほんの一瞬機動隊との間に力の均衡が生まれた。しゃがみこもうとする渉たちを機動隊員が引き立てた。うしろから来る圧力に渉はあやうく階段を転げ落ちそうになり、前に踏み出したとたん隊列が流れ、あっという間に正門を押し出されていた。もみあい、突き飛ばされながら、大きな潮の流れに乗ったように広い通りを運ばれていった。千メートルばかり走ったあとで機動隊は渉の腰に掛けた手を放した。

 何もない通りを手を繋いで駆けていった。夜明けの透明な光がアスファルトの道を青く照らしていた。雨に濡れながらひっそりと静まりかえっている両側の商店の家並みが疲れた眼に清々しく映った。道を駆け抜けて行く間に出会う、機動隊の青と灰色の車が死臭を放って見えた。

 大学の裏手の小さな神社の境内に逃げこんだ。赤土が雨に濡れ、どぎつい橙色に光って足にまといついた。樹木や草に降りかかる雨が池の上に、霧のようにけぶっていた。「ああ。さっきは死ぬおもいだったよ」みぞおちのあたりを押さえ寄り眼になった眼で田辺が言った。「ほんとにな」濡れて足にまとわりつくズボンの裾を引き剥がしながら疲労でかすれた声で渉は答えた。

  (つづく)

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2013年4月 7日 (日)

長編小説 飛龍幻想 34

渉がその夜泊まり込んだ大学本部の地下は、中世の西欧の教会の地下礼拝堂のように太い柱が所々で天井を支えていた。中世と違うのは学生たちが吸うタバコの煙が地下室の空気を青く曇らせ、いがらっぽい吸殻と煙の臭いが鼻を突くことだった。
地下室の隅の壁に沿って腰ぐらいの高さの分厚い補強壁があり、そこに腰かけているジーンズを穿いた青年が居た。渉が近づいてゆくとにやりと笑いかけてきた。それは、日向だった。

「やあ。キミが泊まり込みに参加するとはね。お疲れさま」
日向はそういうと渉にポケットから取り出した煙草を勧めた。

渉はイデオロギーを信じてはいない。党派に所属して行動するのも嫌だ。
渉はただ、正直に素直に誠実であろうと、ただそれだけを信条に自分の心に相談してみた。意外なことに、渉の心の底には古い儒教的精神が眠っておりそれが甦るのを感じた。
小学校の時から、学校に対して持ち続けた神聖な思い。先生の言うことに対していつも素直に従っていた。疑いが頭を擡げ、反抗するようになったのは高校に入ってからだった。それは受験制度というものに対する反抗だったろう。小中学校の地域の仲間。自然にできていた遊び仲間や地域の共同体意識を受験制度は競争ということ、試験の点数で順位付けし、振り分けバラバラにした。
渉は小学校からずっとこの地域で育ってきた。焼け野原の空き地を遊び場にし、陸軍幼年学校の跡地が校庭だったり、射的場へ空の薬きょうを拾いに行ったり遊び友達はみんな同じ地域で育った子供たちだった。夏休み、地域の子供たちを集めて緑陰学校を同じ町内に大きな庭を持つ家に人が開いてくれた。子供たちの前で、「ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた~」と歌を歌って遊んでくれたのはP大学の学生だった。そんな風に渉は、P大学があるこの地域で育ったのであり、大学はPと昔から決めていた。この大学に来るべくして入学したのである。いわば自分の家の庭同然の意識を大学に対しても抱いていた。
渉にとって学の独立とは、自分が生まれ育った土地で活動することの自由を守るという意味があった。
そして儒教の教えである。「仁義礼智信」という言葉。この五つの文字に込められた意味をこれまで深く考えたことはなかったが、こういう自分の身の周りに起こった大きな事件にあってわが身の立場を決めなければならなくなった時に、日本人が江戸時代から教え続け、渉が子供の頃から自然と心の底に染み込むように身に着けてしまっている規範というものに相談してみるのもいいのではなかろうか。子供のころから「義をみてせざるは勇なきなり」とか「師に対する礼節」をわきまえて育った。「義理がすたればこの世は闇だ」という演歌で歌われる義理は「義務」や村社会の掟のように否定的な意味を持っていたが、もともとの意味は、「人間として踏むべき道理」「正義」の意味なのだ。「自分の育った愛すべき土地、その中の学校という学び舎、俺にとって神聖な場所を、機動隊の編み上げ靴で踏みにじらせるな」という言葉で渉は自分の気持ちを整理した。
やがて文学部の執行委員長が立ち、逮捕された時の心構えとか、弁護士の連絡先とかをみんなに教えた。
それぞれが持ち込んだ寝袋や貸布団などに潜り込んで寝静まった頃、渉は近くでかさこそと言う物音を聞いた。それは、隣の男の立てる音らしかった。渉がなおも耳を澄ますと男は、どうやら自分の敏感な部分へ手を当てて往復運動をしているらしかった。機動隊導入という緊張に興奮したのか? こんな集団の中でマスターベーションするほど習慣づいてしまってるのか?渉はそのひそかな音を聴いて可笑しかったが、やがてすぐに可笑しさはいじましさ、みじめったらしい悲しさに変った。青年は「キュー」と小動物がたてるような小さなうめき声を挙げるとそのまま静かになった。
小一時間ほどたち、誰かが携帯ラジオのスイッチを入れた。ラジオの音は小さくて聞き取りにくかったが、しばらくするうち、前の方の学生たちのざわめきが聞こえ、立ち上がる気配がした。ラジオのボリュームが上がり、みんなが聞こえるようなアナウンサーの声がした。
「警視庁第五方面機動隊は、市ヶ谷署を出発し、いまP大学へ向かいました。本部封鎖を占拠している学生を排除に向かいました」
いよいよくるぞ! とだれかが叫んだ。みな一斉に寝袋から出て立ち上がった。
執行委員長は、学部ごとに守備位置を伝え、本部を出たら、まとまって行動するよう指示をした。
渉たちのグループは本部の東側にあるキャンパス入り口の広い階段の上に十列ほどのに重なってスクラムを組み横隊の壁を作った。
  (つづく)
 
   leo

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2011年9月19日 (月)

夏の山脈 25

十時頃、そろそろ起きて着換えをし、夕食の支度でもして白木の帰りを待つかと陽一はベッドから起き上がった。寝室の隣のバスルームで顔を洗い、着換えをして、台所へ行った。電気ポットの湯沸しがあったが使い方が判らず壊しては悪いので、手鍋に水を入れてレンジで沸かした。

食堂に行きテレビのスイッチを入れる。ほとんどが英語の番組だ。ひとつだけフランス語の番組があった。それを見ていると家の裏で車が停まる音がした。やがて口笛がかすかに聞こえ、誰かがキッチン脇の通路を進んで来る気配がする。白木か! 陽一がキッチンへ移動したのと、ドアが開き、白木の顔が覗いたのと同じタイミングだった。

 「おお、久しぶりやな」

白木は上がり框へ黒い大きな革カバンをどすんと置き、手を差し出した。白木の顔は褐色に日焼けし目尻に皺が増えている。陽一は白い歯を出し笑っている白木の手を握り返した。白髪が増えたようだ。髪型は昔と変わっていない。昔から俳優のチャールス・ブロンソンに似ていたが日焼けして目尻に皺が寄った顔はますます似て見えた。

白木の顔から再会を心から喜んでるのが分かった。

それが白木との十七年振りの再会だった。あっけない……と陽一には思えた。

「腹減った? すぐそこのケンタッキーフライドチキンへでも食いに行こか? 本場のフライド・チキン食べて見るか? それとも家でうどんでも作ろか? 」

こんな夜中にのこのこ出かけて行くのも面倒な気がして陽一は家で食おうと言った。

白木は大きな鍋に水を注ぎレンジに掛け、小鍋に醬油と砂糖を入れて火に掛け、冷蔵庫から油揚げを出し、ふたつに切って入れ……そういった動作をいかにも慣れた手つきで素早く的確にやった。それが、この何十年かの間に白木の身に起こった最大の変化のように陽一には見え、白木の動きに眼を見張った。敏捷で的確。アメリカとカナダでの十何年間の生活の必要が白木をそんな風に変えたのかもしれなかった。いや、もともと白木には、そうした日常生活の細々した事、身辺を綺麗にしておく傾向はあった。青春期のあの時期だけ、内面に眼を向ける事に捉われてものぐさに見えただけなのだ。

最初、白木の家に入った時、陽一は、家の中がきちんと整頓され、掃除が隅々までゆきとどいている様子に驚いた。昔の白木の下宿からは想像もつかない清潔さだった。

家を売りに出している関係上、買い手の印象を良くするために整頓してあるのだろうとも思った。だが、いま、陽一の眼の前でハワイからの旅の疲れも厭わず、テキパキと、ものを出しては使い、また元の場所へ戻す。
包丁の使い方ひとつ見ても、その動作の素早さ。迷うことのない的確さに陽一は眼を見張った。

ものぐさなど入り込む余地のない各瞬間の意志的な動作を見ていると、散らかしっぱなし、出しっぱなしだった昔の生活は、きっぱり止めようと、ある日決然と心に決め、炊事から掃除、洗濯までの日常的作業をやりだした。

二度目の離婚で、独り暮らしを余儀なくされ、自然そうなったのだろう。気の合わない
奥さんと妥協しながら暮らすより、別れた翌日から、なんでも独りでやる決心をした。そうとしか推定しようがない、何か意志的な力がひとつひとつの動作に潜んでいるように感じられた。

白木が調理したうどんが出来た。テーブルに箸、調味料を並べ、夜食が始まった。

(つづく)

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2011年8月22日 (月)

夏の山脈 24

白木は麗子さんの後を追い人通りの少ない街角で声を掛け、僕は君の事好きなんですけど恋人として付き合ってくれませんかと言った。麗子さんは驚いた様子だったが美しい笑顔を向けお友達としてならお付き合いしても良いけどいきなり恋人としてお付き合いするなんてお約束できませんわと答えた。それからも白木は放課後や週末ごとに麗子さんに交際を求め関係を深めようとした様子だった。

ある日、陽一と和雄がバスケの部室で二人きりになると、白木が「麗子さんとの事ダメになりそうや」と洩らした。白木は麗子さんの家に遊びに行くようにまでなっていたが、ある日、麗子さんの父親が出て来て、白木の身の上について色々訊き、将来どういった職業を目指しているのか? そして、ついに「国籍は韓国なんですか?」と突っこんできた。白木は恋人の麗子さんに隠し事があってはならないと思い彼女には正直に話していた。
「日本では韓国の人は一流企業に入って出世が出来ませんからねえ。芸能界かスポーツか水商売か、そういった世界で成功する人も居るが、生活に保障がないよね、あの世界は。麗子には向かないと思うんですよ。画家か建築家かデザイナーですって? 苦労するだろうね。よっぽど才能に恵まれてれば別だが、世間に認められるまでは大変な苦労ですよ。お金のある人は別ですよ。御存知と思うが麗子はいちど病気したことのある弱い身体をしています。芸術家の生活を支えてゆけるような女じゃありません。私や家内は、堅実な銀行員とか国家公務員とかを志望する男性を望んでるんです。この気持ちは麗子も充分わかってくれている筈ですよ」

表面の言葉つきは丁寧だったが父親は言外に社交的なつきあいなら結構だが、将来の結婚など論外だし、娘の将来に疵がつくような関係に発展してもらっては困るとクギを刺したんだと白木は言った。白木はいつも男女の愛とは全的なものだし恋する相手とは肉の関係にまで行くべきだと主張していた。

陽一には恋をしている白木の気持ちが痛いほどに解ったがどうしようもない事なのだ。白木はとうとう「お友達」としてだけの付き合いに我慢できず、「好きやゆうて抱こうとした。ほしたら手エで突きのけられて、こんなことするんやったら今後お付き合いできません。もう後を追っかけててくるのもやめてください、言うんや。ほして、私には許婚者がいるんです、いいよるねんや」という結果を招いてしまったのだった。

麗子さんの側に白木に対する感情と欲望が生まれない限り白木の望むように全的に愛し合う関係にはなり得なかった。
国籍が違うということが原因にあったかもしれない。だが白木があんなにも性急に麗子さんを抱こうとしなければ、すくなくともお友達としては付き合い続けることが出来た。白木の激しい感情は、そうした大人の、胸に恋情を秘めながら、互いの社会的立場を傷つけぬ程度に交際を続ける男女の社交性を欺瞞と見るのだった。欺瞞を続けるくらいならひと思いにぶつかって砕けたい。全か無かの激しい衝動に白木は突き動かされたに違いなかった。

(つづく)

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2011年8月18日 (木)

夏の山脈 23

頭の帽子をパッとわしづかみにするや、腕を前に突き出しては空気を手で搔くように引き形の良い尻を突き出して走る、例のあの走り方で和雄は小西さんを追って行った。そうだ、あの時、和雄は学校帰りの小西さんと同じバスに乗り、同じ停留所で降りて、人通りの少なくなった歩道で追いついて恋を打ち明けたのだった。

 「『お友達としてならおつき合いしてもいいけど、恋人にはなれません』言われた」和雄はそう言って仰向けに寝がえりをうってから胸に手を組み何事かを耐えているかの様にじっと眼をつぶっていた。眉間に縦皺が寄っていた。

 「オレはなあ~」しばらくして和雄が言った。

 「日本人やないんや。日本で生まれたけど国籍は韓国なんや。張いうて、もひとつ韓国名があるんや」

日本に戦前、強制的に連れてこられた韓国人達がいるという事を陽一は何かで読んでいた。小松川女高生殺人事件というのが、陽一が高校に入りたての頃あった。在日朝鮮人で夜間部へ通う高校生が小松川高校の女生徒を強姦し殺害した事件だった。まだ未成年で死刑の適用をするかが議論されたが、結局特例で死刑を宣告され、助命運動の甲斐無く処刑された。その事件は高校生の陽一に強烈な印象を与え、処刑された李珍宇という韓国人の高校生と、獄中の彼を何度も訪れ、文通を続けた女性との往復書簡集を買って読んだ。

和雄の両親がどのようにして日本へ来たのか立ち入った事を陽一は訊ねなかったが、数日して和雄は青いパスポートを見せてくれた。和雄の写真の下に張慶良と朝鮮名が書いてあった。陽一は重い気持ちでそれを受け取って眺めた。

 「日本に帰化するいうても難しゅうてできんのよ」白木が言った。

陽一はその時、日本で生まれ、日本の姓名を持ち、日本の小学校、中学、高校と進み、常日頃、自分とこうして共に汗を流してボールを追う白木が、違う国籍を持ち、日本国籍を申請しても許可されないという事が、なにか信じ難く、途轍もなく不条理な気がした。

  (つづく)

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2011年7月12日 (火)

夏の山脈 22

「白木が家出をしたぞ。もう五日前から姿をくらまして、どこへ行ったかわからない」

高井が教えてくれたのは、前々日のことだった。陽一は別件で高井に電話したときに、高井はそう言うと、白木が心配だから、白木の義理の兄さん、安藤さんに会いに行こうと誘った。
 
「これは、わざわざどうも」
安藤さんは、板みたいに薄く巾の広い肩を前に倒して陽一と高井に挨拶をした。
 「弟が、いつもお世話になってます……」

 「こんどは、こんなことになって……」
陽一はうまい挨拶が見つからず、そういって頭を下げた。
 
 「弟のやつ、行方をくらましてもう一週間経つんだが、どこへ行ったんだか。心配なもんですから……。弟が、親しくしてる、佐伯君や片山君に、心当たりがないか訊いたんですが、ふたりの前からも姿をくらましたまま、まったく音沙汰が無いというので、どうしたものか」

 「ぼくも、片山から聴きました。白木君の悩みというか、その辺のことも、よく聞いてましたので、ぼくらも、心配で。ひとごとじゃないって気がするもんですから」
高井が陽一よりは大人びた口調で安藤さんに言った。

 「弟は東京にはいなくて、どこかへ行ったとおもうんですよ。ぼくの推理だと、たぶん京都だと思うんです。彼は京都が好きだし、憧れをもってますから」
 
 「ああ、やっぱり、そう、思いますか。じつは、ぼくも、そう思っていたので、いま、言い出そうとしたところだったんです」
 
 高井と陽一は、その日、学校を休んで、安藤さんのアパートを訪ねたのだ。
 
 「安藤さん。ぼく、行ってきますよ。白木君を探しに。京都へ」 
 高井の誠実さがこもった声が響いた。

 「ああ。それは、ありがたい。ぼくもできれば、二三日仕事を休んで、探しに行きたいんだが、ここんところ手が抜けなくて……。それに風邪を引いちまって、かったるくて、ちょっと動くにも苦痛なもんですから」

 「だいじょうぶですよ。白木のことだから、たぶん、喫茶店かどこかでアルバイトを見つけて、うまくやってるでしょう。ただ、学校だけは卒業しといたほうがいいから。高校中退じゃあ、どうにもね。先がたいへんだろうから」

 高井は、そう安藤さんに請合い、翌日ほんとうに京都へ発ち、三日後には白木を連れて戻って来たのだ。

 「そりゃあさ。兄弟っても、義理の兄さんだし。国籍が違うってことで、白木が悩んでるのを安藤さんも、なんとかしてやりたいと思うけど、ひとりじゃどうにもできないところもあるから……。
 いろんなことで、不満はでるだろうけど、将来建築家になるのをめざして、三年鳴かず飛ばず、じっと辛抱して、安藤さんの助手として使ってもらうのがいちばんいいんじゃないか。そう、説得してみたんだ。京都の、やっぱり、喫茶店でアルバイトの給仕をしてるところを見つけたんだ。偶然だったよ。ほんとに」
 陽一は高井の友情と、義理堅さに頭がさがる思いがした。

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2011年7月 5日 (火)

夏の山脈 21

思春期を迎え陽一の言葉が多少複雑になった。初恋という言葉があり、園子という瞳の黒い娘を恋していた。恋をするのはなぜだろう?なぜあの娘だけに恋をするのか?

倉田百三によれば本能としてより優れた子孫を残したいが故により優れた男、より美しい女に恋をするのだと。したがって女は優れた男性を選ぶ義務、劣った男を拒む権利があると、なんだかナチスの優性遺伝理論を肯定したようなことを書いていた。

プラトンは本来一つであった人間が二つに切り離され元に戻りたいので恋をするのだと。旧約聖書では、神は地上で最初の男をホコリに生命の息吹を吹きかけて造り、最初の女をアダムのアバラ骨を切り離して造った。プラトンの説明は同性愛の説明に良く使われ、旧約聖書は、男権社会の肯定、男の付属物として女はあるという主張の正当化に使われている。

陽一が和雄に惹かれた理由の一つに和雄の容貌があった。和雄は肌の色が象牙色で地肌が芯から白かった。彫刻的な端正な顔立ちに東洋的な丸みを帯びた興福寺の仏像が持っているような形の良い鼻をしていた。陽一はそうした和雄の西洋と東洋の混合した貌の美しさに惹かれていたのだった。

あの頃、青春時代には何という胸のときめきと高まりがあったろう。崇高なものを崇める気持ち、気高いものを追いかけ自分の身を高めたい。真実に身を挺し、真理に身を捧げたい。そういった欲求が絶えず胸のうちに沸くように生れ、衝動となって高まっていった。その衝動に突き動かされるようにしては、街をほっつき歩き。友達の下宿を訪ねた。誰も居ない美術室のミロのヴィナスやミケランジェロのダヴィデの石膏像をどんなに讃嘆の眼で眺めたことか。うつくしいものへの憧憬が胸をしめつけ、悲しいまでにせつない思いに胸を焼いたことか。


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2011年6月29日 (水)

夏の山脈 20

陽一は辻さんと別れてエドモントンの街を高層ビルの並んでいるダウンタウンへ向けて歩き出した。高層ビルは外壁をブルーがかった銀や、オレンジがかった銀色のガラスで覆われ、どれも金属的な輝きを夏の透明な午後の光に放って聳えていた。通りをしばらく歩くうち銀行などの並ぶダウンタウンの中心に出た。信号と、商店の色彩などがどことなくロンドンに似ている。ビルの谷間のコンクリートの敷石の敷かれた公園の一角に、白人とインデイアンの銅像があった。その隣にはガンジーの胸像があった。

黄色いペンキの塗られた建物に劇場の表示があったので近寄ってみたが閉まっていた。そこはもう街はずれで通りを百メートルほど行くとパーキングの向うにサスケッチワン河の谷が見下ろせるようだった。良い眺めが見張らせるか近寄ってみたが、送電線が見えるくらいで美しい景色はなかった。あちこちで工事をやっていた。日本人と見える若いビジネスマンともすれ違った。こんな具合に陽一のエドモントンの街の見物は終わった。黄色いタクシーを拾って、白木の家の番号を言い、家まで帰った。時差と疲れで、それに辻さんは白木が家へ着くのは夜中の十二時頃だろうと言ったので、ベッドにもぐって昼寝をする事にした。寝室の小さな窓は汽車の窓のように上下に開け閉めする方式で、それまで陽一は気がつかなかったが、白い窓枠のついたガラス窓が半分開けてあり、レースのカーテンが風に揺れていた。

          *              *

「これはええ本や。読んでみいや。義兄さんの本やけどな。よかったら貸すよ」
そう言ってある日和雄が差し出した本が倉田百三の「青春を如何に生きるか」だった。愛、友情、人生、信仰。およそ青春のありとあらゆる生々しい感情。悩みや理想や倫理やらが、しかつめらしい学校哲学と違って、自分の生きざまが……たとえば女との「私はあなたと永遠に交合していたい」などといった言葉により直接に示されている。この西田幾太郎の弟子の中の異分子、大正期の一風変わった哲学者の本を陽一はこれを機につぎつぎと胸を弾ませながら読んで行った。

「出家とその弟子」、「愛と認識との出発」、「絶対の探究」と陽一は図書室にある倉田百三全集を片っ端からむさぼり読むようになった。陽一はこの作家によってそれまで知らなかった世界を発見することが出来た。人間に内面世界があることを知ったのだった。精神とか心とか魂とか呼ばれている眼に見えないが、実体を確かに感じる内面の世界に初めて眼を向けさせてくれたのだった。中学時代にほのかに女の子に想いを寄せることはあってもそこには恋とか愛とかの言葉は介入していなかった。今、あの時よりももっと強烈に煩繫に陽一の想いのうちに現れる、あの眼の大きくて黒い色白の西洋人形のような岡田園子と初恋という言葉が結びついていた。この胸のうちの想いは実体として確かなことだった。後年、陽一はすべての現象を唯物的に解釈しようと試みた時、恋に胸が締め付けられ痛むのは青年期に発達する胸腺ホルモンのなせる純粋に物質的な作用だなどと考えることがあった。

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2011年6月16日 (木)

夏の山脈 19

広い道路、大型車、トレーラー、キャブ。交差点の信号は道路の上に架かったアーチ型のパイプの中央に設置されて見やすい。フランスのように苛立たしく車線を変えたり、際どい追い越しや割り込みをする車はなくみんな大人しく落ち着いて運転している。

街に入ってから比較的閑静な住宅街の一角で辻さんは車を停めた。そこは銀行だった。銀行にとってはお金を借りてる方がお客さんやからと辻さんは笑って言った。銀行のすぐ近くが大学だった。パーキングの入り口のガードマンの黒人に辻さんは運転席の身体を窓に寄せ、「ちょっと運び込むものがあるんだ」と言うと、黒人はうなづいた。

レンガ造りの建物の地階が辻さんのアトリエだった。この建物はアルバータ大学で一番古い建物ですよ、と言いながら辻さんは先に立って階段を降りた。地下室に降りるとスチールの棚に粘土のままの壺や皿が並べて乾してあった。右側のアトリエらしいがっしりしたテーブルの並んでいる部屋で中年の婦人がエプロン姿で手を汚しながら壺を作っていた。

「お早う。万事うまくいってますか?」と辻さんが声を掛けた。中年婦人はにっこりと笑顔を返した。釉薬のカメの間を通り抜けて突きあたりまで行き、これが窯、いま僕の作品をしこみ中なんです、と言って辻さんは半分扉が開いた窯を見せてくれた。内部には肌色の所々に釉薬をはいた跡のある壺や皿が三分の一ほどのスペースを占めて棚に並べられていた。ちょっと写真を撮らせて下さい、と言って陽一は窯を背景にジーパン姿の辻さんの写真を撮った。

辻さんのアトリエを出て再び車に乗り、サスケッチワンの河床にある公園を見た後、もういちど街へ戻って日本レストランへ入った。民芸調の木を主に使った落ち付いたインテリアのレストランだった。白木が設計したのだと辻さんが言った。細長い土間というか通路に沿って右側が畳敷の和風個室になって障子で仕切ってある。陽一は辻さんの勧めに従い左側の寿司のカウンターに腰を降ろした。

辻さんは馴染みらしく、カウンターの向うに立って寿司を握っている背の高い板前さんと親しく口をききはじめた。寿司の盛り合わせを辻さんが頼み二人でつついた。北海銀行のK さんが帰るんだってね。送別会、明日の晩、あんたんとこやね。……あ、明日の晩、彼も呼んでやって。辻さんは板前さんに陽一を呼ぶよう話を決めてしまった。

レストランを出て車に乗り、二分ほど走った交差点で辻さんは車を停め、「じゃあ僕はちょっと午後、大学でどうしてもやらなきゃならない事があるから……。この道をまっすぐ左へ行くとダウンタウンやから。歩いて五分。白木んとこの住所、持ってますね。番号ひとつまちがえるととんでもない方へ連れて行かれるから」

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